期限一週間の願い事 第2話 ある紳士(全9話)【小説】
第2話 ある紳士
自分の気分が暗いときは、同じ景色でも違って見える。
斎賀慎は、夜の街を歩きながら、何とも言えない居心地の悪さを感じた。自分だけモノクロの存在のようで、周囲から存在を認識されていないのではないかとさえ思えてくる。
(やっぱり来るんじゃなかった……)
ドンッ!
「あ……すみません……」
俯き気味になっていたせいか、前から歩いてきた人にぶつかった。
「大丈夫かね?」
「……?」
ぶつかった相手は、そう言った。
大丈夫? 大丈夫とはどういうことだろう?
ぶつかったのは自分なのに、大丈夫かと聞かれている意味が、斎賀は理解できなかった。
「あ……えっと……その……俺は大丈夫です……すみません……」
顔を上げると、そこには長身の男がいた。
歳は、60歳ぐらいだろうか。
白髪頭を綺麗に整え、オールバックにしている。
ダークスーツとワインレッドのネクタイをしており、黒い中折れ帽をかぶっている。
斎賀の知っている人間たちとは、違う雰囲気を感じた。
「何やら思いつめていたようだが、何かあったのかな?」
「……え……? いや、別に……なんでそんなこと聞くんです? ぶつかっただけなのに、なぜ、そんな……」
「ふふ……興味だよ。私は人に興味があって、街を歩いたり、レストランに入ったりすると、いつも人を観察している。
何気ないことでも、人はそれぞれ、反応が違う。
考え方も何もね。
なぜあの人はあんなことをするのか、なぜそう考えるのか……そうやって考える中に、ビジネスのアイデアに結びつくものもある。
普段なら、観察して想像することがほとんどだが、君とぶつかったのも何かの縁だ。だから、聞いてみようと思ったんだよ」
「興味をもった理由は分かりましたけど……あなたはいったい、何者なんですか……?」
「私は黒岩と言う。
肩書きは……そうだな、名刺に書くなら、投資家といったところかな」
「投資家……」
「君の名前も聞いてもいいかな?」
「……斎賀です……」
「斎賀さんか。
お仕事は何を?」
「……無職です……」
「そうか」
「……」
「? どうかしたかね?」
「いえ……無職って言うと……驚いたり、何があったのとか、仕事したほうがいいとか、いろいろ言う人がほとんどなのに、あなたは特にそういうことがないので……見下してる感じもしないし……」
「人生の中で、無職の時間があってもいいだろう。
無職であるか、仕事をしているか。一般的には仕事をしているほうが印象はいいだろうが、結局のところ、自分が今、どんな時間を過ごしているかだよ、大事なのは。職に就いていても、ロクに仕事をしない人間もたくさんいるからね」
「……」
「斎賀さんが思いつめているのは、それが理由かな? 現在無職で、次の仕事が見つからないか、見つけようにも動く気力がもてないか」
「……まあ、そうですね……二ヶ月前に仕事を辞めてから、次の仕事を決めるために動く気力がなくて……」
「何か、そうなる理由があったんだろうね」
「……」
「いや、話す必要はないよ。
話したいなら、別だが」
「……」
「それよりも……」
「……?」
「斎賀さんには、自分の人生をこうしたい、こうなったらいい、というものはあるかな? 願いというか、夢というか、そういうものが」
「……夢、ですか……」
「そんな大それたものじゃなくてもいい。こんな生活がしたいとか、そういったことだ」
「……まあ、一応は……」
「聞かせてもらえるかな?」
「……なぜです……?
あなたが投資家だから……その夢が面白いものなら、投資するとか、そういう話ですか……?」
「いや、投資をするなら、詳細な事業計画やキャッシュフローの予測……いろいろと細かい資料を見せてもらうよ」
「じゃあ、なんで……」
「私には、投資家以外にも肩書きがあってね」
「何か別のこともしてるんですか?」
「人の願いを叶える……ソルシエール、フランス語で魔法使いという意味だよ」
「人の願いを叶える……?
それはたとえば、何か体験をプレゼントするとか、お金を渡すとか、そういうことですか……?」
「いや、そんな小さな話じゃない。
文字通り、願いを叶えるのだよ。
お金持ちになりたいなら、好きな金額を言えばそれが手に入る。
まあ、いくつかの制限はあるけどね」
「そんなこと……できるわけがない……漫画じゃあるまいし……」
「うん、そうだろうね。
そんなことをいきなり言われても、信じられないのは分かる。だから、証明してみせよう」
「証明……ですって……?」
「何か願いを言ってみてくれ。
まあこれは、お試しのサービスのようなものだから、あまり大きなことじゃなく……そうだな、今何か、欲しいものはあるかな? 通販サイトの欲しい物リストに入れているけど、買えていないものとか」
「え……? えっと、そうですね……電動歯ブラシですかね。3万円ぐらいするんですけど、買おうと思って買えないまま、無職になってしまって……」
「分かった」
「……あの……」
「君のバッグの中を見てごらん」
「バッグの中?
