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境界線(現代版 あの世のいりぐち)【物語】

-1-

「こりゃしばらく止みそうにないな……」

花岡啓太(はなおか けいた)は、少し空を見上げるようにしながら言った。

大粒の雨が、木々を何度も俯かせ、大きな音を立てている。
下が土だから、地面で弾けるような音はせず、アスファルトが濡れるニオイもしないが、
濡れた草木が放つ、独特のニオイが鼻を撫でる。

「まあ、まだ3時前だ。
 休みながら、のんびり止むのを待とうぜ」
 
梨本清春(なしもと きよはる)は、洞窟の入り口辺りに腰を下ろしながら言った。

花岡と梨本は、行きつけのカフェで顔を合わせることがあり、
お互い登山好きだということで意気投合、
3年ほど前から、年に数回、一緒に山に登るようになった。

「もし夕方まで降ったら、厄介だぞ。
 暗くなる前に下に降りられればいいけど……」
 
花岡が不安そうに言う。

「最悪、ここに一泊だな。
 暗い中を降りるよりは危険じゃない」
 
梨本は、洞窟の奥に向かって手を伸ばしながら、サラリと言った。

「……まあ、一泊するぐらいなら何とかなるけどな……
 けど、この洞窟が安全かどうかってところは、わからないぞ?」
 
「大丈夫だよ。
 火は焚けるし、この山には危険な獣はいない」
 
「それは分かってるけど……
 この洞窟は知らない場所だぞ?
 何があるか分からないだろ」
 
「おまえは心配しすぎだ」

「……」

花岡は、何か言いたそうな顔をしたまま、言葉は飲み込み、
梨本の向かい側に腰を下ろした。

雨は止む気配はなく、雲は徐々に厚くなってきている。
突然止む可能性もあるが、勢いも徐々に強くなってきており、
止んだとしても、ぬかるんだ中を下山するのは、リスクが高そうだ。
そこに暗闇が加われば、自殺行為になる。

「こりゃあ、本当にここで一泊することを考えたほうが良さそうだな」

梨本は、空と地面を交互に見ながら言った。

「よし、ちょっと奥を確認しにいくか。
 どこまで続いてるのか分からないけど、
 雨がもっと強くなるかもしれないし、少し中を確認しておいたほうがいいだろ」

「そうだな。
 そうするか」
 
梨本は、花岡の提案にうなずき、立ち上がった。
ゴツゴツとした洞窟の地面に下ろした道具を持って、ゆっくりと奥に進む。

「思ったより深そうだな、この洞窟……」

花岡が、不安そうに言う。

「なんか暖かいな。
 雨で体が濡れたし、助かるぜ、これは」
 
「なんで暖かいのかってところは、気になるけどな」

2人は、ゆっくりと奥へと足を進めた。

「……?
 おい、なんか……
 明るくないか……?
 俺、おかしくなったのか……?」
 
梨本が、目のパチパチさせながら言った。

「……いや……俺にも見える……
 なんで、洞窟の中のはずなのに……」
 
「まさか外……?
 いやでも、外は雨だし、あの明るさは変だよな……」
 
戸惑う2人の視線の先には、何か、そこに明かりの元となるようなものがある、
そんな光が見えていた。
最初は見間違えか、もしかしたら、洞窟中にガスでも充満していて、
それが原因で幻覚でも見ているのかとさえ思った。

しかし、さらに歩き続けた2人の前に現れたのは、
幻覚と呼ぶにはあまりにもリアルで、
2人ともが、同じものを目にしていた。

「川…… あれが、光の原因……」

「いや、違う……
 見ろ…… 人がいる……
 あの人たちが周りに置いてるランプか何かだ……
 
「でも……
 なんか川そのものも光ってないか……?
 どうなってんだこれ」
 
川の近くには、何人かの人がいて、
川の水を肌につけたり、顔を洗ったりしている。

「おい……なんか変じゃないか……?
 なんでこんなところに人が……」
 
花岡がそう言ったときには、梨本は川の近くにいる1人に声をかけていた。

「あの~何してるんですか?」

「……!」

突然声をかけられてびっくりしたのか、
目で見て分かるほどビクっとして、少し距離を取ってから、その女性は振り返った。

「あ、すみません、驚かせてしまって……」

綺麗だ……

花岡は、心の中でそう思ったが、
梨本も同じだったらしく、言いかけた言葉を止めたまま、女性を見つめている。

「……あなた方も、この川が目当てで?」

女性は、花岡と梨本を見ながら言った。

「この川が目当てって……?
 この川はいったい……」
 
「あら、知らなかったのね。
 この川は、女性に人気のスポットなんです。
 この川の水は、保湿効果が高いみたいで、肌につけたり、飲んだりすると、
 保湿クリームを塗ったりするよりも、艶のある肌が維持できるんです。
 
 でも、汲んで外に出すと、家に帰る頃には水が淀んでしまうので、
 定期的に通って、ここで水を浴びたりしているんです。
 だからほら、川の周りにいる人、みんな肌が綺麗でしょ?」
 
