親に感謝という言葉に苦しんでいる人へ 通読目安:5分
親に感謝という言葉に苦しんでいる人へのお話です。
自分を育ててくれた親に感謝しよう。
もっともらしく聞こえるし、中々面と向かって否定しづらいですよね、これ。そして、確かにそれができれば素晴らしいと思います。
でも、世の中には素直に親に感謝できない人もいます。
温かい家庭で育った人には、それが理解できないことがある。
本人が悪いというより、純粋に分からないのだと思います。
そして、そういう人に子供のころの環境について話すと、同情されたり、でも親には感謝すべきだよ、感謝できないのはあなたに問題がある、なんてことを言われることもある。
悪気はないのでしょうけど、そう言われてしまうと、
あなたのように恵まれた環境で育った人は、永遠に分からないでしょうね、と言いたくなるし、二度とデリケートは話をしたいと思わなくなる。
僕は、親に感謝できるならしたほうがいいけど、難しいならする必要はないと思っています。
そうしないと、できない自分はダメ、欠陥がある、心が歪んでる、みたいに、自分否定に走ってしまい、何もいいことはありません。
ただ自分が辛いだけです。
育った環境は、一人ひとり違います。
親にずっと虐待されて育ったり、大人になって、お金の無心とかしてくる親だったら、話すのも嫌だとなってもおかしくありません。
そう思ったって、何も不思議ではないし、自分を責める必要はない。
それが自然な感情です。
血がつながっていても、そのときの親の事情が分かったとしても、許せることと許せないことはある。
血は水よりも濃しと言いますが、必ずしもそうとは言えないわけです。
それでも相手が親であれば、病気なって、もうあまり長くないと分かったら、なんとも言えない気持ちになると思います。
散々自分を苦しめた相手・・・清々すると思ったり、数少ない愛情の記憶を思い出して、苦しい気持ちになったり、どんなに憎くても、トラウマを植え付けられたとしても、やっぱり悲しいという気持ちだったり・・・
いろいろなものが混ざって、人に説明して、理解してもらうのが難しい気持ちになる。
でも、自分は分かるはずです、自分の中の複雑な気持ちが。
人に理解されなくても、自分でそれを否定することはない。
そう思う自分を、自分の気持ちを、素直に受け止めればいいんです。
親を許せないことも、感謝できないことも、あなたに欠陥があるからではありません。
だから、そう思う自分を許してあげてください。
感謝するのが正しいと言われて、そうですねと言って感謝できるほど、人間の感情は単純ではないから。
そういう感情を受容して、許して、距離を置いて見られるようになったとき、いろいろあったけど、感謝もしている、と思えてきます。
ざわつかず、サラっとした、棘のない気持ちで。
そうなれば、その環状からようやく解放されて、楽になる。
それで十分です。
だからもし誰かに、感謝できないのはおかしいと言われても、それはそれとして、できない自分を否定せず、時間をかけて処理していってください。
感謝は強制されてするものじゃなく、自然と湧いてくるものだから。
それでいいんです。