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人の良いところを探しだしたら要注意
これ、私はよくやります。
実は人の良いところを探すのが癖になってしまって。
そう思うとあんまり良い人脈に囲まれていないのかもしれません。
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いつもはスマホでEvernoteに音声で入力するか、リモートマウスでMacのEvernoteに音声入力しています。
今日はたまたま音声入力ができる環境がなかったので、スマホのフリック入力で文章を書こうと思ったのですが、私はフリック入力が得意ではありません。
ファットフィンガーでもないと思うのですが、「は行」を入力しようと思っても、「ら行」や「さ行」をフリックしてなどポイントがずれてしまう癖があり、いつも捗りません。
今日は完全な思いつきなのですが、一度紙のノートに手書きで文章を書いて、それから投稿しようと思いたち、やってみました。
手書きで文章を書くのは久しぶりなのですが、思考がゆっくりの時はこっちの方がいいかもしれませんね。
さて本題ですが、サイコパスに対して本人に「もっといいところがあるのではないか」と考えてしまうことを「公正秩序仮説」というのですね。
私も経験がありますが、サイコパスに限らず厳しい人に対しては、その意図を探りがちです。
20代の頃に出会ったサイコパスの先輩に対しても、これは私を成長させるために厳しく当たっているだけだとか、いつか気づいてくれるはずだなど、淡い期待を寄せていました。
見事に期待は打ち砕かれた訳ですが、今思っても厳しく当たる人の真意はよくわからず、自分の利益のために言っているのか、私のためを思って言ってくれているのか、いつも悩みます。
Win-Winとなるか、Win-Loseとなるかで判断すれば一見わかりやすそうなのですが、短期的に見るとこれもよく分かりません。
そう思うと意図を探ってみたり、いいところを探してみたりすること自体あまり意味がないと思えてきます。
そもそも良いところを探すという行為は、表面的には悪いところばかりあって、良い所でも探しておかないと身が持たないということでもあります。
色々な人と付き合っていく中で、このようにいいとこ探しをしなくてはならないような人と出会い、付き合っていかなくてはならない場合は、サイコパス度の高低に関わらず付き合い方を考えた方が良さそうです。
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