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自己紹介(若い頃)

こんにちは、そしてこんばんは。ゆうです。

はじめに自己紹介をしたいと思います。

すぐ行動を起こしてしまう子だった?

 私は、昭和48年に愛知県内で生まれました。ベビーブーム真っ只中のベビーです。幼い頃は海辺で育ち、廻りには漁師さんが多数居ました。そんな場所で育ったものですから、情を大切にしてしまいます。また、5才の時に小さな自転車の輪っぱが外れたのが嬉しくて、12km程度一人旅をしてしまい廻りを困らせてしまいました。私の記憶では、楽しくて仕方がなく、どの道を通って、どこで休憩したかもはっきりと覚えています。これも漁師町ののんびりしつつ、喧騒とした雰囲気が影響しているのかもしれません。


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ブルートレインが大好きな少年

 小学生になると両親の都合で隣町に引っ越し、漁港の町から一転農村の町へと環境が変わり、文化や方言も変わって中々小学校生活に馴染む事が出来ませんでした。しかし、一隅を照らしてくれる友人が出来て、友人の大切さを感じました。安泰な生活が訪れたと思いきや、陰湿ないじめをしてくる人も現れ、辛い日々も多くなってきました。特に、生まれつき両耳が少し不自由な所をからかわれたりした時は、特に辛かったです。この頃から、背格好や、肌の色など、本人ではどうする事も出来ない事をもてあそんだりする人を許さなくなって来ました。また、ブルートレインが好きで、深夜や早朝に近くの線路で「銀河」や「富士」「さくら」などを観たり写真を撮ったりしていました。


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社会に放たれる

 やがて学生生活が終わり、社会に出る時がきましたが、バブル経済は崩壊し、失われた20年と言われた始めに差し掛かりました。地元の建設会社に入社し、のんびりとした日々を送っていました。その頃は将来の夢とかそういうのは全く無く、パチスロを打つ事を楽しみに日々過ごしていました。当時は「トロピカーナ7X」の終わり頃で、2号機と呼ばれる台が出始めた頃です。先輩と朝一モーニングに「スーパーウィンクル」を打ってどちらかが当ててそのお金で一日ブラブラしていました。


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危ない橋も渡って来たヤンチャな時期

 ある日、勤めていた会社を退職し、父親の仕事を手伝うようになりました。父は建設設計業を営んでおり、その手伝いをするという事でNEC PC9801を買って貰いました。Jw_cadという図面を描くソフトを使って建築の設計図や、工事現場の施工図を描く仕事のかたわら、PCに興味が出てきて、色々と試行錯誤しMS-DOSを覚える。今思えば、WINDOWSを使うに当たり、MS-DOSが使えた事は大きなプラスになったと思う。


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