バタフライマン 第8話 殻を打ち破れ!
ある昼下がり、メタモル・シティ銀行にはいつも通りの光景が広がっていた。しかし、その日常は突如として崩壊する。銀行のドアが開き、貝殻のような肌の質感を持つ巨漢の人型の怪物が現れたのだ。その姿を見て、人々は唖然としていた。待合室の椅子に座っていた男が呟く。
「何かの撮影か?」
すると貝の怪物は男のそばに行き、そのこめかみに両手を添える。
「え?」
次の瞬間、男の頭部が果実が潰れるかのように破裂した。血と脳漿が飛び散り、人々はしばらく呆然とする。怪物は男の頭部をまるで蚊を潰すかのような動作で叩き潰したのだ。
隣にいた女性の悲鳴が上がる。すると怪物はその女性の胸倉をつかみ、天井に向かって投げ上げた。女性の体は天井で回っていたファンに当たり、粉々にちぎれ飛ぶ。銀行内はたちまちパニックになった。
「ガシャシャシャ!死にたくなければここにある金を全てこのオイスター様に渡せ!」
オイスターと名乗る怪物は周囲の人間をその剛力で肉塊に変えながら奥へ奥へと歩いていく。そして受付にいた女性行員の前でこう言った。
「金をよこせ。五秒以内に『はい』と言え。さもなくば殺す。」
彼女は恐怖でうまく声を出すことができない。そうしているうちに五秒が経過した。
「時間切れだ。死ね。」
オイスターは行員の頭を掴んで机に力いっぱいぶつけて、叩き割った。オイスターはさらに奥へ奥へと進み、警備員の頭を握りつぶし、巨大な扉の金庫の前に立つ。そして扉に強烈なタックルをかまし、一撃で破った。男は背中に背負った巨大な二枚貝型の入れ物に札束を詰め込んでいく。あらかた集め終えると、オイスターは元来た方向へ歩き出す。
そして先程に攻撃を何とか逃れた人々の方を見る。
「やっぱり皆殺しにしねぇとな。」
その一言で人々の顔が恐怖に歪む。それから数秒もしないうちに銀行の窓や壁に大量の鮮血が飛び散った。オイスターは外に出ると、街の人々が恐怖した表情で彼の方を見つめていた。
「俺の視界に入っちまうとは運の悪いヤツらだ。」
オイスターは視界に入った人すべてを原型が残らないほどぐちゃぐちゃに潰した。
オイスターは嬉しそうに血まみれの手を見つめていた。
すると
「待てぃ!そこの生ガキ野郎!」
「何だ?」
そこに立っていたのはホシノ・ゲンジュウロウだった。
「派手にやってくれたじゃねぇか。」
「何だ?ゴミを潰したくらいで大げさな。」
「お前が潰したのはゴミなんかじゃねぇ!かけがえのない人の命だ!その人たちがお前に何をしたってんだ!よく考えてみやがれ。なんでただ通りかかっただけで殺されなきゃならねぇんだ!」
「人間は視界に入っただけで気分が悪くなるからな。」
「もういい。お前をぶっ潰す。」
「Coccinella septempunctata」
「装身ッ!」
ゲンジュウロウは天道虫の戦士に変身し、鉄下駄を掲げて構えをとった。
「ガシャガシャガシャ!そんなもので俺を倒そうってか!」
オイスターが嘲笑う。
「そう笑ってられるのも今のうちだぜ。」
ゲンジュウロウは下駄を振りかざし、オイスターの胸部目掛けて殴りかかった。
「うぉぉぉぉ!」
ゲンジュウロウは思い切り下駄を当てた・‥が、手ごたえがまるでない。金属を叩いたような感触があるだけだ。
「何だそりゃ?」
オイスターは鼻で笑うように言うと、ゲンジュウロウの体を殴って吹き飛ばした。
「がっ!」
「こんなもんなのか?『繭』の戦士の実力は。」
オイスターの体は強固な外殻で覆われており、無敵の防御力を誇る。
(俺のゲタが‥効かないだと‥)
「俺の殻をゲタで破ろうってか?こいつは傑作だ。」
オイスターはゲンジュウロウの方に向き直ると硬い拳でフラフラと立ち上がったばかりのゲンジュウロウの体を2度殴りつけた。
「『繭』もたかが知れてるな。ゲタで戦うアホがいるとは。」
「このゲタをバカにすんじゃねぇ。親父から譲り受けた家宝だ。」
