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鬼滅の刃はなぜ人を魅了するのか?(ネタバレあり)

<見出し一覧>
◉王道ながら、心を揺さぶるストーリー
主人公の目的の明確化と共感
◉ストーリー展開は早い? 物語のテンポとリズム
◉疲れさせず飽きさせず ストーリーのコントラスト
◉もう一話だけ……ストーリーに組み込まれた知識のギャップ
◉物語でも人間関係は複雑 対立というスパイス
◉キャラは人形ではない 葛藤が生み出す重厚感
◉内的問題との向き合い方が、キャラの方向性を決める
◉今に至る歴史を編み込まれたキャラ設定
◉鬼にも理由がある
◉唯一の例外 ラスボス 鬼舞辻無惨
◉もっとも大切なもの


◉王道ながら、心を揺さぶるストーリー
物語は、貧しくも、明るく心優しい家族と幸せな生活を送ってた竈門炭治郎(主人公)と、妹の竈門禰豆子(ヒロイン)が、鬼という異形の存在によって、その幸せを破壊されるところから始まる。

炭治郎が家を離れたときに、家族は襲われ、禰豆子以外は全員死亡。生き残った禰豆子も鬼へと変貌しており、炭治郎は幸せから一転、あまりにも残酷な現実に叩き落とされることになる。

そして炭治郎は、鬼と戦う鬼殺隊(きさつたい)で、柱と呼ばれる最高位の剣士の一人、冨岡義勇との出会いをきっかけに、家族を襲った鬼を倒し、禰豆子を人間に戻すために旅に出る。

鬼という明確な敵がいて、その敵を倒し、大切なものを取り戻すために旅に出る、そして主人公は少年というのは、王道ど真ん中の構成と言える。だが、王道を貫きながらも、読み手の心を揺さぶる要素が散りばめられている。

この記事では、物語に散りばめられた魅力の中から、ストーリー構成とキャラクター設定という、二つの面を取り上げ、鬼滅の刃が多くの人を魅了する理由を解説する。


◉主人公の目的の明確化と共感
主人公である炭治郎の行動の目的は、第一話で明確になる。
それは、家族を襲った鬼を倒し、唯一生き残ったもの、鬼になってしまった妹の禰豆子を、人間に戻すこと。鬼を人間に戻すことができるのかどうか分からないが、わずかな可能性を信じて、炭治郎は旅立つ。

物語において、主人公の目的を序盤に明確にすることは、極めて重要である。
そうすることで、読み手もまた、物語がどこに向かっていくのか、主人公が何を求めて行動するのかを、即座に理解できる。さらに、炭治郎は貧しいながらも、その現実に腐ることなく、優しく、ひたむきに生きており、家族仲も良く、読み手は、そんな炭治郎と家族に親しみを覚える。

そんな人たちが、ある日突然、理不尽に命を奪われる。
炭治郎や家族は、何も悪くない。もっと報われてもいいとさえ思える彼らに、これ以上ないほどの悲劇が起こり、妹が鬼になってしまったことで、炭治郎は最愛の妹を自分の手で殺さなければならないという、悲劇の上塗りのような決断を迫られる。

その現実を見て、読み手は彼らに同情する。なぜこんなに良い人たちが、こんな目に遭わなければならないのかと考える。

普通に考えるなら、助けに現れた冨岡義勇に任せてしまうか、どうしようもないこととして、自分で手を下すか(それがせめても慈悲になることもある)、鬼となった妹に殺されることを選ぶか……ということになるだろう。

少なくとも、鬼滅の刃の世界では、鬼に変貌したものは人を喰らうようになり、殺す以外ない存在と認知されている。

だが炭治郎は、鬼になった妹を殺すのではなく、元に戻すという、これまで誰も考えなかった決断をする。鬼滅の刃を外から見ている読み手からすれば、その選択肢も、少し考えれば出てくるかもしれないが、その世界の中にいるキャラたちが、その発想を見出すのは難しい。

