研修医の責任(感)
こんにちは、ご無沙汰しております。
研修医についてのニュースがあり、Xで一言触れてみましたが、
語弊がありそうなので、長く触れてみることにしました。
1、はじめに
亡くなられた方がいらっしゃる以上、その方及びご家族の方がたのご心痛を考えますと、こうした議論自体が癇に障るものだとは思います。
まずは御冥福をお祈り申し上げます。
2、事例
研修医がSMA症候群を2回見逃して、その後消化器内科・外科相談、内科入院になるも、亡くなられた、経過です。
3、考察
びゅん的には「誤診」という言葉を「外野」が使うことは嫌いです。
しかし自分は「誤診」しているかも?と思いながらいつも検査・治療してます。
今回の件、結構研修医を庇う意見が多いようです。
びゅん的には研修医の「誤診」については慎重に考えないといけないと思ってます。
「誤診」っていうのは、言葉の大きな振れ幅があります。
診断に至らないこと自体は実臨床で沢山あることなので、結果で逆算してすべて「誤診」や「見逃し」というのは、どうなのかと。
さて、閑話休題。
今回研修医が診断には至らなかったこと、は個人的には問題ない、と思ってます。もちろん診断できるにこしたことはないけど。
で、ここから先はちょっと暴論なんですが、個人的には研修医の責任を増やしたほうがいい、と思うんです。
ただ、どちらかというと「責任」というより「責任感」です。
最近研修医は当直入ることを嫌そうにしてません。それはなぜか。
どんな当直でも翌朝帰れるからです。そして主治医にならないから。
そして常勤につきません。非常勤のバイトにつきます。
常勤につくと余計な仕事が増えるかもしれないから。
でも、これ、すごく危ないことやってるんですよね。
普通ならやりません。非常勤=「一番危ない人」に教えてもらっているから。
でも、最近はこれが主流です。後腐れないから。
でも待って、何を研修しているの?君は・・・
一方、びゅんはこの学年になっても、当直嫌です。
何故なら今回のような思いもよらないことが起きるから。
そして主治医として責任をとらないといけないから。
・体調万全でも診断できない難しい病態
・当直で寝不足で思考不足での病態
どっちにしても自分が全責任を負わされます。
結果も大事ですが、「責任感」についてもっと教育したほうがよいと思います。
例えば、今回診断に至らなくても、もし変だと思ったのなら、フォローがいまいちだったと思います。
研修医でも翌日外来フォローできる体制にすればいいのに、と思います。
しかし今の教育としては研修医をできるだけ責任の中心から外そう、とする動きが多いです。でもそれで「いつ」独り立ちできるんでしょうか?
むしろ責任の中心にしたほうがいいのでは?
最近の研修医教育に異をとなえるびゅんでした。
まあでも責任の「重さ」も考えると簡単な問題じゃないですよね。
では、次回の記事でお会いしましょう。
びゅーんと。