寡黙なのは美徳だと思っていた
話さないことで、ずっと逃げていました。
自分からも、家族からも。
本当のことを話してみたら、みんな傷ついてしまった。
口に出してコミュニケーションするようになったのは、本当にここ最近のことです。
それまでは「察してくれよ」の世界です。
特に身近であればあるほどそうなります。
悲しい現実として、特に父親の存在はそうなります。
仕事で何かあったかなんて、家では話しません。
自分は一生懸命仕事をやっている、そのことは当然家族にも伝わっている。
言葉には出さないけど、当然尊敬されている。
全くの幻想でした。
これほどまでに父親の存在が理解されていないとは。
妻や子供たちの生活に積極的に関与してこなかったせいもあるかもしれません。
良くも悪くも考え方が昭和。
働くこと稼ぐことで父親の価値を見出していました。
仕事においても同じです。
一生懸命やっているのに、何でこんなに評価されないんだ。
ずっとそう思ってきました
若い頃なんて、自分が希望も言わぬまま、そんなことは上司はきっとわかっているはずだ、なんて思っていました。
日本人は空気を読むそういう民族だ。
口に出して希望いうことは、悪いことだとまで思っていました。
口に出さないと伝わらないということは、実は分かっていました。
でも、口に出すのが何か怖いんです。
口に出すと自分が責任を取らなくてはならないからです。
何かあった時に、誰かのせいにしたいんです。
若い時はずっとそうだったのかもしれません。
自分のやりたいことを自分で見つけて、自分が口を出して行ってきたのではなく、
他人が勝手に作ってくれた道を文句言いながら進んできた。
そして、失敗した時は他人のせいにして満足してきた。
結局、口に出してコミュニケーションしないということは、自分が責任を取りたくないということ。
今は違う。
もう遅いと思うけど、自分で責任を取るようにした。
だから積極的に口に出すようにしました。
それで仕事はうまくいきました。
しかし、家庭はうまくいかなくなった。
でもそれは結果が早く出ただけで、遅かれ早かれこうなっていたのは自分でも分かっている。
家族にとっては迷惑だっただろう。
口に出さなければ延命処置できたのに。
子供にとっては青天の霹靂だろう。
それでも、今さらだけど、父親が何考えていたかということを少しは分かってもらえたと思う。
口に出さないと、やっぱりわかってくれない。
そんなこと言われなくてもわかっているのに、
ずっとできなかった。
これさえできていれば、うまくいったのに。