それに、炭治郎は鬼と戦う術もなく、敵に同情する、ある意味では弱さとも取れる心の持ち主で、妹を人間に戻すなど、絵空事にしか聞こえないほどの力しかない。だが、頼りないながらも、絶対に妹を人間に戻すという想いだけは、リアリストである最高位の剣士すら動かすほどに強い。

そんな炭治郎に、読み手は共感し、応援したくなるのである。


◉ストーリー展開は早い? 物語のテンポとリズム
ストーリーは、少々速めに進む。
それも良さの一つとも言えるが、個人的にはもう少し伸ばしてもいいのではないかと思う。だがそこは、好みが分かれるところでもあるかもしれない。

ストーリーのテンポというのは、塩梅が難しい。
速すぎれば、読み手は置いてけぼりになり、遅すぎれば飽きてしまう。さらには、リズムもある。アクションシーンを間延びするような展開にすれば、せっかくの白熱のシーンが、延びたラーメンのようになってしまう。

そういったことを踏まえても、鬼滅の刃のストーリー展開は、少々速いと思う。

矢継ぎ早に任務がくる鬼殺隊の性質上、しかたないのかもしれないが、なんというか、少し息抜きをするタイミングがほしい、という気もする。だが、それでも先を読み進めてしまうのには、理由がある。


◉疲れさせず飽きさせず ストーリーのコントラスト
読み進めてしまう理由の一つは、要所要所で、キャラたちの背景が描かれ、それがコントラストになっているからだ。

鬼滅の刃は戦いが多い漫画だが、激しいバトルがハイスピードで進む中、途中または戦いが終わったときに、主人公側、敵側問わず、そこに至るまでの回想のようなものが入る。

それは、あるキャラがなぜ今のような行動を取るのか、なぜそう考えるのかといった理由を、自然な形で読み手に見せると同時に、リズムという意味では、バトルシーンを「動」とするなら、「静」の役割を果たし、ストーリーを作る上で重要な要素の一つである、コントラストを作り出しているのだ。

コントラストとは、たとえばシリアスなシーンが続いたあとに、少し笑いが出るようなシーンが入ったり、シリアスの中にちょっとしたコミカル要素を入れたりして、読み手を疲れさせないリズムを作り出すことである。

とはいえ、内容によっては、コミカルを入れると違和感が出て、せっかくストーリーに入り込んでいる読み手を、現実に引き戻してしまう……白けるような……ことにもなりかねない。

その点、生死をかけた戦いの途中、または決着後に、キャラの背景を描くのは、読み手を疲れさせず、ストーリーに引き込んだまま、少し休憩を入れてもらうようなコントラストになっていると言える。


◉もう一話だけ……ストーリーに組み込まれた知識のギャップ
キャラたちの背景が明らかになったり、無惨とは結局何者で、何が目的なのか、過去に何があったのか、呼吸とはなんなのか、炭治郎はなぜ呼吸を2つ使えるのかなど、読み進めていくと、いろいろな疑問が出てくる。

それらの疑問は、少し分かったと思ったら、また新たな謎が出てきたりして、中々結論にたどり着かない。

これは、読み手にページをめくらせ続けるために重要な要素である。

人間には、不足している知識を埋めたいという欲求がある。

たとえばネット記事で「俳優の●●が殺人容疑で逮捕? ●●を狂わせた美人占い師の正体」などという見出しがあったら、その俳優に興味がなくても、なんとなく見たくなってしまわないだろうか。クリックしなくても、少し気になる……ということはないだろうか。

それは、見出しが知識のギャップを作り出しているからで、人間には、そのギャップを埋めたいという欲求があるためだ。

だから、ストーリーの中で、小出しにいろいろな情報が出されると、それがなんなのか、答えを知りたくなる。そうして、もう一話だけ、いや、もう一話見たらやめる……と思っても、どんどん読み進めてしまう。知りたい欲求が満たされないまま、宙吊り状態になっているということである。そうなると、分かっていてもページをめくってしまう。