……え……これ……」
「君が欲しかったのは、それだろう?」
「え……? でも、なんで……」
「言っただろう?
願いを叶えるソルシエール。
それが、私のもう一つの肩書きだと」
「でも……でもこんなこと……」
「さて、ここで提案がある」
「提案って、なんです……?」
「さっき言ったとおり、私は人間に興味がある。
一人ひとりの行動、その理由にね。
だから、見せてほしいんだ」
「何をです……?」
「突然、自分が望む人生を手に入れられたら、人はどうなるのか?
それを見せてほしい」
「突然望む人生を手に入れたらって、そんなこと、いったいどうやって……」
「私の能力は見ただろう?
それを使ってだよ。
ただし、一週間という期限付きで」
「一週間……」
「一週間……つまり七日間、毎日一つ願いを叶える。
叶えた願いは、一週間が過ぎても残る。
自分でなくしてしまわない限りね」
「どんな願いでも……叶うんですか……?」
「叶うよ。
しかし、制限もある」
「たとえば……どんな……?」
「一日に叶えられる願いは一つ。
同じ願いは叶えられない。
死んだ人を生き返らせたり、不老不死になる、といったことはできない。
願いを叶えるときは、私と対面で話さなければならない」
「じゃあ……金持ちになる、とかは……?」
「もちろん、可能だよ」
「……!」
「やるかやらないか、今ここで決めてほしい」
「……」
「どうするかね?」
「……やります……」
「そうか。
では今日から一週間、一日一つずつ、願いを叶えよう」
「あとでお金を払わなきゃいけないとか、そういうことはないですよね……?」
「ああ、心配いらない。
仮に私がそれを言ったとしても、君は突っぱねられる。書面にも何も残っていないからね」
「……分かりました」
「では、今日はどんな願いを望む?」
「……お金がほしいです……」
「お金か。
具体的にいくら欲しい?」
「え……?
いくらって……えっと……じゃあその、3億円欲しいです……」
「分かった。
……今、スマホから自分の銀行口座の残高を確認できるかい?」
「え? あ、はい、できますけど……」
「見てみるといい」
「……
……
……え……これって……」
「3億円、確認できたかな?」
「1、10、100、1000……ほんとに……これ、ほんとに……?」
「本当だよ。
その3億には、税金もかからないし、いきなり口座の額が増えたからといって、銀行側が怪しむこともない。好きに使うといい」
「これを……使える……」
「ああ、君の好きなようにね。
では、私はこれで失礼する。
明日の夜は、そこの店で会おう」
黒岩は、通りの反対側にある洒落たバーを指差した。
入り口のプレートを、下から明かりが灯しており、ファータスという名前が浮かび上がって見える。
「時間は、そうだな……
21時でどうかな?」
「分かりました……
明日の21時に、その、ファータスという店で……」
「うん、ではね」
黒岩は、柔らかな笑みを浮かべると、その場から去っていった。
斎賀は、その様子を黙ってみていたが、やがてスマホに目を戻し、画面に映る、自分の口座残高の数字を、まじまじと見つめた。
これは本当に、現実なんだろうか。
黒岩は、スマホを操作したわけでも、どこかに電話をかけたわけでもない。つまり、どこかの口座から斎賀の口座に振り込みをしたわけではない。
願いを叶える……
投資家……
ソルシエール……
本当に大丈夫なのか?
信じていいのか?
飛び上がって「やった!」と言いたいのに、みぞおちの辺りに重力の塊があるような感覚もあって、落ち着かない。ソワソワしながら道に立っていると、周囲の視線が気になり、斎賀は家に向かって歩き出した。
同じころ、内野忠寿は、黒岩の話を聞いていた。
期限一週間の願い事の話を聞いた内野は、警戒心を持ちながらも、目の前で願いを叶えるところを見せられ、一つ目の願いとして、10億円を手に入れた。
黒岩が帰ると、何度も銀行口座を確かめ、キャバクラに行って数百万を使ったあと、朝になって家に帰った。
こうして、斎賀と内野という二人の男は、たった一週間で人生を変えられる手段を手に入れたが、変化することの本当の意味を、彼らは知らなかった。