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発信ができなくなった話

ひっさびさのnoteです。

ついこの間、「もっと書く!」宣言をしたところだというのに。
ぜんっぜん書いてませんでした。
いや、書けませんでした。


実は少し前に、私に大事件が起こりました。
それでちょっと書くことが、というか発信することが、怖くなったというか。
びびってしまったというか、、、。

何に怖くなったのか、何にびびったのか。


大まかに言うと、思わぬことでTwitterでバズってしまったんです。

そしてそのバズりから派生してまた別の展開がありました。
某週刊誌から取材依頼が来たんです。(取材は丁重にお断りしました)

それでちょっとびびった。

もともとは、まず大きな奇跡が起こって、それはとってもうれしいことで、
そのことをTwitterでつぶやいたら人生初の大バズり!してしまい。
だから全然悪いことじゃないというか、まあ、うれしいことなんですけど。
ちょっと想定外のバズりようだったんですね。
まずそこで一旦、怖くなりました。

発信することの力を知った、というか。
責任を感じた、というか。

適当なこと書いてちゃいかん!
みたいな。
(まぁ、別に適当なことは書いてないんですけどね)

むしろ私の場合もともとの性格的にガチガチ過ぎるんじゃないか、くらいなところがあって、あえてフランクに書こうとしてるくらいの感じだったんです。

でも今回のことで、発信することの影響力を見せつけられてしまった感じがして、
ちょっと一旦落ち着こう、自分。
みたいな感じになりました。

バズりだけならまだしも、
小心者の私は、取材依頼っていうものに
めっちゃびびりました。

別に私がすごいわけでも、
書いたものがすごいわけでもなく、
その内容が奇跡の出来事だっただけなんですけどね。

Twitterとnoteはまた性質がだいぶ異なるとは思うのですが、
とにかく「書く」「発信する」ということにものすごく力があるということを
いきなりまざまざと突きつけられてしまった感覚だったんです。

それでしばらく、書くとか発信するから遠ざかってました。
というか、
ことの発端である奇跡の出来事がまたあまりにすごい出来事だったんで、
しばらく夢の中にいるような、夢と現実との境界線が曖昧な日々が続いてしまい、まずはそこから抜け出すのにかなりの時間がかかりました。

そこからようやっと現実感を取り戻してというか
夢見心地の世界から戻ってきて平常心を取り戻して。

そしたら今度
発信の怖さを感じて。
でも発信の素晴らしさにも気づいて。

どちらも併せて、発信には力があるんだなー、と。
改めて感じて。


もう少し早くこのことについて書きたかったんですが
今頃ようやく気持ちが落ち着いてきて、ようやっと書けました。

なんでバズったのか。を書いていないので
今日のところはなんのこっちゃよくわからない文章になってると思いますが、
長くなってしまいそうなので
そこのところは次回、詳しく書きたいと思いますー。








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