ただし、注意点もある。
いくら宙吊り状態がいいといっても、いつまでも何も分からない展開であれば、読み手はフラストレーションが溜まり、最終的には本を閉じてしまう。

だから、少しずつは知識のギャップを埋めてあげる必要がある。それと同じような方法で、主人公が目的を達成するために行動をする中で、ある問題が解決すると、また別の問題が起こる、という流れがある。

場合によっては、ある問題を解決するために取った行動が、別の問題を引き起こしてしまうこともある。

そうやって、問題発生→解決→問題発生→解決……という流れを繰り返し、クライマックスにたどり着き、エンディングに至る。その流れを作り出すことで、読み手を最後まで導くことができる。

たとえば、一話一話の終わりを、戦いの決着が次でつきそうなシーンにしたり、キャラが何か重要なことに気づいたようにしたり、絶体絶命のピンチで、意外なキャラが助けにきたり、誰かが来たというところだけを見せたりすることで、読み手は次の一話も読みたくなる。そして気づいたら、一巻を読み終えており、また次の巻を……というふうになる。

カラクリを知っていても、先を読みたい気持ちは止まらない。
それぐらい、強力な手法である。


◉物語でも人間関係は複雑 対立というスパイス
人間と鬼との対立はもちろんだが、味方の中での対立も重要だ。
鬼殺隊は、全員が主の元、同じ目的をもって動いているものの、それぞれが内側に抱えている想いは違う。

それは、ときに対立を生み、犬猿の仲を作り出すこともあれば、対立を通じて分かり合ったり、信頼関係を築くこともある。

たとえば、風の呼吸の使い手で、柱でもある不死川実弥(しなずがわ さねみ)は、どんな鬼でも、鬼は鬼として見ており、禰豆子のことも、禰豆子を守ろうとする炭治郎のことも、良くは思っていない。炭治郎もまた、妹に危害を加えようとする実弥を、快くは思っていない。

こういった対立は、ストーリーに重厚感をもたせる。味方全員が仲良しで、何の対立も起こらないなら、平和でいいだろうが、物足りなさを感じてしまう。人間関係はそんなに単純ではないことは、子供でもなんとなく理解していることだろう。

そして、そういった対立があるからこそ、それを乗り越えて強くなったり、協力して同じ目的のために戦ったりするシーンがあると、熱いものを感じる。対立を乗り越えることが容易ではないからこそ、人間関係のリアルさが出るし、読み手は心を揺さぶられ、それぞれのキャラに共感し、ときには憧れのようなものを覚えたりしながら、ストーリーに引き込まれていく。

対立は、一辺倒になりがちなキャラ同士の関係を、味わい深いものに変える、スパイスのようなものなのである。


◉キャラは人形ではない 葛藤が生み出す重厚感
完全無敵なスーパーマンや、全知全能の神様ならともかく、大半の人は、様々なことに迷い、葛藤の中で物事を決断して、人生を作っていく。

フィクションのキャラであっても、それは同じだ。

それが正しいと分かっていても、逆に駄目だと、悪いことだと分かっていても、自分が"今"置かれている状況によっては、心理的に追いつめられ、間違った決断をしてしまうこともある。迷いながらも、後悔することが分かっても、そうせざるを得ない決断をしてしまうこともある。

そんな、人間誰しも持っている葛藤を描写することで、読み手はキャラに感情移入し、ストーリーに完全に入り込むことができる。

完全無欠は、あるシーンでは安心感があるし、ワクワクもするが、共感を呼ぶことはほとんどない。

たとえば、鬼を斬り伏せるにも、炭治郎は心に様々な想いを持つし、同情さえする。他のキャラも、敵に情けは無用とばかりに斬り伏せる者もいるが、感情的に何も感じないわけでもなければ、喜んで斬る者もいない。敵がどんな存在が分かっていて、怒りや憎しみ、悲しみが奥底にあるからこそ、容赦はないが、そこに喜びはない。

