期限一週間の願い事 第9話(最終話) 結末(全9話)【小説】
第9話(最終話) 結末
最後の願いを叶えられる日の朝、斎賀は、ビジネスホテルで目を覚ました。
時刻は、午前7時。
ゆっくりと出勤の準備をして、8時過ぎには会社に着いた。
役員たちは、すでに仕事を始めているらしく、会議室には明かりが灯っている。一応、顔だけ出して挨拶したあと、社長室に向かった。
特に何か、やらなければならないことがあるわけじゃなかったが、ふと思い出した。自分が就任式で言った言葉……お飾りになったとはいえ、まだできることはある……
斎賀は、案内役として秘書に同行してもらい、それぞれの部署に顔を出して、現場の声を聞き、それをメモして回った。社員たちは、社長が本当に現場の声を聞きに来てくれたことに感激し、いろいろなことを話してくれた。
その中には、あまり好ましくないものも含まれていたが、斎賀はそれを社長室に持ち帰り、まとめた後、役員たちが集まっている会議室に持っていくと、これをどう使うかは君たちに任せる、とだけ言い残して、会社を出た。
もう、外は暗くなり始めているが、黒岩との約束までは、まだ時間がある。
久しぶりにゆっくり食事でも取ろうと、目に止まったレストランに入った。
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内野は、翌日も会議と対応に追われていた。
常務の山中は、ずっと内野の動きを気にしており、中々外に出る隙ができない。イライラしたが、社長という立場である以上、この場を離れてあとは任せるというのは、言い訳が難しかった。
一般社員なら、命令すればそれで済むが、ともに問題の対応にあたっている役員には、それは難しい。彼らはものを言うし、言わなければならない立場であることも理解している。
だが、今日の最後の願いだけは、逃すわけにはいかなかった。
もう何を願うかも決まっていた。
それが叶えられれば、すべては解決する……その確信もあった。
「社長、どちらに?」
日が暮れて、外に出ようとすると、山中が声をかけてきた。
「食事だ。
朝から何も食べてない。
それぐらいいいだろ」
「食事なら、何か頼んでここに持ってこさせます」
「食えればいいってもんじゃない。
気分転換が必要なんだよ」
「……しかし……」
「戻ってくるから心配するな。
みんなにもそう言っておいてくれ」
「……ではせめて、行き先を教えてください」
「これから外に出て、何を食べるか決める。
今は行き先なんて分からねぇよ」
「……分かりました。
しかしこれだけは言っておきます」
「……?」
「もし、責任逃れのようなことをすれば、この会社も、あなた自身も終わりです。それだけは理解しておいてください」
「……」
山中はそれだけ言うと、会議室に戻っていった。
すべてが終わる……
分かっている、分かっているさ……
解決しない限り、未来がないことは……
内野は、急ぎ会社を出ると、BARファータスに向かった。
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「こんばんは、黒岩さん」
斎賀は、カウンターに座る黒岩の横に座りながら言った。
「斎賀さん、久しぶりだね」
「ええ。
すみません、何度もすっぽかしてしまって……」
「構わないよ。
しかし……前に会ったときと、顔つきが変わったね。何かから解放されたような、それでいて、初めて会ったときとも違う」
「ええ……実は……」
「……なるほど、そういうことだったか。
大変だったね」
「いえ……」
「それで、最後の願いはどうする?」
「……最後の願いは……
すべて元通りにしてほしい。
それが、俺の最後の願いです」
「元通りというのは、最初の願いを叶える前の状態にしてくれ、ということかな?」
「そうです」
「そうすると、3億円もなくなることになるが……」
「ええ、そうでしょうね。
でも、内野さんの願いがあるから、いずれ何かしらの形でなくなると思うんです、3億円も……それに、もし3億円を維持したいと願ったとしても、今の俺には、そんな大金をうまく使うことはできない……
分かったんですよ。
願いを叶えてもらって、何でも手に入っても、それを使いこなす自分は、自分で育てていくしかないんだって……
俺はずっと、お金があったり、それなりの地位があったりしたら、幸せになれると思ってました。生活の心配もする必要がなく、周囲からも一目置かれて、重宝される……それは、以前の自分が望んでいたことでした。
だけど、それらを手に入れた世界は、思っていたのと違った……それで気づいたんです。自分が本当は何を欲しているのか、まずはそれを知ること。それが分かったら、それを手に入れるために必要な行動をし続けないといけないって。だから、全部リセットして、一からやり直すのがいいって思ったんです。