女性にそう言われ、川の周りにいる人を見回してみると、
若い女性も、白髪の女性もいるが、
全員が、肌はつやつやとしているように見える。
何より、目の前にいる女性の肌が、輝くように美しく、
花岡も梨本も息を呑んだ。
 
「へぇ、そんな場所なんですね。
 僕らは偶然ここに来たんですけど、まさかそんな場所だったなんて……
 僕は男ですけど、川に触ってもいいんですかね?
 まさか男子禁制なんてことは……(笑」
 
梨本が言うと、女性はにっこり笑って、もちろん大丈夫ですよと言った。

「川の水を肌につけて、試してみてください。
 飲むこともできますよ」
 
「神聖な水……なのかな(笑
 とにかく、綺麗な水なんですね」
 
「ええ。
 ぜひ、触れてみてください」
 
「そうしますよ。
 おい、花岡、おまえも来いよ」
 
「まて、なんか変だ……
 こんなところに川があるなんて、聞いたことがない……
 おかしいと思わないのか、おまえ……」
 
「おまえは心配しすぎなんだよ、花岡。
 ビビりやがって。
 せっかくこの人が……すみません、お名前を伺っても……?」
 
「絵美里(えみり)です」

「ありがとうございます、可愛い名前ですね。

 ほら花岡、せっかく絵美里さんが教えてくれたんだし……」
 
「いや、俺はいい。
 肌艶に興味はないし、外の様子を見てくるよ」
 
「なんだよ、ノリの悪いやつだな」

梨本は、ブツブツ言いながら川のほうに行ったが、
目的は、絵美里という女性であることは明らかだった。
一目惚れでもしたのだろう。

「やれやれ……」

花岡は、川に背を向けて、洞窟の入口に向かった。
今の時間なら、雨が止んでいれば、ギリギリ下山することもできるはずだ。

「……止んだか。
 雲とも晴れてきてるし、何とかなりそうだな」

空には、まだ雲は残っているものの、隙間から青空が覗いている。
これなら帰れる……そう思い、入口で、荷物を整理していると、梨本が歩いてきた。

「遅かったな。
 水を飲んだのか?」
 
さっき話を聞いたからかもしれないが、
梨本の顔が、少しだけ艷やかになっている気がした。

「ああ。
 飲んだし、肌にもつけた」
 
「じゃあ、行くか。
 雨も止んだし、今下りれば……」
 
「待て、花岡」

「……?
 なんだ?」

「あの川はすごい。
 うまくやれば、俺たち大儲けできるぞ」

スマホで撮った川の動画を見せながら、梨本は言った。
あの絵美里という女性も映っている。

「川の水は外に出せないんだろ?
 出せたとしても、水を持ち出して売るノウハウなんて、
 俺たちにはない。
 
 それに、あの場所は何か変だ……
 早く離れたほうがいい」
 
「待てって!
 ノウハウなんて、人から聞けばいい。
 何が必要なのか、どうすればいいのか。
 それに、先にここの権利を取っちまえば、安心して準備できる。
 なあ、やろうぜ、花岡」
 
「……おまえ、なんか変だぞ。
 その話は、さっきの絵美里って女が言ったのか?
 まんまと乗せられて、うまく利用されてるんじゃないのか?」
 
「そんなこと……
 いや、そうなのかな……
 ……そうな、そんなうまい話あるわけないよな……」

「そうだよ。
 さあ、行こう」
 
「ああ……
 でもな……俺はどうしても、おまえにも協力してほしいんだ……」
 
「協力?
 一体何を……」
 
「新しい仲間を引き込むことよ」

「……!!」

梨本の背後から、さっきの女の声が聞こえた。

「仲間……?」

「あの川の水を飲んだら、もう洞窟から出ることはできない……
 出れば死ぬ。
 でも川のそばにいれば、死ぬことはなく、永遠に生きられる……
 さあ、あなたもこっちにきて、私たちと一緒に暮らしましょう……
 私を抱かせてあげてもいいのよ?」
 
