新たな目標を定めて
新しい目標を定める。今までなんとなく生活していたところがあった。うまくいかないことも多かったことで、以前のような熱い(?)気持ちを失ってしまっていた。
でも、やっぱり努力できる前向きな自分でいたい。また目標を定めて前進していこと思っている。だから、今日はここにそのために初心を書いていきたい。
本に関わる仕事をしているから、一度は考えてみたいことだった。またこれまでとはステージが変わって、自分の新たな軸を見出したいか。言葉にすると、自分がどうしたいのか整理できるかもしれない。
自分がなぜこの仕事しているのか、この仕事においてどうなりたいのかという理想を再確認するためにも。
人間にとって、「読む」営みとはなにか。また、「本」あるいは紙というメディアが私たちに伝えてくれるものとは、何なのか。
私たちにとって、本はどのような存在なのか。
私たちは、日常生活においてさまざまなやりかたで「情報」を吸収し、同時に発信している。視覚メディア、聴覚メディア、それらの融合、あるいは人との会話によってだ。
本は視覚メディアに含まれるだろう。聴覚メディアの最たるものは映画(これは視覚と聴覚いずれも)である。
本と映画との決定的な違いは、言葉を目で見るか、音で聴くかだ。目で見るとき、それを私たちは「読む」と呼び、音で吸収するとき「聴く」という。
しかし、言葉がより顕著に私たちに訴えかけてくれるのは、聴くときよりも目で見るときだろう。
聴くときそのテンポをみずから制御することができないが、読むときそれは自分の自由なやりかたで、自分でコントロールできるものでありうる。その媒体はさまざまだ。新聞、雑誌、漫画、ブログ、ネットのニュース、紙の本。あるいは、私たちが見るのは絵、映像かもしれない。でも、ここでは言葉、言語を通じた視覚的な営みを指しておきたい。
その意味で、「読む」ことはその行為主体に、つまり自分自身の主体的な行為である。ただ目で追うだけでない、目で追い、自分の中に取り入れるためには自分の感覚や知識も必要になる。それゆえ読むことは、自分と向き合うことにほかならない。倉田は、「読む」ことについてユーリンの主張(読むことの喜びが、読者が本と一体化することであること)を取り上げる。読む営みは、自己忘却であると同時に自己と対峙することでもあるのだ。(倉田敬子「読むという行為」: https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/55/9/55_681/_pdf/-char/ja)
そして、それは他者との対話のようではないだろうか。たとえ「読者が本と一体化」する過程を経て、両者が共感し共鳴しあう瞬間に到達するとしても、そこにはけっして完全に混ざりあうことのない、自己と他者という隔絶された壁がある。自分が対峙する自己とは、本を読むその時点では気づいていなかった、あるいは出会うことのできていなかった他者である自己、自己の中の他者なのだから。それゆえ読む営みは、換言すれば新たな自己との出会いをも生み出す。
私たちは、自分でも自分というものがわかっていない。自分の考えている自分と、本当の自分が食い違っていることさえある。本は、そんな自分を発掘させてくれる。
ショーペンハウアーはこのような言葉を残している。
「あらゆるものが他のすべてのものに影響を与えている」。目には見えない、神秘的ともいうべき糸で私たちは出会った人と、出会った出来事と結ばれている。それは偶然なものに思えても、必然のものだと言えるかもしれない。偶然出会ったものや人もまた自分にあるいは相手に強い影響を与えているのだとしたら。どこにも無駄な出会いはないのだ。
「一大シンフォニー」という語から、きわめて広大かつ壮大な宇宙的な空間が想起される。それほどに、すべてのものは関連に満ち、出会いが出会いを生んでいくのだ。
悩むより学ぶ。人と関わる。人生を楽しむ。
新しい環境や場所に自分の身を置くのは怖い。自分を変える、自分が変わるのは怖いと思ってしまう。しかし、先日書いた記事のように、そこが居場所になるかもしれない。新たな居場所を見つけられるかもしれない、ひょっとしたら今よりもっと心地よい居場所を。好きな言葉だから、再度引用しておきたい。
楽しいことばかりではないかもしれない。しかし、きっと楽しみだけでは成長できない。ときには自分の意思に反して向かってくる大変なことから逃げずに、それをしっかり自分の糧にしていく。それができれば、きっともう一段階上の自分になれるだろう。
仕事を頑張るのは、本を通して人々に豊かさを与えたいから。しかしその根底には、自分自身が本に、読書という営みに、そして言葉に支えられているからかもしれない。そして、まずは自分が楽しいと思えなければ、それを人にも与えることはできない。だから、自分を大切に仕事していきたい。それが巡りめぐって、人を、誰かの助けになれる日が来るかもしれない。そういう仕事を、本を通じてしていきたい。