歌詞から導く B'z稲葉浩志の「自由」論
みなさん!お元気でしょうか!このブログを更新するのももはや半年ぶりです…。
突然ですが、「自由」と聞いてまずどういった事を思い浮かぶでしょうか。
私なら拘束が無い状態っていうまあ消極的な要素がまず思い浮かびます。今社会人やってますけど雁字搦めですからね。
あとは少し主体的なニュアンスだと、自分の意思に従う、とか自分の意のままに振る舞う、法の範囲内なら何してもいい状態みたいなことが出てきますかね。
まあ、ある意味「自由」という言葉の意味自体どう捉えるかも「自由」な訳ですが…、
私の推しである、ロックユニット「B'z」のボーカリストであり作詞を担当している稲葉浩志さんは「自由」をどのように解釈しているのか、歌詞から抜粋して考察してみました。
すると、しっかりと自由の「一貫性」が見えてきたので3章に分けて話していきます。
1. 束縛されないことが本当の自由ではない
まずは僕が産まれるより前からあった2022年で言えば30年以上昔の曲から抜粋させていただきました。
ここではっきりと私たちが真っ先に思い浮かぶであろう自由のイメージである、「束縛(拘束)されないこと」を否定しています。
この場合、束縛から抜け出し、しがらみが何も無い状態を指しているのですが、それはあくまで障害もなく自由な状態とは言えるかもしれませんが、ここでは「一時の逃避」と置き換えたのでしょう。
そして、「ゆずれないことをひとつ持つこと」を「本当の自由」の定義としています。
「本当の」という意味は一般的な束縛を受けないという解釈とは異なることを示唆しています。
それは、自由とは「一時の逃避」と正反対である「自分と向き合い続けること」ではないかと思うのです。
何と向き合ったのかと言いますと、まさしく「ゆずれないもの」なのですが、その答えは人によって違うと思います。
自分の中にある確固たる信念、1番分かりやすい表現でいえば「夢」じゃないでしょうか。
大なり小なり夢を持てば壁にぶつかることだってあります。逆境の時もあります。正直その段階ではむしろ「不自由」な環境なのかもしれません。
しかし、稲葉氏はそれを本当の自由と作詞したのです。
では、なぜそれが本当の自由なのでしょうか。それはこの曲が答えを導いてくれます。
2. 自分で選んだ道こそが自由
今からは2022年で言えば15年ほど前に誕生したB'zの「Freedom Train」という曲の歌詞に沿って解釈していこうかなと思います。
上記の「自由」もまた一般的な自分の意のままに振る舞うといったニュアンスであり、早速その意味合いの自由を否定しています。
簡単にうろたえる理由は「自由=責任を負わなくていい」という価値観です。
人生において無数の選択肢が存在しますが、
あの時こうすればよかったんだけどな〜
みたいな後悔を一度はしたことがあるかと思います。
その時きちんと判断して決めたなら自分のせいだと割り切ってる状態ですので後悔は少ないかと思います。逆にテキトーに決めたなら人のせい環境のせいに転嫁するでしょう。
自由をなんでもいいテキトーでいいと履き違えてしまうと後悔を繰り返すようなうろたえてばかりの人生となり人間として成長しないのです。
まさしく選択肢は考える分だけあるわけで、決めるまでは自分が納得するまで熟考しても良いと思います。何を決めるのかは完全に自分の意思に委ねられます。だからこそ決めたからには責任を果たさないといけないわけです。
不満、言い訳…そんな消極的なエネルギーは「自分で決めた自由」を得るためには邪魔なのです。そして終点…すなわち結果を目指すわけです。
前半部分は触れたように自由は自分の思い通りになる事や現実逃避をする事ではないと言っています。
1章でも言ったように、夢や目標を達成するまでは、壁にぶつかったり逆境にぶち当たったり孤立したりうまくいかないことだってある訳です。それはまさしくつらくて寂しくて険しい道のりでしょう。
しかし、それらを噛み締め、前に突き進んでいった先に辿り着く境地こそが「本当の自由」であると稲葉氏は歌詞にしています。
そう、自由は外にあるものではなく自分に秘めているものであり、自分で責任をもって選んだ道こそが自由を手に入れる唯一のルートであると述べています。
屁理屈かもしれませんが人間は最終的には1つの答えを選択するようになっています。(たとえば選択しないというのも1つの選択だし、〇〇とXXを両方選ぶという選択もその〇〇とXXを選んだという1つの事象とみなせば1つの選択となるわけです。)
そして、その選択はたとえ誰から何を言われようがどんな状況であろうが、『最終的にその選択を決めるのは絶対に自分』なのです。
その誰にも介入できない領域=自由なのです。しかし、その自由の領域から選んだ選択をきちんと継続し全うする事が責任として問われるわけです。
諦めること逃げることも選択肢としてあるわけですし別に何しても自由なわけです。逆に言えば継続するのも努力するのも任意であり自由なわけで、そのような環境だからこそ継続していく事が難しいと言っているわけです。
それゆえに達成した時の快感は計り知れないものですし、それが「自分で選んだ自由」を貫いた結果のご褒美なのでしょう。
3. B'z 稲葉氏 にとっての自由
2章ではFreedom Trainって曲を紹介したのですが「自由」という単語と「列車」という単語を並べたセンス凄くないですか。
列車って時刻通りやって来てレールという定められた場所を目的地に向かって行ったり来たりするという、どちらかといえば「不自由」の象徴だと個人的に思うんですよ。
それを自分の自由の価値観を落とし込み、列車に喩えて1つの大きな作品を生み出してるわけですからあんまり認知度は高くない曲ですけど素晴らしい曲だと思ってます。
本当はもう一曲稲葉さんのソロ曲である「Stay Free」という曲を紹介して締めたかったのですが、もうすでに文量も多いですしこの辺にしときましょうか。
ちなみに「自由」を稲葉さんがどのように比喩させたのかという内容で、
歌詞ではそれぞれ
・ゾッとするほど寂しくて 狂おしいほど美しいもの
・三日月のようにとんがって 太陽のように燃え上がるもの
・ケダモノのように乱暴で 儚い花のように気高いもの
と表現されてますが、これは2章の「自由」を理解していただけたなら案外スッと解釈できそうな内容かなと思います。
最後に僕の1番好きな「自由」の歌詞を挙げます。
それは、
周りからの目線や評価などが気になって自分を出せない人がもしかしたらいるかもしれません。
自分のやってみたいと思うことやればいいじゃん!
結果どうなろうが、みんな他人のことなんだし気にしてないから大丈夫!自分が思ってるより自分が及ぼしてる影響力なんて大したことないんだよ
という自意識過剰を270度回転させたような精神でいれば人生における「選択」も楽になるのかもしれません。
みなさんも色んな自由の選択肢を乗り越えて今の自分がいるかと思います。
自分は縛られていたなんて思わずに、自由だった!と最期に誇らしく言えるような人生でありたいですね。
どうも、ありがとうございました〜
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