「そりゃ随分とバカな家に生まれたもんだな。ゲタなんか家宝にするなんてよ。」
「もう一度言ってみろこの生ガキ野郎が!」
ゲンジュウロウは猛然と立ち上がり、2つの下駄をオイスターの胸に叩きつけた。しかし、攻撃は全く応えない。
「諦めるんだな。何度やろうが同じことだ。」
「くっ!」
「俺はもう飽きた。帰ることにする。」
オイスターは体を回転させ、地面の下へと潜っていく。大量の死体の山を残したまま悪鬼は帰っていく。
「待て!待ちやがれ!」
ゲンジュウロウはそれを見て必死に叫ぶのだった。
数日後、カラタチ・シティ郊外の採石場で、分厚い合金製の鉄板と向き合うゲンジュウロウの姿があった。彼は自分を不甲斐なく思っていた。市井の人々を無惨に殺したカイジンを倒すことが出来ず、敗北を喫してしまった自分が情けなかった。ゲンジュウロウは助走をつけて走り、鉄板に下駄を何度も打ち込んだ。彼の後ろには、破られた鉄板がいくつか積み上げられていた。オイスターの殻を打ち破るためには、この鉄下駄の力の限界を越えなければならない。そのためにいくつかの鉄板に下駄を撃ち込み、どこまでなら単純な力だけで破れるのかを確かめていた。最も薄い鉄板は助走なしで叩きつけるだけでいとも簡単に破れた。少し厚めの鉄板も多少の時間を要したもののすぐに破れた。しかし、それ以上厚い物となると破るのに時間がかかり、もっとも厚い鉄板はどれだけ助走をつけても破るのに一時間以上を要した。これがこの鉄下駄の限界なのだ。オイスターの外殻はこれよりもっと硬いだろう。奴を野放しにしておけば、オイスターはメタモル・シティの市民を皆殺しにするだろう。あの大虐殺の跡を見て彼はそう確信していた。ゲンジュウロウは打倒オイスターの方法を模索した。彼は装身し、背中のマントを翅に変形させて飛びながら突撃してみることにした。すると、最も硬い鉄板にも短時間で大きな凹みが出来た。直線運動でここまで凹ませることが出来るのなら、上から勢いをつけて叩き込めば、一撃で破ることが出来るのではないだろうかと彼は思った。彼は小高い丘の上に上った。下にはこれまでで最も分厚い鉄板が置かれている。ゲンジュウロウは翅を広げて飛び上がると、猛スピードで鉄板目掛けて降下して、下駄と鉄板が接触すると同時に凄まじい衝撃が生じる。金属音が鳴り響き、ヒビが入る。ゲンジュウロウはこれに駆けてみることにした。オイスターの外殻がこれより硬い可能性もあるが、やってみるより他はない。ゲンジュウロウは覚悟を決めるのだった。
レイブンの巣では
「よぉ、カラスのおっさん。久しぶりにそのマヌケ面が拝みたくて来てやったぜ。」
浅黒い肌にタトゥーを入れた筋骨隆々の男が、玉座の前に現れた。
「何です。不躾な!」
ブルーシャークが一喝する。
「久方ぶりだなオイスター。キャメルと一緒に群れを抜けたのかと思ったぞ。」
「あんな理屈こねくり回す変態とはウマが合わねぇよ。七〇人ばかり殺したけど、見ててくれたか?あと金もたんまり分捕って来たぜ。」
「悪いがお前の動向には興味がないものでな。人間の金など貰ってどうするというんだ。」
「戦利品みてぇなもんさ。」
「ところで、『繭』の戦士とは交戦したか?」
「あぁしたとも。手にゲタはめたアホとな。弱いしめんどくせぇから無視したけどな。何度も向かってきやがって。俺の殻を破れる奴なんざいねぇのによ。」
「そいつをおびき寄せることは出来るか?」
「ちょうどまた目立つところで派手に暴れてぇと思ってたところだ。そうしてりゃあのアホも来るだろ。」
「ならば、行ってこい。必ず成功させろ。そうすれば、お前の実力を認めてやろう。」
「了解。じゃ。」
オイスターは地上へと出て行った。
メタモル・シティ中央の交差点に突如としてオイスターは姿を現した。
「さぁて‥お遊びの時間だ。」
オイスターはカイジンの姿に変身した。たちまち人々が悲鳴を上げる。