敵とはいえ、喜んで斬り伏せるようなキャラ……少なくとも、そんな主人公に共感する人は少ない。完全無欠に見えても、そういう人間臭さがあるからこそ、共感を呼べるのである。


◉内的問題との向き合い方が、キャラの方向性を決める
ストーリーを展開する上で、葛藤と同じぐらい重要な要素は、キャラそれぞれが持つ内的問題である。

たとえば炭治郎は、思いやりが強すぎて、判断が遅いと、鱗滝左近次に言われている。それは炭治郎の良さでもあるし、平時であれば美徳ですらあるかもしれないが、一瞬の迷いが生死を分ける戦場では弱さになる。鬼という迷いのない殺意をもっている者が相手では、なおさらだ。

家族の仇を討ち、妹を人間に戻すという決意は持っていても、それを実現するには力は足りず、己の無力さに心が折れそうになることもある。一話目では、冨岡義勇に、生殺与奪の権を他人に握らせるなと一喝されている。

そういった内的な問題と向き合い、乗り越え、キャラは成長していく。炭治郎は最終決戦で、煉獄杏寿郎を屠った上弦の参、猗窩座(あかざ)を相手に、引けを取らない戦いを繰り広げ、極限状態で必殺の境地に至り、最後には、無惨を打ち倒すまでになる。

もちろん、炭治郎一人で倒したわけではない。仲間たちの尊い命の犠牲があってのことで、炭治郎もまた、それを理解していて、死んでいった仲間たちの想いを背負って戦う。勝たなければならないというより、絶対に負けられない理由を背負って。

物語のスタート時点では、戦う理由は個人的なものだけだったが、最終戦はそうではない、ということである。背負うものが炭治郎の剣を重くし、やがてその鬼滅の刃は、無惨を打ち倒す。その姿もまた、読み手の感情を揺さぶる。

炭治郎だけではない。それぞれのキャラが、それぞれの理由で自分を奮い立たせ、戦い、成長していく。

そういったキャラたちの行動や成長に、読み手は感情を揺さぶられ、ストーリーに引き込まれていくのである。


◉今に至る歴史を編み込まれたキャラ設定
では次に、キャラの設定について見てみる。
鬼滅の刃の魅力の一つは、キャラそれぞれの背景の濃さにある。
それらすべてが、ストーリーの中で描写されるわけではないが、背景がしっかりと作り込まれているからこそ、同じ出来事であっても、キャラごとに反応が違うし、それぞれが独自の行動に出る。

人間だけではなく、鬼という、作中では悪とされる存在であっても、人を喰らうという共通の行動以外の部分では、人間であったころの出来事が影響が反映されている。そういった、背景から出る行動は、作者に動かされているというより、命を吹き込まれたキャラたちが、自分なりの考えをもって動いているようなリアルさをもつ。

鬼殺隊の隊員たちにも、それぞれ鬼と戦う理由がある。

たとえば、風の呼吸を使う不死川実弥は、鬼をこの世から滅殺するという想いが人一倍強く、禰豆子を最初に見たときは、自らの腕を斬りつけ、禰豆子も他の鬼と同じだと証明しようとしたり、弟である玄弥に対しても、敵であるかのように接する、粗暴な人物のように見える。

だが、それには理由がある。

7人家族だった実弥は、酒に溺れて母親を殴る父親が死んだ後、玄弥と一緒に家族を守ろうと頑張っていたが、ある日、帰りが遅い母親を探しに行った隙に、家族が鬼に殺されてしまい、その鬼が母親だったという、悲痛な現実に直面する。

さらには、母親を殺してしまったあと、立ち尽くしていたところを、医者を呼びに行った玄弥に見られ、弟から人殺しと言われることになってしまう。
その後、鬼殺隊に入り、やがて玄弥は、実弥が人殺しではないことを知り、誤りたいと懇願するも、実弥は玄弥にキツくあたり、鬼殺隊に入ることも認めなかった。

