50歳になった日に宮尾登美子がとった行動
10代、20代は若いことがとにかく辛くて、不安で、
自分の行く末の模索方として乱読していました。
「若い女」である事が特に苦しく、
早く歳を取りたい、おばさんになってしまいたいと思っていました。
おばさんになれば、毎日の生きる苦しさから解放されるのではと。
今になって思うのは、こういった思春期の息苦しさや、
個人的な質(気質)に起因するものを、
・若い事
・女である事 に、全てなすり付けていたように思います。
乱読で特に心惹かれたのは大人の女性のエッセイ。
といっても現代を生きる女性のエッセイよりも、
文人の書いた、少し古いものが多かったです。
宮尾登美子のエッセイがずーーーーーーーっと心に残っていて、
折に触れて思い出すのです。
それは彼女が50歳の誕生日にとった行動です。
ありとあらゆる友人知人に
「わたし、50歳になったんだけど!信じられないんだけど」
と電話をかけまくった話でした。
宮尾登美子「手とぼしの記」(春の別れ)
五十のときはあちこちに電話をかけまわって、
「驚いたでしょ。あたし五十になったのよ。ナンと五十よ」
とやってたしなめられた覚えがあり、
変換すれば、さながら
私が50歳とかありえなくない~ でしょうか。
彼女が50歳になったのは1976年(昭和51年)です。
これを読んだ20代の私は
・そういう気持ちになるもののかなぁ、でもまだまだ先だな
・50歳って、おばさんというよりはおばあちゃんだよな、それでもそういうものなのかなぁ
という、若さ溢れる感想を抱きました。
時は過ぎるんですね。
30歳になった時も、40歳になった時も、
大してじたばたしなかった私。
でも、さすがに50歳は感慨深そうだ と思っています。