日本のキリスト教会では教えてくれない初期キリスト教時代の不思議な男女関係(2)古代の女性の生活の選択肢としてのスピリチュアルな結婚
先の私の投稿で、パウロも実践?の箇所で引用した聖書の英語版で、「スピリチュアルな結婚」の相手のキリスト教信者の処女が姉妹sisterと呼ばれたことに言及した。その件などを少し付記。
また、エウセビオスの「教会史」に時々見られる「年老いた処女」がどういう存在であったのか、わかる気がする。
スピリチュアルな結婚の相手を姉妹と呼ぶのはなぜ?
Syneisaktism(スピリチュアルな結婚の慣行)の英語版Wikipedia Syneisaktism - Wikipediaにいろいろ面白いことが書いてあるので、それを中心に紹介したい。
「スピリチュアルな結婚とは、男性と女性がそれぞれ純潔の誓いを立てた上で清らかな生活を共にするものだが、法律で認められた関係ではない(Miller, Patricia Cox, ed. Women in Early Christianity : Translations from Greek Texts. Washington, DC, USA: Catholic University of America Press, 2012. Pg. 117. ProQuest ebrary)。多くの場合、女性が男性の家に移り住み、兄弟姉妹として暮らし、双方とも純潔の誓いを守り続けた」とある。
このスピリチュアルな結婚に入った女性のことを、先に紹介したsubintroductae(密かに連れてこられた者)やagapetae(愛された者)に加えて、syneisaktoi(一緒に家に連れてこられた者)とも呼ぶという
スピリチュアルな結婚はいつからの慣行?
スピリチュアルな結婚の慣行は、紀元2世紀頃から起こり、教会の指導者や著作家、教会会議で何度も禁止されたにもかかわらず、中世まで続いたと。
禁欲は、神の国に入るために、使徒パウロやイエスキリストに奨励されていたが、信者が天の王国に入るための殉教の代わりに、スピリチュアルな結婚が起こってきたようだという。命を捧げることなしに、死後の褒美を得られるというわけである(Castelli, Elizabeth (1986). "Virginity and Its Meaning for Women's Sexuality in Early Christianity". Journal of Feminist Studies in Religion. 2 (1): 61–88. ISSN 8755-4178.)。ローマ帝国でキリスト教が受け入れられ、合法化されるとともに殉教は減ったので、スピリチュアルな結婚がよりもてはやされるようになったという。
また、処女性は、地上的な結婚よりも好まれたもう一つの選択肢だった。結婚を、邪悪、喧嘩、罪と苦悩に至る道と見なしたエメサのエウセビオスやヒエロニムスといった著作家によって、処女性は奨励された。紀元2世紀頃の女性にとって、処女性は人気の慣行になった。人気は続く数世紀に十分に高まった。「結婚と出産という構造からの解放であったばかりでなく、身体の情熱と物質性からの解放でもあった」とある研究者は書く(Miller, Patricia Cox, ed. Women in Early Christianity Pg. 117. ProQuest ebrary. 78)。地上的な結婚は女性にとっても罪の多い、また魂に危険なものだったのだ。
女性の自立とスピリチュアルな結婚
禁欲的な処女性を実践する者、特に女性にとって重要だったのは、一度結婚や地上的な喜びを否定した後の生活をどうするかであった。裕福な自立した女性は、自らの所有する家屋で人(男性)から離れた生活をすることが可能であった。家族に養われたシングル女性もいるが、たいていの女性には生計を営む手段がなかった。女性のための修道院はもっと後代にできるもので、2世紀にはほとんどなかった。こうして、スピリチュアルな結婚はそうした女性にとって良い解決策として浮上したようだ。
禁欲を実践する女性は、同じく禁欲を実践する男性と、その男性の家で一緒に住み、公式でない結婚の形で兄弟姉妹として暮らしたようだ。スピリチュアルな結婚は、男性と女性が、感情の上でも魂の上でも親しい友情関係を結ぶ稀な機会を提供したようだ。古代でも男性と女性が友人になれるとは思われていなかった。友情は対等な関係を内包するが、性は対等とはみなされていなかったからだ(Clark, Elizabeth A. (1977). "John Chrysostom and the "Subintroductae"". Church History. 46 (2): 171–185. doi:10.2307/3165004. ISSN 0009-6407.)。この理由で、スピリチュアルな結婚は男性にとっても女性にとっても望ましい解決策と思われたようだ。
イエスキリストはスピリチュアルな結婚を否定?