それに、全部なくなっても、無駄じゃないですよ。社長っていう経験もできたし、大金が銀行にあるっていう状態も実感しました。それは、自分の中にずっと残りますから」
「なるほど……
斎賀さんの気持ちは、よく分かった。
じゃあ、最後の願いを叶えよう」
「……」
「……」
「さあ、これで元通りだ」
「ありがとうございます。
唯一、心残りがあるとすれば……理想の女性、愛梨さんのことですけど……
でも、きっと彼女と食事をしても、その先はなかったと思います。社長という肩書きはあっても、中身が追いついていなかった。肩書きは人を成長させると言いますけど、それは今の自分より少し上の場所に行ったときの話で、いきなり社長になっても、対応しきれません。どんなに、想像の中で社長としての自分を固めていても、きっと……」
「そういうことに気づけたのは、大きかったと思う。きっと、君はこれから、どんどん成長していくだろう」
「そうありたいと思っています」
「そうだ、一つ、言っていなかった種明かしをしよう」
「種明かし?」
「ある種の願いには、人それぞれの持っている前提や、考え方が反映されるんだ。単純にお金が欲しいというだけなら、誰が願っても変わらない。しかし、社長になりたいといった場合、どういうステップを踏んで社長になったか、そのステップの部分に、一人ひとりの持っている前提や考え方が反映される。だから、社長になったとき、会社がどんな状態かは、人によって違う」
「そういうことだったんですか……」
バンッ!!
乱暴にドアが開く音がして、黒岩と斎賀が振り返ると、息を切らせた内野がいた。
「内野さん……」
「黒岩さんっ!!」
周囲の目も気にせず、内野は黒岩のところまで走り寄った。
「随分と慌てているようだね、内野さん」
「最後の願い、叶えてくれ」
「ああ。
どんな願いかな?」
「俺に、黒岩さんと同じ能力をくれ」
「同じ能力? 願いを叶える力のことかな?」
「そうだっ!!
それさえあれば……今の窮地を脱出できるし、今後何があっても、対処できる……!」
「……なるほど。
最後の願いは、本当にそれでいいんだね?」
「ああ。それしかたない。
頼む」
「分かった」
「……」
「……」
「叶えたよ。
君も同じように、願いを叶えられるようになった」
「よし……!!
よぉし……!!!
これで……これで窮地を脱出できる……俺は……未来永劫成功者だ……!
……そうだ、願いはどうやって叶えればいい?」
「望む願いを頭に思い浮かべるだけだよ。
願いを叶えてほしいと言っている相手のね」
「……は? 相手の……?」
「そうだよ。
私のその能力は、自分の願いは叶えられない。叶えられるのは、人の願いだけだ」
「そんな……でも……あんたはこの能力を使って、今の地位や経済力を得たんだろ……?」
「それは違う。
今の地位や資産は、地味なことを積み重ねて、少しずつ手に入れていったものだ。運が味方をしてくれたこともあった。しかし、運に任せたりはしなかった。いつチャンスがきても、それを生かせるように、舞い降りた幸運を生かせるようにしてきた。だから、今の私がある」
「そん……な……じゃあ……じゃあ俺は……」
内野は狂ったように泣き叫びながら、その場に座り込んだ。
斎賀は、何か声をかけようかと思ったが、うまい言葉が見つからず、なぜか強い眠気に襲われて、そのまま意識を失くした。
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「興味深い結果ね」
小山内果穂(おさない かほ)は、真っ暗になったモニターを見ながら言った。
株式会社トリニタスの一室。
モニターとパソコンが複数置かれているその部屋には、果穂の他に、数人の男と女がいる。彼らはずっと、被験者である斎賀と内野が、脳の中で見せる行動を、モニターを通して見ていた。
「確かに、彼らに説明したとおり、心理学の実験ということなら、興味深い内容だと思いますが、これを女性の婚活に役立てるのは……少し刺激が強い気がします」
システム担当者である本宮が言った。
「相手の男がどんな人間か……会って話すだけではわからないこともあるし、結婚してから何か発覚しても、手遅れということもあります。そういう意味では、事前にどんな人間なのか知ることができるのは、大きな意味があるとは思いますが、しかし……」
「そうね。
これ、一般に言われる個人情報以上のディープな個人情報だもんね」
「やり方を変えるか、内容を変えるか……いずれにしても、サービスリリースまでには、まだ調整が必要だと思います」
「分かったわ。
でも、今日はもう、みんな疲れたでしょ?