「花岡……
 助けてくれ…… 俺……
 こんなはずじゃ……」
 
「梨本……!」

花岡は、何とか助けようとしたが、
梨本の体には、いつのまにか川辺にいた人間たちがまとわりついている。

「くそ……! 梨本……!!」

「花岡…… 助け……」

「……!」

梨本を掴んだが、まとわりついている人間たちのせいで、
花岡も徐々に洞窟内に引きずり込まれていく。

「ダメだ……
 くそ……
 ……梨本、すまない……
 助けを呼んで戻ってくるから、許してくれ……!」
 
花岡はそう言うと、梨本から手を離し、
腕にまとわりついてきた手を引き剥がすと、洞窟を離れて駆け出した。

「うわ……!!!」

だが、必死だったからか、足元への注意がおろそかになり、
花岡はぬかるんだ地面で足を滑らせ、そのまま下に転落した。



-2-

「……う……ん……」

花岡は、目を覚ますと同時に、自分の体がうまく動かせないことに気づいた。
それに、山にいたはずなのに、今自分がいる場所は、
ベッドの上で、自分の部屋でもない。

「ここは……」

「気がつきましたか」

看護師らしい、白い服を来た女性が、ほほえみながら言った。

「あの……ここは……」

「ここは病院です。
 あなた方二人は、山で遭難したところを助けられたんですよ」
 
「二人……?」

「一人の方は、お亡くなりになってしまいましたが……」

「え……?
 あの、もう一人って、梨本って男ですか……?」
 
「えっと……はい、そうですね。
 梨本さんです」
 
「……なんで、梨本が……
 あいつは、あの洞窟に……」

看護師の話によると、花岡と梨本の二人は、3日前に山で遭難し、
崖から落ちて意識を失っていたところを、通りがかった別の登山者が発見し、
助けられたのだという。

そのときは二人とも生きており、病院に運ばれて治療を受けた。
そして今日の明け方、梨本は一度意識を取り戻したが、
これで遊んで暮らせる、俺の宝……などと、よく分からないことを口走って、
また意識を失い、容態が悪化。そのまま亡くなってしまったという。

「……」

話を聞いた花岡は、梨本が言ったという言葉が気になった。
看護師の話は、おそらく本当だろう。
ということは、花岡も梨本も、あの洞窟には行っていない可能性が高い。
だが、梨本が口走った言葉を考えると、二人は意識を失っている間、
同じ夢を見ていた可能性がある。

「……」

「どうかされましたか?」

「あの…… 梨本のスマホって、見せてもらうことできませんか?」

「スマホですか。
 確か遺留品の中にあったと思いますが、勝手にお見せするわけには……」
 
「お願いします!
 その中に、事故の真相が……
 梨本が死んだ本当の理由が映っているかもしれないんです……!」
 
「……!
 分かりました。
 先生に聞いてきます」
 
看護師は部屋を出て、しばらくすると、担当医らしい女性と一緒に戻ってきた。

「スマホの中を確認したいのね?」

キリッとした顔つきの女性医師が言った。

「ええ……」

「……いいわ。
 ただし、私たちも一緒に見る。いいわね?」
 
「はい」

花岡が返事をすると、女性医師は梨本のスマホを、花岡を手渡した。
液晶にヒビが入っているが、電源は入り、動作は問題ない。

「……」

花岡は、自分のと違うタイプのスマホに、少し操作に手間取ったが、
保存されている動画を見つけた。

「これだ……」

川を撮った動画を再生する。

「……これは、川……?
 洞窟の中かしら……
 これが、梨本さんが亡くなったこととなにか関係が……
 ヒ……!!」
 
女性医師と看護師は、思わず声を上げた。

「……!」

川を撮ったその動画には、花岡も見た、あの川が映っている。
だが、問題はそこではなかった。
あの絵美里と名乗った女性は、花岡の記憶通りの顔をしているのに、
背後に映っている、川辺にいた人たちは、全員骸の姿をしている。
そして、骸のまま、花岡の記憶と同じような動きをしている。

「なにこれ……
 どういうこと……?」
 
「……分かりません……
 でもたぶん……梨本が死んだのは、この女のせいです……」
 
花岡は、力なく言った。

「よく分からないけど……警察に伝えておくわ……
 あなたはとにかく、ゆっくり休みなさい」
 
女性医師はそう言うと、部屋を出ていった。
花岡は再びベッドに横になり、自分の身に起こったことを考えていた。

(俺と梨本は、同じ夢を見ていたのか……?
 あの洞窟での出来事はすべて夢……
 もしあのとき、梨本と同じ行動をしていたら、今頃、俺も……)
 
そこまで考えて、ゾクっとした。
同時に、川に近づかなかった、夢の中の自分に感謝した。

どんなに魅力的なことでも、越えてはいけないラインがあるし、
引き際というものがある。
金に不自由することが多かった梨本は、その状態を一気に変えることができると思ったのかもしれない。
いつか状況を変える、一発当ててやる、そんなことを、心の中でずっと思っていたのかもしれない。
それが夢の中の自分の行動に影響して……

いろいろと考えてみたが、答えは分からない。
一つ言えることは、あの山には、花岡と梨本が見た、あの洞窟はなかったということ。
警察が調べたが、洞窟はなく、動画の中に映っている場所がどこなのか、特定することはできなかった。

さらに、動画を撮った日付は、2人が病院に運ばれてから二日後のことで、
作られた動画でもないことから、いったいどういうことなのか、警察も頭を悩ませているらしい。


事故から一ヶ月後。

花岡は退院し、普通の生活に戻っていった。
スッキリしない部分はあるものの、気にしてもしかたがない。
梨本が死んだことも、夢のことがあったからか、悲しみよりも、
よく分からない思いが強く、思ったよりもショックは少なかった。

「今日もがんばるか……」

花岡はそう呟くと、会社に向かった。


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びゃくさい
みなさんに元気や癒やし、学びやある問題に対して考えるキッカケを提供し、みなさんの毎日が今よりもっと良くなるように、ジャンル問わず、従来の形に囚われず、物語を紡いでいきます。 一緒に、前に進みましょう。