おばちゃん
今週東京に戻りました。
東京→金沢→京都→金沢→東京
東京がパテで、金沢がチーズで、京都がパテのW金沢チーズバーガー
金沢にUターン
でもちょっと悲しいUターン。
でもまた父とキングと散歩できたのはいいこと。
キングの散歩道。
うちのお兄は小学生の時に3回この小川に落っこちた。
1回目は、目を瞑って歩いてたから
2回目は、目を瞑って自転車に乗っていたから
3回目は、、忘れたけどとにかく落ちた。笑
そんな時いつも近所のウエノさんというおばちゃんがお兄を助けてくれたそうな。
びっしゃびしゃになったお兄を助け、
うちに電話かけて知らせて下さり
母に「ぼくちゃん、また落ちちゃったけど、叱らんといてあげて」
って。
あの時代、近所にいた優しいおばちゃん。
私もあの頃のおばちゃんの年齢に差し掛かっているのだろうけれど
自分はそんな優しいおばちゃんでいる感じがしないなぁ。
とノスタルジー。
京都滞在中、伯母が亡くなったと知らせがあり
金沢に戻りました。
小さな頃から本気で叱ってくれた、怖くて、強くて、優しい伯母。
共働きの核家族で育った私、保育園帰りは母が迎えに来てくれるまで
酒屋を営む親戚のうちに預かってもらっており
そこで伯母からお手伝いの仕方や、お米粒ひとつひとつを大切に食べること、
お参りの仕方、靴の揃え方など
たくさん教えてもらって叱ってもらい
私は泣きながらごはんを食べた。
彼女の存在がなければ、私はとても行儀の悪い子になっていたと思う。
大人になると、人の子を本気で怒るということが、どんなに大変なことか、よくわかる。
自分にぶれない軸がないと、愛の鞭は振れない。
お花見、運動会、花火、お正月、スキーに行った帰り。
伯母はことあるごとに私たち家族を招いてくれて、テーブル一杯に並ぶお料理で
おもてなししてくれ、本人も美味しそうにお酒を飲んでいた。
テーブルいっぱい2−3家族分の品数を作ることの大変さは、
料理できないオバケの私にしたら恐怖でしかない。笑
私の高校、大学の合格発表の際は、掲示板の最前列で、誰よりも早く、
「マミちゃん!あったよーーーー!!!」と大声で叫んでくれた。
地元の新聞にも歓喜の笑顔が写っていたよ、おばちゃんの。。。笑
大きな存在を失った喪失感。
私のこれまでの人生として、小さな子を守ったり叱ったりすることがないまま
あの頃の伯母の年齢になってしまっていることに、
どこか大人としての引け目みたいなものがあるのだけれど
その分自分が持てるもので、誰かに美しいものを届けたり癒したりして、
何か大きな渦を回していくしかない。
いろいろ喪失感と落ち込みはしたけれど、結果そこに辿り着いた。
いい時だけじゃなく、こんなふうに悲しい時や辛い時にも、寄り添えるものであれたら。
「マミちゃん、ばーーんと、頑張ってやりまっし!」ときっと彼女は言うと思う。
あと、「身体に気をつけてやりまっし!」って
がんばるわいね〜 (金沢弁です)
ありがとう。
東京に戻り、
昨夜はH .P.DECO好奇心の小部屋二子玉川でのイベントの準備をしてきました。
そして H.P.DECO好奇心の小部屋横浜でのインドラさんイベントも大盛況で、
お越しくださった皆様、ありがとうございます。
いよいよ10月は京都のCaravanトランクショーも。
今日アップしたジュエリーたちは京都でお披露目。
情報解禁は9月22日頃です。
おばちゃんも親族いちきらきらが好きな人やったからね。
金沢と京都は近いから、空から見にきてや〜
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