続きは週明けにしましょう」
果穂はそう言うと椅子から立ち上がり、部屋を出た。
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内野は、ベッドの上で目を覚ました。
周囲には、見たこともないような装置が並んでおり、頭には、何か電極のようなものが貼り付けられている。
「……?」
ここはどこだろう……
記憶が曖昧だったが、やがて思い出した。
貯金が心細くなってきて、どうしようかと思っていたとき、ある会社が心理学実験の被験者を募集していて、報酬が5万と書かれていた。それに釣られて応募して、それで……
「お疲れさまでした」
ベッドで上半身を起こし、記憶をたどっていると、白衣を来た男が部屋に入ってきた。
「実験は無事に終わりました。
とてもいいデータが取れましたよ。これ、報酬の5万円です」
「ありがとうございます……あの、このあとは……?」
「着替えて、帰っていただいてけっこうです」
「そうですか……じゃあ、失礼します……」
同じころ、内野もまた、報酬の5万円を受け取っていた。
自分の服に着替え、会社の外に出たが、なぜか気分は最悪だった。
体のどこかがおかしいわけではない。
ただ、ひどい夢を見ていたような、脳に何か、黒っぽいものがまとわりついている感じがしたが、理由が分からない。
「こんなときは、どこかに飲みに行くのがいいか……」
呟くように言うと、そのまま飲み屋があるほうへ歩いていった。
一ヶ月後。
斎賀は、ようやく新しい仕事を見つけていた。
出勤は来月からだが、仕事が決まったことにホッとしていた。
あの心理学実験を受けた日から、どこか今までと違う自分がいて、もう一度、地道な努力をしてみようという気になり、コツコツとやっていた結果、仕事も決まったのだった。
「ウィスキー……あ、いや、ジントニックをください」
就職祝いに、一人で飲みに来たBARで、なぜかウィスキーと言いかけた自分にびっくりした。
今までほとんど飲んだこともないのに、自然と口から出そうになった。
だが、あまり深く考えてもしょうがない。
今は、自分で自分を褒めるとき……
「隣、いいですか?」
「……?」
突然声をかけられ、見ると、綺麗な女性が目に入った。
「……どうぞ」
「ありがとうございます、斎賀さん」
「え……? どうして、俺の名前を……?」
「私は、小山内果穂と言います」
果穂は言いながら、名刺を差し出した。
「トリニタスの常務取締役……?
あなたが……?」
「弊社のサービス向上のためのご協力いただき、ありがとうございました」
「いえ……そんな……
でも、今日はなぜ……?」
「あなたに興味があって。
一度、会ってお話してみたかったんです。
お電話してアポをとってもよかったんですけど、出会いはシチュエーションも大事なので」
「俺に興味……ですか?
でも俺は……あなたのような女性に興味を持たれるほど、すごい人間ではないですよ……金もないし……それに……」
「それは、あなた次第なんじゃない?」
「え……?」
「あなたがこれからどうしていくのか……今あなたがお金持ちかどうかに興味はないわ。あなたの人生に対する姿勢と、これからのあなたに興味があるの」
「……」
斎賀は、あなた次第という言葉に、何かフックするものを感じた。
どこかで、そんな話をしたような……
「分かりました……じゃあせっかくなので、一緒に飲みましょうか」
「ええ、そうしましょう」
幸せになりたいなら、幸せになろうとしてはいけない。
斎賀は、いつだったか本屋で見たタイトルを思い出していた。
ではどうすればいいのか。
それはまだ分からないが、いずれ分かる。
答えを焦らなくていい。
今日の積み重ねが、いずれ答えを見せるだろう。
そんなことを考えながら、斎賀は果穂とグラスを合わせた。
第8話
第1話
みなさんに元気や癒やし、学びやある問題に対して考えるキッカケを提供し、みなさんの毎日が今よりもっと良くなるように、ジャンル問わず、従来の形に囚われず、物語を紡いでいきます。 一緒に、前に進みましょう。