だが、彼が弟にキツく当たるのは、自分を人殺しと呼んだ恨みという、小さなことではなかった。

家族を失い、唯一残った玄弥には、幸せな家庭を築き、死んでしまった弟や妹が得られなかった愛情を、妻や子供に注いで欲しい、それができる世界を、鬼を滅殺して必ず作り上げる、二度と幸せを壊させない……そんな不器用で強い、執念とも言える想いがあった。

「そこには絶対に俺が 鬼なんて来させねぇから……」

上弦の壱である黒死牟との戦いのときに、瀕死の弟にかけたこのひと言は、実弥の弟に対する想いと、優しさが込められている。

愛する人が、幸せに暮らしていける世界にする……
傷だらけの外見や、表面的な態度や行動からは想像できない秘めた想いが、実弥の戦う理由なのである。


◉鬼にも理由がある
鬼たちもまた、上弦、下弦という上級の鬼になるほど、背景も濃い。やっていることが残酷でも、その行動の裏には、どこか人間的な弱さや無念さのようなものがあり、必ずしも出鱈目な理由とも言えず、単純な悪と言い切れない、一種の切なさのようなものが感じられる。

たとえば、上弦の参である猗窩座(あかざ)は、ひたすら強さを求め、弱者は存在する価値すらないという態度で、何百もの人間を殺して喰らってきた、柱の一人である煉獄杏寿郎すを倒すほどの、恐ろしい鬼である。

だが、彼がそこまで強さを求める理由は、人間だったときの想いにあった。
病気で、自分を助けるために、息子が窃盗を繰り返すことに心を痛めて自殺した父親。自暴自棄になっていたとき、それを受け入れ、素流という流儀の技を教えてくれた、格闘の師匠であり、恩人でもある慶蔵。慶蔵の娘で、後に妻となった恋雪。

この世でもっとも大切な者たちを守れなかった……その無念さが、強さを求める原動力だった。つまり、誰よりも強くなりたいという、単純で個人的な理由ではなく、大切な者を守るために強くなりたいという想いが、根底にあったのだ。

そして、本当は誰よりも自分のことを、自分の弱さを許せなかった猗窩座は、最期には人間らしさを取り戻し、消滅した。

彼が鬼になってから行ってきたことは、決して許されることではない。だが、彼が人間のときに味わったことと、それに付随する行動は、単純に、やってはいけないことだと否定できない感情が湧いてくるのではないだろうか。

愛する者を殺されれば、その相手に対して怒りと殺意を覚えるのは、人間として自然なこと。主人公たちの敵であっても、鬼という恐ろしい存在であっても、その部分には、複雑な共感を覚える。やったことは許されないかもしれないけど、気持ちは分かる、と。

加えて、猗窩座は残虐な鬼に変わっても、女性のことは喰らわないどころか、殺すこともしなかった。師匠と妻を毒殺した道場の連中を皆殺しにしたときも、女中には何もしていない。猗窩座は、自身の内的問題との向き合い方を誤ったため、鬼となってしまったとも言えるが、それを単純に責めるのも憚られるような、複雑な想いを抱かされる。

そんなふうに、たとえ主人公たちの敵である存在であっても、表面上はどんなに残酷でも、葛藤や複雑な想いが、背景としてしっかり編み込まれている。それは、キャラに重厚感を持たせ、物語全体を盛り上げ、読み手をストーリーの中に引き込むのである。


◉唯一の例外 ラスボス 鬼舞辻無惨
人間も鬼も、内側に葛藤や問題を抱えながら生きている中、唯一、鬼舞辻無惨だけが、己の願望のためだけに、人間も鬼も利用する、自分以外誰も信じない、純粋悪な存在と言える。純度100%の悪、と言ったところだろうか。

自分が太陽の下でも生きられる永遠の存在になるために、自分以外のすべてを犠牲にすることを、なんとも思っていない。そういう意味では、人間も鬼も、すべて無惨の被害者ということもできる。

