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道端にネギが落ちていた

なんで生きてるんだろう?という誰もが一度は直面して、多くの人は考えないようにしているであろう永遠の問いへの答えをまだ見つけられていない。ほとんどは思い出せない過去の私の振る舞いを、ほとんど不確かな「記憶」の中から思い出そうと努めてみると、ほとんど間違いだったような気がする。多分20年間ミスっている。というか諦めることに慣れ切ってミスっていることに気付いていないのが最大のミスである。エポケーやなあ。

無感覚的に生きてきた。私はいつもここにいるのにここにいない、という感じだった。

小さい頃は掌を眺めていると超えちゃうことがたまにあって、そういう時はそこに私がいた。掌の形とか皺がなんとも気持ち悪くて、何を見せられているんだと思うんだが、見せられている光景は私が目や手を動かさないとそのまま継続し進んでいかないことからもどうやら私が放り出された現実?世界?のようであると知った。(このような状態にあるワタシは意識や知覚が継続する、幅を持つことが怖くて、静止画じゃないんだ、、、みたいな感じだった。時間というのはこの幅に便宜上の名前をつけたものにすぎず、ワタシはその存在を疑っている、というのはまた別の話なので割愛する。)

今これを打っている私はワタシではない。けれどもなるべくワタシでいる時間を長く、移行をスムーズにできるようになりたいと思っている。ここにいる、という感じ、すなわち主体として私の手綱を握っている感覚を持ち続けたい。しっくりきたい。行動の理由をいちいち考えたい。ミスってることに気付きたい。




最初の問いに対して強いて答えるならば「      」である。

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