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東城の四暗刻聴牌という極めてスリリングなシーンが、凡ミスによって潰される 

プロ野球でも極まれにふつうのフライボールを落球することがあるように、萬子ホンイツバレバレの萩原に対して,聴牌ですらなかった状況から三萬切りで満貫放銃した瑞原。

誰しもミスをするものだろう。

瑞原に限らずMリーグでもこれまでも度々見かける素人レベルのミスの一つだったと思う。が、問題は東城が四暗刻聴牌という最もスリリングなシーンであり、役満を東城が上がるかどうかはともかく、その最もドキドキするドラマティックなシーンが凡ミスで簡単に流されたことに対して、当noteとしては心底興ざめしたものだ。

コメントの中には「この人は本当にプロなのか?」というものもあったし、中にはあまりのがっかり感のために、放送を見るのを辞めたというMリーグファンもいたくらいだった。

ところで多井は開幕戦の挨拶でおよそこのようなことを言っていた。

他のチームは敵(ライバル)でありながらも、同時に素晴らしい麻雀というドラマを作り上げる共演者でもある」と。

こうしたマクロな視点を持てる多井はやはり非凡であり、Mリーグの熱闘、そのドラマは4人で作り上げるものであると思う。そうした俯瞰する自覚が一流には求められてしかるべきだろう。

ちなみに瑞原の反省の弁は以下の通りであり、そこにはミクロな視点でしか語られていなかった。

東2局2本場、萩原への放銃は「(混一色仕掛けのパターンは)チームメイトから教えられていたことなのに『こんな放銃してしまった!』と思って、頭がごちゃごちゃとなって『今すぐ控室に帰って謝りたい』って。これはトップを取らないと帰れない!」と当時の心境を打ち明けた。

瑞原が謝っていたのは、あくまでチームメイトに対してであり、せいぜいパイレーツファンに対してであり、プロとして求められる最低限の試合のクオリティを確保できなかったことについては全く無頓着であったようだ。

たしかにチームのポイントがどうのこうのも大事だろうが、このような気の抜けたビールのような試合を繰り広げていった時、Mリーグからファンそのものが離れていってしまいかねないというマクロな視点からの危機感が大事ではないのか。

Mリーグのライバルは単に他のチームだけに留まることなく、真のライバルとは実は他のスポーツや動画、映画、漫画などのいわゆる娯楽産業であり、エンドユーザーの限られた時間のシェアをMリーグもまた奪い合っているのだ。

こうした麻雀界全体をマクロで捉えていった時、例えば醍醐が初戦に出た試合は実にテンポが遅く、試合が長すぎるという感想を持つ人は決して少なくなかっただろう。

もちろん、ミクロレベルで言えば試合時間が長くても構わない人も確実にいる。

問題は「エンドユーザーの限られた時間のシェアを他のコンテンツと奪い合っている」というマクロの視点を入れた時、一試合の時間が長すぎることは一般にマイナスなこととして作用するということなのだ。MLBでもピッチロックと言って試合時間の30分近い短縮化に成功し、一般的には大変な成功例としてこの改革は好評を得ている。

こうした時間短縮化のための施策が今後コンテンツとしてMリーグが生き残るためにも必要となるのかもしれない。

 最後に改めて今noteの原点に戻るならば、

麻雀とはドラマティックなものでなければならない。

そして、如何なるMリーガーもそのドラマ性を毀損してはならない。



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