また、無惨には、上弦の鬼が持っているような技も、柱が使う呼吸もない。伸縮自在な腕と、脳や心臓が複数あること、それらを移動させることができ、斬られた瞬間に再生する、驚異的な再生力はあるものの、上弦の鬼たちがもっているような、名のついた技もなく、攻撃も単調だ。

だが、それが怖さでもある。

なぜなら、ただ純粋に、強いからだ。
小細工は通用せず、その単調な攻撃のスピードとパワーは、柱すら一撃で吹き飛ばすほど強力で、打ち破るには、その攻撃をかいくぐり、休みなく攻撃し続けるしかない。シンプルな強さだが、だからこそ、技を考える必要もなかったとも考えられる。それは、他の追随を許さないほど、圧倒的な強さを持つ存在と言えるのではないだろうか。

また、他のキャラたちが全員、内側に複雑な想いを持っているにも関わらず、シンプルな想いだけで動いている無惨は、その内側の要素が、戦う姿にも反映されているようにも見える。

加えて、人が弱っているときに、その想いを叶えるチャンス……鬼の血を与える……を提案し、手駒を増やす姿は、カルトの教祖や詐欺師のようですらある。

炭治郎に、おまえはこの世に生きていてはいけない生物だと言わせるほどの、圧倒的な悪であり、単純を極めたその強さと、人の弱みにつけ込んで取り込む狡猾さは、ラスボスにふさわしいと言えるだろう。

しかし、人に何も与えないものは、やがて人から何ももらえなくなると、愈史郎(ゆしろう)が言っていたように、奪い続けるだけだった無惨は、最期は一人になり、この世を去った。

当然だろう。
恨みや怒りや絶望で満たされ、失うものが何もない、判断力が皆無のような状態の相手ならともかく、守りたいものがあり、帰る場所がある者には、無惨の言葉は届かない。自分一人だけが永遠に生きる世界など、退屈なだけだからだ。

だが、自らの存在を天災だという、純度100%の悪である無惨と、大切な人が笑顔で、理不尽に脅かされることなく、天寿を全うできる世の中を作るために、自らの命すら投げ打って戦う鬼殺隊の想いは、物語全体を際立たせるコントラストとなり、鬼滅の刃という作品を面白くする理由の一つになっているのである。


◉もっとも大切なもの
以上、鬼滅の刃が人を惹きつける理由を書いてみたが、実はもう一つ、大切な要素がある。

それは、世界観である。

私が書いてきた惹きつける理由は、物語を作る上で大切なことではあるが、学べば知ることができて、身につけることができるメソッドである。しかし、いくらそれらを駆使しても、物語の雰囲気を作る世界観がなければ、人を魅了するのは難しい。そして世界観は、一人ひとりが持っているものであり、同じ設定で話を作っても、一人ひとり違う物語になる、その違いをもたらすものになる。

書き手の根底にある思考や信念が、世界観を作り出す。
それがなければ、どんなに優れたメソッドを使っても、ただ構成がうまい話になってしまう。

わざわざ想いを込める必要はないが、自分の想いはしっかりともって物語を作ることで、世界観は宿る。その世界観をしっかりと味わってもらうために必要なのが、ここまで書いてきたメソッドたちである。

優れた物語は、人の人生すら変える力がある。
フィクションかノンフィクションかは関係ない。

物語の中で描かれるキャラクターたちの生き様が、読み手の感情を揺さぶり、それが読み手の実生活での考え方や行動にも影響する。それが、ストーリーの力である。
だが、それは世界観があってこそ。

鬼滅の刃は、しっかりとした世界観に、人を惹きつけるためのメソッドをふんだんに使った物語だからこそ、ここまで人を惹きつけるのである。


みなさんに元気や癒やし、学びやある問題に対して考えるキッカケを提供し、みなさんの毎日が今よりもっと良くなるように、ジャンル問わず、従来の形に囚われず、物語を紡いでいきます。 一緒に、前に進みましょう。