8 職員室をのぞく顔
初めて担任をもったのは3年め。やっと、という気持ちと、大丈夫かな、という気持ちでした。パワーのいる子たち相手だったので、かなり意気込んで臨んだ記憶があります。
縁(えん)
初めてクラスには知っている子の弟や妹もいました。「出世したな!」と卒業生に偉そうに言われるようなヒヨっ子だったので、毎日戦々恐々です。僕も25の頃なので口調も粗いし、イケイケでした。(でも身体は小さいし、気も小さいのでおしとやかだったと思います。思うだけか 笑)
そんなクラスに、小学校から何かと手がかかると言われていた「タケシ(仮名)」がいました。「杉本さんなら大丈夫や。面倒見たって」と当時の学年主任の先生に言われ、期待されている分、頑張ろうと思いました。タケシの家族は夜遅くまでお店をしています。店の手伝いをし、タケシは朝が苦手だという話でした。加えて、朝家族は休んでいるので連絡がつきません。彼の担任になるのも何かの縁だろうと思い、目一杯彼に関わりました。
一年生の新学期早々に、登校してこない日がありました。家に電話をかけると「あぃぃぃ」とお父さんの不機嫌そうな声。遅くまで勤めていらっしゃるので、朝早くの電話は迷惑。わかっているんです。でも、かけないと。彼が来ないたびにこのやりとり。めちゃくちゃ億劫でした。
「先生、ウチ夜遅くまで仕事やってるから、こんな朝早く電話かけてこんとって」
とうとう言われた。そう来ると思っていました。そこでタケシに「おまえがちゃんと来たらええ話や」と頑張って朝来るように言いました。その都度その都度。朝のんびり来るので学校の用意もままならないときもありました。あれこれ世話を焼いていると「先生、俺、ほんまは起きてるねん」というのです。
「ほんまかいな。やったら早よ来いよ。お父ちゃんに何回怒られてる思ってるねん」
「へへへ。父さん寝起きめっちゃ機嫌悪いからな」
「当たり前や、遅くまで仕事してはるんやから」
「俺、店の手伝いけっこう頑張ってるねんで」
こんな会話をしているうちに、だんだんと自分になついてきている実感が出てきました。
「せんせぇー」
そのうち「せんせぇー」と職員室を休み時間のたびにのぞきに来るように。
「ほら、また弟来たよ」と職員室の先生たちに茶化されて、そのたびに「ちゃんと名前呼ばんかい」とそそくさと彼のもとに行く日々でした。
彼が僕を呼ぶのは本当に大したことない話。箸を忘れた、体育やるのイヤや、あいつムカつく。わかったわかった、と気が済んだらすぐに教室に戻していました。
ある日、夕方に家庭訪問。お父さんに「お父さん、こいつ起きてこなかったら僕起こしに来ていいですか?」と談判。お父さんは「先生、ええの? 助かるわー」と了承してくれました。鍵をどうしてたか、そんなこと忘れましたが、布団をはがしたり、服を着替えさせたりと彼と真正面から向き合う毎日。面倒くさいけど、こういうやりとりが嫌いじゃなかったのでやりがいのある時間でした。
一方で、初めてのクラスの手のかかる子は彼だけじゃありません。カオスの毎日をどうにかこうにかくぐりぬけ、相変わらず彼が職員室に来るのも職員室の名物になりました。
「先生、俺引っ越しするねん」
これを聞かされたとき、解放される!!という気持ちよりも、え、おまえ他のとこでちゃんと面倒見てもらえるのか?という不安が先に来ました。お父さんに詳しく聴くと、お店の都合で家を越すことになったと。お昼のお弁当にお店の残りをもってきて、おいしそうに食べていたのももう見られなくなるのか。
僕は気になる子は3年受け持てるならそうさせてください、といつも言ってきました。決めるのは僕じゃないので、任されたら頑張るだけ。そういうのも縁だと思って、全身全霊やってきました。
かくして、1年生の途中で彼は転校していきました。いまどうしているのか、もう成人している年齢なのでどこかで元気にやっていると思います。僕たちの仕事は関われる時間、できることも限られています。ただ、やろうと思えば何でもできるのもこの仕事。布団引き剥がして、みたいなことを武勇伝めいて話すのが今日の本題ではありません。自分にしかできない関わり方がある。そう思って毎日やっています。担任で、部活で、授業で、学年で。タケシのように、面倒くさいけどなんかかわいげのある、そういう子たちと関わり、だまされて、腹を立てて、一緒にわらってするのが学校の先生の仕事だと思います。
彼が職員室をのぞく表情をいまだに思い出します。
スギモト