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つまり君はそういう奴なんだな
いつも通り自分語りが多めの女の所感です
行ってきた、ますたーおぶしゃどうず、福岡公演!
バカメンタル落ち込んでる時にアルバムが出て深夜ボロボロに泣きながら聴いていた人間としては、待望のツアーでした(いつも)
ギェ〜〜〜!異動ヤダ!!!てか会社のやり方と私の仕事のやり方が合わなさ過ぎて死ぬ〜〜!!!わかるけど!!わかるけど!!それは納得出来ねぇ〜〜!!!なんでみんなそんなすんなり納得できるんだよ!!!!ってなってメンタルどん底だった時にビターネス配信になって、すごい助かりました…
ていうかもう本当社会人になってからずっとこれの板挟みで歯ぎしりしてたので、なんか中田裕二の音楽で、受け入れられんものは受け入れなくていい、と言われた気がしてめちゃくちゃ嬉しかったです
勝手に思ってるだけですけど…
人生の節目節目で中田裕二の音楽に助けられている
助けられた結果、受け入れられないからってこのままここでずっと働くのか?自分の誇りの持てる仕事になるのか?私がやりたいことはなんだ?というか中田裕二のライブに今より行きたいがため、部署異動みたいな試験と面接を復帰後滑り込みで受けて、合格して9月から部署異動でやんす
東京と大阪に近くなるぜ!!やた!!
お給料は下がります!!残念!!!
もうほぼ執念でした
合格しなかったらスッパリ会社辞めるつもりだったので
本当にクッソ勘違い女なので、去年の9月、椿屋二十周年が終わってから友人にこんな話をしてます
「中田裕二が私の支えになっているのと同じように、私も誰かの支えになれたらいいなとライブが終わってからずっと考えている」
ホンマにキッショいこと言ってますね
なんだこの女…ライブの後パワー持て余してよくこういう話をしている気がする
去年の年末日本橋の後も中田裕二のライブに行きてぇから仕事辞めて上京しなきゃ…!と思ってよくわからん電話を同じ友人にしてます
仕事は辞めてないけど、東京に近づいたので有言実行してますねえらい
でもそれから変わった気がします
お客さんから「あなたの仕事は丁寧だ、会えて良かった」と言われた時、現状を受け入れられないなりに、足掻きながら短くない年数を働いてきて、おこがましいけど私は一時でも誰かの人生の助けになれたんだな、と思った
じゃあもう次だ、もっと自分が誇りを持てる仕事をしよう
あたしは10代の頃から中田裕二が好きで、中田裕二の音楽への向き合い方が好きで、憧れで生きてきた
私の仕事は音楽じゃないけども、あんなふうに時代や流行りに流されず、これが自分の道だって確信して、たまに迷いながらこつこつ仕事して、世の中の人に何か渡せたらいいなってずっと自分なりに哲学を持って働いてきた
どうだろうね、異動した先でそれがまた実現できるかはわからないけど、今までと違うのは今度は自分で望んでそこに行くんだ
きっとまた理想と現実に挟まれて迷うこともある
そんな時中田裕二の音楽また助けられるんだと思う
今までがそうだったように
誰かの頼みを 受けたわけじゃない
自分にはただ成すべきことがあると
思い込ませるしかなくて
おもしろ仏教おじさんじゃなかった
去年の11月KIRINJIぶりの福岡ライブ!
やっぱあそこのライブハウスいいよね
ちょうどいいサイズ感
2列目、左手側の位置でした
なので平泉さんのギターと中田くんを交互に見れるという何とも贅沢な座席でした
ちゃんと開演10分前に着いて酒をごくごく飲み干して、大人しく着席しておりました
もっと早く着かんかい!
あの会場に座席があるの、違和感凄かったなマジで
いやでも中田裕二のライブは座席があって、足に優しいのがいいところです
開演してゾロゾロ入ってくるや否や、スピーカーに足乗せてバチバチに煽りの表情の中田裕二を見て、カッコイイ…とマジで思った
多分これ動画とかだったら手ェ叩いて笑い散らかしてると思うんですけど(おい)、中田裕二ってカッコイイんですよね、本当に、みんな知ってると思うんですけど…
最近中田裕二のこと、歌うまおもしろ仏教おじさんだと思ってた節があったので(本当に失礼)、2ヶ月ぶりに生の中田裕二を間近で見て、思い知らされました
ガキの時に猛烈に憧れた中田裕二だって、思い知らされました
本当に各所で言われてますけど、テンション高い中田裕二とイケおじパラダイスと最高の歌声のライブでした
3曲、語らせてもろてもよかですか
ONLY I KNOW
僕だけは君を見てる
心いたたまれず
普段、中田裕二の音楽のスタンスが色濃く出てるビターネスとか椿屋でいうところのブライテスト・ダークネスがめちゃくちゃ好きなのですが、久々に中田裕二、メロ男じゃん…となった曲です
久々にやる曲です、っていう前フリで始まったこの曲、
「僕だけは君を知ってる 何がふさわしいかを」で、まだ椿屋やってた時代、中学2年の修学旅行で東京来たんですけど、中田裕二がおるかもしれん…と純粋にソワソワしてた頃の記憶が甦ってなんか…すごい…最近本当に中田くんのこと仏教おじさんだと思ってたので、ときめきみたいなのを感じてウォ…となりました
なんかこういう話バカ恥ずかしいな
当時は一回り年上の中田裕二があんまりにもメロくて、それは今でもそうなんだよな…と聴きながら思いました
全くなんなんだあの魔性の男は
震えるまぶたが〜のところで手ェピロピロしてたの可愛かったっす
思惑と罠
みんな大好き思惑と罠〜!!
最高だったね!本当に!な!
