私と空港とおまえ
目がさめるだけでうれしい人間がつくったものでは空港がすき
雪舟えま『たんぽるぽる』
空港が好きだ。生活柄よく空港を利用する。最近は名古屋に足繁く通っている。
名古屋・セントレア空港。セントレア空港のあのフードコートが好きだ。(後輩が東海オンエアがロケしてたところって言ってた)
コロナの余波がまだ強かった去年の7月、ほとんどの店は休業しており、最終便に乗る時間ということもあってセントレアの空港は乗客自体が少なかった。荷物を預けて手荷物検査を受けて中で待つには退屈すぎる、かといってスタバももう閉まっているし、どうするかな、と思った矢先のケバブ。こんな空港のフードコートの片隅にケバブて・・・と失笑しながら店に近づいた。なるほど、どこの国籍の方かはわからないが、外国の方がカウンターの中で作業をしてらっしゃる。ケバブは食ったことないし、昼からカフェオレしか摂取していなかったので、注文しない理由はなかった。
メニューを見て、一番スタンダードなものを選んだ。他にハンバーガーもあったが今日はそれが目的でないのでね。
「ちょっと時間かかるけどイイ?」
カタコトの日本語って久々に聞くなあ。なんだか上から目線になるが、カタコトの日本語は途方もない愛らしさを感じる。おおよしよし、ってしたくなるような愛くるしさ。それは私が日本語のネイティブだからなのかもしれない。もしくは前の職場で働いていた時、同い年の中国人が日本語が流暢すぎてそれに慣れていたのもあるかもしれない。(彼女は非常に賢くかわいらしいのだが、毒舌で罵詈雑言を発する時だけ日本語と中国語が混ざった。今の職場に遊びに来てくれた時以来だけれど元気にしているだろうか)とにかく私はその問いに大丈夫です、と答えた。
人のおらんフードコートはまるで廃墟、しかしテーブルには埃ひとつない。フードコートにはケバブ屋のオジサンとわたし。なんだか文学的な風景じゃあないか。取り残された2人みたいじゃあないか。世界に取り残されたとしてこのケバブ屋のオジサンと、オタクのわたくし、サバイブできるとは思わないけれど。いやわからぬ。オジサンだけ生き残りそう。そうなったらわたしの墓には、オジサンの涙とケバブを備えてくださいまし。ドリンク付きで。
「レディ!デキタヨ」
おもろすぎるだろ。
これ全客にやってんのか。
日本でレディと呼ばれる体験ができるとは思わなかった。このフードコートの片隅で。
笑いを堪えながら、ありがとうございます、とトレイを受け取る。
人生初のケバブは、こう書くと素気ないのかもしれないが、大方予想のつく味であった。あとサブウェイより食べやすかった。(わたしはサブウェイジャンキーである)ポテトが多分業スーの味だ。
味音痴なので、わたしの食品に対しての認知は「食べられるか」「食べられへんか」のどちらかである。
ケバブ、美味しくいただきました。
空港がすき、というか空港は思い出の積み重ねの場所なのかもしれない。
飛行機に乗るために空港に行く、どこかに行くため、到着するための場所。
楽しみの前段階を過ごす場所であり、帰路のはじまり。
旅行に行く前にそんなにお前浮き足立って転ぶなよ、と同行者に言われた矢先にすっ転んだ場所。
仕事が決まらず、毎回半泣き状態で面接とプレゼンのためにパソコンと共に降り立った羽田空港。
研修の終わりで絶対お前泣くだろと言われて泣かん、と言い切ったものの、結局帰りたくないと同期たちに駄々をこねた羽田空港。
推しを見るために徹夜で気合い入れて向かった伊丹空港。
月一で向かう、セントレア空港。
好きだ、旅行に向かう人、仕事に追われている人、旅行で浮き足立った人、誰かを見送りに来た、迎えにきた人、空港で働く人たち。
あらゆる分岐が空港にはある。物理的にも、目に見えない分岐も。
わたしも分岐するし、ここにきた全ての人々は分岐している。大なり小なりの分岐。
分岐を経て降り立ったあと、何か前向きな気分になる。荷物が流れてくるコンベルトベアを眺めて、生まれ変わった気分になる。目が覚めた気分になる。いや確かに飛行機の中では爆睡していましたが!
また7月、すぐ名古屋に飛ぶ。空港に行く。それがわたくしの楽しみである。