スピリチュアルな結婚の魅力にもかかわらず、subintroductaeとスピリチュアルな結婚の慣行は、教会会議や著作者、神学者によって引き続き非難されることになった。スピリチュアルな結婚がイエスによって強く奨励されていたわけではないという根拠として挙げられたのが、ヨハネによる福音書20章17節である。イエスの墓に来たマグダラのマリアにイエスが語りかける有名な箇所で、「わたしに触るな」(ノリメタンゲレ)と呼ばれ、絵画にも多く表される;
イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところに行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」
イエスは「わたしに触るな」という命令とともに、マグダラのマリアを押しのけたのだ。
スピリチュアルな結婚を禁じた教会会議の文言
subintroductaeの処女、及びスピリチュアルな結婚の慣行を非難した最初の教会会議は、268年のアンティオキア教会会議で、続いて、300年のエルウィラ教会会議でも同じように非難された;「規定27:司教や他の聖職者は、姉妹か、神に身を捧げた処女の娘としか、一緒に住んではならない。親族以外の女性と一緒に住んではならない」。317年のアンシラ教会会議と、325年のニケアでの最初の公会議でも同じように非難された。ニケア公会議では、規定3でスピリチュアルな結婚を非難し、聖職者全員に、親族の女性以外との女性と一緒に住むことを禁じた(Jurgens, W.A. "First Council of Nicaea." In The Faith of the Early Fathers: Pre-Nicene and Nicene Eras, 283. Liturgical Press, 1970.)。
その後も、スピリチュアルな結婚とsubintroductaeを禁じる布告が、中世までヨーロッパ全土で様々な為政者によって出された。
以下は参考に:スピリチュアルな結婚を非難する著述家たちの言葉
教会の著作家たちや神学者たちもスピリチュアルな結婚の慣行に反対し、非難の言葉を述べている。例えば、アレクサンドリアのアタナシウス、ヒエロニムス、エメサのエウセビオス、ニュッサのグレゴリオス、ヨハネス・クリソストモスである。
アレクサンドリアのアタナシウス
4世紀の著作家で、処女性について2つの書簡がある。2番目の書簡は、聖地エルサレムへの巡礼から戻ってきた処女のグループに宛てたもので、禁欲的な生活をいかに続けるべきかアドバイスを与え、スピリチュアルな結婚に関する箇所もある。スピリチュアルな結婚の慣行とsubintroductaeを非難し、すべての処女が純潔の誓いを立てる時にその人生を捧げる「花婿たるイエス」に対する裏切りであると示唆するのだ。「(花婿イエスを裏切る)そのような大きな危険を顧みることなく、この世の生活にいともたやすくおちってしまう、男性とあえて共に暮らし交わる」処女たちに言及し、スピリチュアルな結婚の慣行を女性にやめるように呼び掛ける。「天の花婿との契約を破ることのないように」と。
ヨハネス・クリソストモス
こちらも4世紀の著述家で、スピリチュアルな結婚について2つの論考がある。両方ともその慣行を非難している。彼の書くところでは、貞節に一緒に住むことは、互いの肉欲を増進させるにすぎないと。肉欲は性交によって満足させられるものではないからと。(「性欲は…静かな情熱に奉仕し、男をしばしば飽食に至らせる…しかし、処女とならば、こうしたことは一つも起きない。処女と一緒に暮らす男は二重の欲望にかき混ぜられる」)。
また、こうしたカップルを共に導くのは、スピリチュアルな愛ではなく、肉欲だというのだ。ヨハネス・クリソストモスも、アタナシウスと同じく、スピリチュアルな結婚は、花婿イエスへの裏切りだととらえている。ヨハネス・クリソストモスの見解は当時の男女の見解一般を反映していると思われる。スピリチュアルな結婚は、男性と女性はそれぞれ異なる半球に住んでいるという伝統的な観念に反するとヨハネス・クリソストモスの著作は語るようだ。