「ガシャガシャガシャ!取り敢えず全員死ねぇ!」
一方、「繭」の本部にいたゲンジュウロウはこの情報を聞きつけると同時に装身し、交差点へと飛んだ。奴が犠牲者を出す前に止めなければならない。ゲンジュウロウの決意は固かった。
「おい!」
「もう来たのかよクソッタレのテントウ虫が。少しぐらい血を浴びさせろ。」
「お前には誰一人として殺させねぇ。」
ゲンジュウロウとオイスターが言葉の応酬をしている間に、交差点にいた人々が逃げ出す。
「おいおい。オモチャが逃げちまったじゃねぇか。」
「彼らはお前のオモチャじゃねぇよ。」
「まぁいいか。お前をぶっ潰すのが目的だからな。」
ゲンジュウロウは両手に下駄をはめてそれをがっちりと重ね合わせ、そのまま勢いをつけて突進した。硬い物がぶつかる音がする。この前と違ってかすかな手ごたえを感じた。
オイスターが拳を突き出す。鉄下駄と外殻に包まれた拳がぶつかり合い、甲高い金属音が閑散とした交差点に響き渡る。甲虫の武士(もののふ)と貝の物の怪が拳を交す音が、硬い体を持った正義と悪がぶつかり合う音が大都会にこだまする。
「効かねぇって言ってんだろうがぁ!」
「何があろうと、俺はテメェを倒すまでは決して引かねぇ。」
「しぶとい奴め!」
「テメェもなぁ!」
ゲンジュウロウは段々とオイスターの攻撃に慣れてきた。本能に任せた直情的な攻撃。彼は戦略を立てるのが苦手なのだ。自分の硬さに慢心して、戦いの策を講じるということをこれまでして来なかったのである。ゲンジュウロウはオイスターの精神的な弱点を見抜いた。
「ガシャガシャ‥いい加減諦めやがれ。」
「どうした?息が上がってるぞ。」
「うるせぇ!」
オイスターが拳で力いっぱい殴りかかる。ゲンジュウロウはオイスターの攻撃をひらりと避けると、一瞬の隙に翅を開き、飛び上がった。
「どこに行く!」
ゲンジュウロウはビルの屋上に降り立つ。そしてゲタを両手にはめ翅を開いて飛び上がり、
オイスターの胴体目掛けて降下する。
「な、何を‥」
「天誅下駄落とし!」
超スピードで下駄の攻撃を受けたオイスター。その体に嫌な感触が伝わる。ひびが入る音。
「な・な‥」
外殻に大きな亀裂が生じていた。その間から乳白色の肉が見え、青い血が滴り落ちる。この瞬間、彼のプライドはズタズタになった。
「どうでぇ!ついに割ってやったぞ!」
「畜生ぉぉぉぉ!」
鉄壁の防御を崩されたオイスターは怒り狂い、猛然と襲いかかる。しかし、ゲンジュウロウはまたもひらりと身をかわし、亀裂が入って脆くなった殻に次々と下駄を打ち込む。気づけば彼の体から白いドロドロした肉の汁がしたたり落ちていた。磯の臭いが広がる。
「クソがぁ!覚えてろよぉ!」
オイスターは瀕死の状態で地下へと潜って行った。
「おい!逃げるのか!」
オイスターは完全に潜ってしまった。
「まぁあの傷ならもうだめか。おあとがよろしいようで‥」
ゲンジュウロウは直感でオイスターはもう姿を現さないだろうと悟るのだった。
瀕死の重傷を負い、命からがら巣に戻ってきたオイスターはレイブンのところに向かった。
「なぁおっさん‥俺を治してくれよ‥そしたらあの野郎をぶっ殺すからよぉ‥」
「吾輩は貴様を群れに入れる時、こう言ったはずだ。『吾輩のもとで一度失敗を喫すればチャンスはもはや(ネバー)ない(モア)』だとな。」
「待ってくれ‥後生だから助けてくれぇ‥」
「ブルーシャーク。やれ。」
「はっ。」
ブルーシャークが大鎌を振るうと、地面が揺れた。そして次の瞬間、巨大な鮫の口が現れ、オイスターを飲み込み、バリバリと咀嚼した。オイスターは奇しくも彼が無下に殺した人々のように原型を留めない肉の塊となり、吐き出され、そのまま燃えて灰となるのだった。
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