旅とジュエリー 初めてのインド
初めてインドを旅したのは、2005年2月。
アジアでは鳥インフルエンザが流行していた頃。
デリー上空旋回中のJAL便の窓から覗くと、
スモーキーで視界の悪い隙間から、煤けた茶色の大地がばーんと広がって見えて、
その瞬間、帰りたくなった。
だって、なんだか暗黒の世界に見えたんです。
当時はバイヤーになって4年め。
それまでパリで買い付けをしていたけれど
素敵!とお声掛けする全てのブランドは、既に同じ会社の先輩バイヤーたちと固い絆が築かれていて、私の居場所はなかった。
圧倒的な西洋の美しさはもう完全すぎて、自分のルーツと違いすぎる感じがして
何かを持ち帰ることが難しかった。
そんな時もいつも身につけていたMinakusiさんのアクセサリー。
インドやネパールの民族たちのアンティークやお守りの鈴、牙などが編み込まれたブレスレットやネックレスは、粗野で美しく、たくましくて。
東洋人である自分にとってこれらを身につけることは
とても自然で自分らしく、誇らしく思え、
私はバイヤーとしてもっとこんなものが見たいと思った。
そうだ。インドに行こう!(京都に行こうみたいに言う 笑)
夏休みをとって、一人でインドに行こう!
心惹かれる東洋の極みを見に行こう。
この鈴やビーズのルーツを知らずしてMinakusiは語れないだろう。
Minakusiさんのゆかりの場所を周りたい。
でもインド一人旅は少し、いや、結構怖い。笑
ぶるつく私の背中をポンと押してくださったのもMinakusiさん。
「ツチムラさんなら大丈夫ですよ」
根拠なくそうおっしゃられるのではなく、
旅の道標にと、英里さんは手描きのマップをくださった。涙
そのマップには、訪れると良いアンティーク屋さんや、お勧めの宿、バスチケットの取り方など、みっしりと書き込まれていました。涙
当時まだスマホのない時代の旅人が、実際に足を運んで集めた情報です。
私はいつだってMinakusiさんに導かれています。
もしかしたら私は孫悟空で、英里さんは三蔵法師なのかも。
私は、英里さんマップと地球の歩き方を握りしめ
親友からの餞別、除菌ウェットティッシュをバッグパックに詰め込んで、
インドへ旅立ったのであります。
飛び込んでみて、初めて見知る世界。
それは果てしない懐かしさと美しさ、驚きに溢れていて、かつとても居心地が良かった。(たくさん騙されたのに 笑)
特に美しかったのは、ジャイプールの花嫁。
イスラムのファミリーの大きな結婚式、中庭にひしめき合う極彩色のサリーを纏った女性たちの、全身を仕立てるジュエリーに目を見張りました。
彼女が身につけるジュエリーはファッションではなく、アイデンティティであり私である。
歴史を受け継いだ、民族としての誇りであり、財産であり、もはや体の一部である。
本当にその姿が素敵で、私もそんなふうにジュエリーを身につけてみたいと思いました。
この興奮がその後のバイヤー一筋21年の活力になっていきます。
バイヤーになって1−2年の頃、がむしゃらなのにパリで何も見つけられなかった時代、
焦って当時の元社長に「先輩バイヤーのアシスタントについて、バイヤー業を学ばせてもらいたい」と懇願したことがありました。
が、元社長の答えは、こう。
「おれも社長を誰かに教えてもらったことはないよ」
と
「答えはツチムラさんの中にあるから、何か書いてみなよ」
でした。
独特! あざます! 笑
そんなことで、いろいろ回顧しながらですね、新しい過去、を探してみたいのであります。
皆様お付き合い下さり、ありがとうございます。
何かを重ねて感じていただけると幸いです。
ちなみにこのNoteを書く為に出してみた20年近く前のMinakusiコレクションは
どれも相変わらずキリリとしておられる。
この夏は青銅ブレスレットと赤紐のブレスレットをガツンと重ね付けしてみようと思います。
ちなみにクインちゃんは大好きなとうもろこしと勘違いしているかもしれません 笑
クインさま、とうもろこしが大好き。
キッチンに置いてあった、信州のとうもろこしを盗み食い。
うちの旦那さんがそれに気づいて、「あーーーー!クインちゃん!!!」と絶叫した声で、今朝は起きました。笑
結構長く書いちゃったな。
今日はこの辺りで〜
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