椿屋四重奏に出てくる男と女の物語で、この曲が本当に大好き
駆け引きし合ってて、お互い自分がイニシアチブ握ってると思ってるけど、それが静かにお互い首絞めあってて、2人して愛の奴隷になってる様があのサウンドで蘇った瞬間の興奮、たまんねぇ〜〜〜〜〜
というか椿屋四重奏の時と変わらない声で歌ってた中田裕二にぼかぁビックリでした
本当に凄かった
私は中田裕二以外のアーティストのライブにあんまり行かないのでわかりませんが、ライブでここまで正確に音程取れて、ライブとしてのパフォーマンスも出来る人ってなかなかいないんじゃなかろうか
やっぱり中田裕二は最強だ
DECADANCE
この曲だけなんかライブの話じゃなくて、曲の話になってしまう許して
しかも長ぇ
中田裕二は圧倒的に影を描いてきたアーティストだと思う
椿屋の頃は男女の物語の中でそれを描いてきて、今は人生という大きな枠組みでそれを歌っている
ものを置くとき、影が発生すれば必ず光源も存在するように、中田裕二の楽曲は影ばかりのようでよく見ると光も存在している
人の孤独ややるせなさ、それだけじゃなくて微かな希望を歌うアーティストなんてそうそうおらん
いや私が中田裕二以外あんま聴いてないからかもしれんけど…
私は日本の音楽シーンが未だ「共感」という土台に若干乗っかってると思ってて、よく言えば大衆性、悪く言えば薄っぺらい言葉、今だとSNSでの拡散力もそこにプラスされてる現状に、この曲をぶん投げてきた中田裕二本当に最高の男やなと思ってますです
まあでもそれは私が中田裕二を15年くらい好きだという文脈があってのその感想なのでね
ハチャメチャな贔屓はしている
生きてれば誰しもが直面するこのテーマは普遍性を持っているんだけど、音楽で扱われることはあんまりないのかもしれん
文学だとよく扱われるけど、音楽でこのテーマを扱うには短すぎるから
けれど中田裕二というアーティストはそれを見事に5分弱の曲の中に収めてしまっており、天才の所業すぎるんよな
中田裕二の楽曲は文学だとよく評されるが、私は確かにそうだった時期もあるが、今はそのエッセンスは残しつつもう少し違うものになりつつあるんじゃないかと思っている
明確には椿屋四重奏の「いばらのみち」から変わったと思っている
省くけど、このあたりから言葉の選び方が割とストレートになった気がする
文学だと情景描写とか言葉重ねて全体を作るみたいな言葉の選び方になる気がすると思っていて、椿屋四重奏の頃は特に顕著だった
そのピークが「薔薇とダイヤモンド」であり、「孤独のカンパネラを鳴らせ」に向かって変化していき、中田裕二ソロで完全に抜けきったと私は考えている
だから文学的な表現やエッセンスはありつつも、言葉の選び方がストレートになってて、尚且つ中田裕二本人の人生が音楽に反映されている
というのが現状かしらん、と思っている
坂口と谷崎と中田裕二
そしてこの曲を語るなら坂口安吾「堕落論」と谷崎潤一郎「陰翳礼讃」の話もしたい
多分この曲この2つから出来てるだろう…多分…知らんけど…
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。
坂口は堕ちること(=人間のありのまま、醜さ身勝手さを受け入れること)で人間は救われると説き、この要素は歌詞の中の
甘んじて堕ちよう、我先に堕ちよう
の部分に発見することが出来る
この坂口の文章は恐らく宗教的意味合いで書かれたものでは無いと思うけど、字面だけ見ると仏教みもなんか感じるね
まあでも分からん、坂口はインド哲学やってたからな
曲中で使われてる堕ちるの意味も、多分悲観的な意味合いではなく、堕ちて光を見いだすみたいな話かなと勝手に思ってる
谷崎の陰翳礼讃の最後はこう終わる
文学という殿堂の檐のきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。
中田裕二の音楽じゃん!
まるでこの世に唯一無二の中田裕二の音楽じゃん!
ごめん大声で言わしてもらってもええか?!
中田裕二の音楽だよこれェ!!!
この谷崎の「一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ」を実際に音楽でやったのが今回の中田裕二のアルバムだと思っている
勝手に思ってる
人生の影、生きる苦しみや悲しみに向き合って、そこから堕ちることで明日に向けての薄らとした希望、光を浮かび上がらせたアルバム、このご時世に、あえてこんな音楽があってもいい、ていうかこんな時代だからこそ中田裕二の音楽がめちゃくちゃ光る
文学作品や仏教やその他色んなジャンルの物事を、中田裕二のフィルターに通して音楽に出力するその手腕、椿屋四重奏の時から全く変わっておらず、尚且つ中田裕二の人生の要素も反映させてるだろう、本当に中田裕二にしか作れない音楽になっているのでスゲェ
どこまで最高を更新していくのか、この人…ってライブ中はしみじみ聴いてました
中田裕二の歌に助けられたとか言ってますけど、多分これ14歳の時に中田裕二と椿屋四重奏に出会ってたから私の場合そうだっただけで、音楽聴く人にはこういうアーティストひとりは必ずいると思います
私の場合それが中田裕二と椿屋四重奏だったという話で、中田裕二で良かったなと、ライブの最後に思いました
サングラスかけてるひと!って指さしてもらったし、握手もまたしてもらったのでなんか貰ってばかりだけど、私は中田裕二の音楽から貰った何かしらを、私の人生の何かしらで誰かに手渡したいなと思った
なんかいち消費者が大仰なこと言ってますけど、そういう気持ちになった、ということを記しておきます
楽しそうにおちゃらけたり、歌ったりする中田裕二をみて、素直に本当にそう思ったので、記しておきます