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雲海に浮かぶ備中松山城

備中松山城が令和7年1月2日(木曜日)にNHKにて放送された「日本最強の城 2025新春スペシャル」にて、「最強の城」に選ばれた備中松山城です。
雲海に浮かぶ備中松山城 Bitchu Matsuyama Castle Sea of Clouds 「雲海に浮かぶ備中松山城」は、秋から春にかけて昼と夜の寒暖差が大きいことや無風などの気象条件が揃う早朝に見ることができます。 備中松山城を有する臥牛山は4つの峰の「大松山」「天神の丸」「小松山」 「前山」からなります。 小松山にある備中松山城は 現存天守12城のうち、唯一の山城です。 臥牛山一体では、曲輪(くるわ)や堀切(ほりきり)が残る「中世城郭」 と、建物や石垣・土塀が残る「近世城郭」の両方を見ることができます。 (備中松山城雲海展望台案内板より)
備中松山城雲海展望台からの眺望ライブ配信
https://www.youtube.com/watch?v=9AfmIV-PdRk


国指定重要文化財の備中松山城は「現存12天守」の一つで、天守が現存する“唯一の山城”です。標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ、「天空の山城」とも形容され親しまれています。また、平成30年7月豪雨後に住み着き、現在「猫城主さんじゅーろー」として人気の猫がいる城としても有名です。備中松山藩の藩士から新撰組の隊長になった谷三十郎にちなみ「さんじゅーろー」と名付けられました。三大山城は、岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)です。

江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行っていました。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっています。
明治6年(1873年)、廃城令が公布され、御根小屋は取り壊され、山城は新政府によって7円(現在の約5万円)で商家に売却されました。しかしあまりにも不便な場所にあることから山上の建物は解体されずに放置・荒廃が進み、天守はツタが生い茂り崩壊寸前、天守脇にあった八の平櫓にいたっては倒壊。昭和初期、高梁中学校教諭の信野友春さんが山城を調査しその詳細な記録を『備中松山城及其城下』に著し刊行。信野さんの著書を契機に山上の建物が修復の機運が高まり、修復のために高梁町によって1万8000円の予算が組まれた。昭和5年(1930年)から昭和15年にかけて工事が進められ、二重櫓・天守の順で修理が行われ、この修復において地元の小学生から高校生の協力もあって、約2万枚の瓦の搬入がされたそうです。
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