バタフライマン 第4話 蝶と蛍と邪竜
カイジン一族のアジトの地下の一室。その壁にはあらゆる生物の紋章が描かれたタペストリーが掛けられていた。その内、蛸、蚊、虹鱒の紋章に引き裂かれた跡があった。。
「これは一体どういうことだ!吾輩の優秀なる配下たちが、短期間に3名も倒されるとは!」
真っ黒な軍服を纏った男が怒鳴った。
「レイブン様、どうか気を静めてくださいませ。」
群青色のドレスを纏い、口元を布で隠した女が男を宥める。
「黙れブルーシャーク!お前が何を言った所で、吾輩の怒りがおさまるものか!」
軍服の男は背中から真っ黒な翼を出し、上を向いて叫んだ。
「レイブン様。ここは冷静にならねばなりません。『繭』の息の根を止めるための策を考えなければ。」
と、そこにスーツを着て、眼鏡をかけた男が入ってきた。
「失礼します。レイブン様。」
「イグアナか。何の用だ?」
レイブンは眼鏡の男を睨みつける。
「お言葉ですがレイブン様。あの3名には問題が多すぎました。だから敗北を喫したのでしょう。」
「レイブン様が見込んだものたちにケチをつけるというのですか?イグアナ。」
ブルーシャークがイグアナに向かって凄む。
「実際そうではありませんか。ブルーリングは『繭』の再始動を知らなかったからまだ仕方ないと言えるでしょう。彼の変態ぶりには寒気がしますがね。モスキートは戦士打倒の任務よりもくだらぬ食道楽を優先し、戦士を前にして慢心し、隙を突かれました。レインボートラウトに至っては聞き分けがなく、思慮の浅い子供です。そもそもモスキートとレインボートラウトはレイブン様の命令もないのに、考えもなしに勝手に飛び出していったではありませんか。彼らが戦士を倒せる可能性は限りなく低いと思いますが。」
「するとイグアナ。お前に何か人間を効率よく減らし、戦士を排除する手はあるのか。」
「もちろんですともレイブン様。私が必ずやあなたの目を楽しませ、戦士をあの世におくって見せましょう。」
「それならば吾輩にお前の実力を見せてみろ。期待しているぞ。」
「仰せのままに。」
イグアナはそう言うと、レイブンの部屋を出て行った。
メタモル・シティのある島国からほど近い国にある街でイー族とヨウ族という2つの民族が暮らしていた。彼らは異なる民族ではあったが、助け合って暮らし、良好な関係を保ち続けていた。その様子はまるで民族の違いなど存在しないかのようであった。2民族の友好は百年にわたって続いており、決して断たれることなどないと誰もが思っていた。しかし、この二民族の仲を破壊しようとするものがいた。他でもない、カイジン一族の刺客、イグアナである。イグアナは眼鏡にスーツという出張中のビジネスマンにも見える人間態を持っていたため、違和感なくすぐに街に溶け込んだ。
(これが成功すれば、レイブンもさぞ喜ぶだろう。俺の株も間違いなく上がる。)
イグアナは表面的にはレイブンを慕っているように見せかけていたが、心の中では何とも思っていなかった。レイブンの群れに所属する他のカイジンたちも同様だった。群れの中で彼のことを本気で慕っているのは、ブルーシャーク一人だけだった。そもそもカイジン社会には上下関係は希薄である。群れを作り、その群れのリーダーを決める制度はあるが、リーダに権威と呼べるようなものは特にない。群れの中で最も戦力が高いものがリーダーになるというだけのことだ。しかし、レイブンはリーダーの座に就くと権力を振りかざし、玉座を設けてふんぞり返っていた。レイブンをよく思っているカイジンは皆無に近いが、部下が成果を出すと報酬を与えたり、特別に扱われたりするので、彼を上っ面だけで慕うものは多い。
(平和というのは、実に退屈なものだ。)
イグアナは仲睦まじい二民族の様子を見て異様に長い舌を出して舌なめずりをする。彼は早速行動を起こした。彼は「シエロン」という名を使い、政治家としてこの街に潜伏することにした。イグアナは街の中心にある広場に人々を集め、演説を始めた。
「こんにちは。私はこの街を改革するためにやってきたシエロンという者です。」
人々は突然見知らぬ男に呼び集められたことに困惑していた。
「皆さんは百年以上もの間、良好な民族間の関係を築き続けてきたようですが、」
人 々が頷く。
「もし、その友好関係が偽物だとしたら?どちらかの民族が裏でどす黒い悪事を働こうと企んでいたら?あなたたちはどうしますか?」
「そんなことあるわけがないだろ!」
「出鱈目言わないでよ!」
人々は口々に反論し、バカバカしいと思いながらそれぞれの家に帰ってしまった。
(その通り。今は出鱈目だ。しかし、俺が今から、この出鱈目を事実にしてやる。)
イグアナは二民族の水源となっている井戸に向かった。するとその手が緑色の鱗に覆われたものに変わる。そして爪から緑色の毒液を垂らした。友人のツリーフロッグが分泌したものだ。
「ふふふ‥」
翌朝、イー族の青年がその井戸の水を飲み、その後すぐに吐血して命を落としてしまった。
このことは村で大きな騒ぎとなり、井戸の前に大勢の人が集まった。するとそこにイグアナが現れた。
「私は見ましたよ。何者かが夜中にその井戸の近くに来て、その井戸に何か入れたのを。」
「なんだって!」
「だから言ったでしょう。ヨウ族はあなた方と仲良くしていたふりをして油断させ、今、凶行に走ったのです。」
人々の間にざわめきが走る。みな信じられない様子だ。そしてイグアナは翌日、さらなる行動を起こす。イグアナは自らの鋭い爪でその体に傷をつけた。そして、朝、別の井戸で水を汲もうとしていたヨウ族の女性の近くに行き、大げさに苦しみ悶える動きをしながら、
大声で叫んだ。
「皆さん、ヨウ族が井戸にまた毒を入れようとしていました!私は止めようとしたのですが、この通り切りつけられました!」
イグアナの瞳孔が一瞬縦になり、念力が発せられて、先程イグアナがあらかじめ地面に落としておいた剃刀が動き、女性の手に勝手に握られる。
「皆さん!ご覧ください!この女性が剃刀で私を切りつけたのです!これは動かぬ証拠です!」
「違う‥私は‥こんな…」
「皆さん、言い訳に耳を傾けてはなりません!」
イグアナの言葉によって、女性は無実の罪で逮捕されてしまった。しかし、イー族の人々はヨウ族が自分たちを殺そうとしているという疑惑を抱くことはなかった。きっと、あの人だけが何らかの動機で井戸に毒を入れたのだろう。まだそう思っていた。イグアナはその日の夜、ヨウ族の民家に侵入し、ナイフを盗み出した。ナイフには住人の名前が刻まれていた。そしてイグアナは夜道を歩くイー族の老人を見つけると、そのナイフで老人の首をかき切って殺し、わざとナイフを落として去った。次の日、死体が見つかり、落ちていた凶器のナイフにヨウ族の男の名が刻まれていたことから、その男は逮捕された。やがて、イー族の人々はヨウ族に疑惑の目を持ち続けるようになった。イグアナはさらにイー族を煽動する。
「皆さん、この街で起きた二度の殺人事件の犯人は全てヨウ族です。これでもうおわかりでしょう。ヨウ族はイー族に殺意を持っており、非常に危険だということです。あなた方も自ら身を守らねば、殺されてしまいますよ?」
この言葉が決定打となり、イー族の人々はヨウ族に対して恐怖心を抱くようになり、今までは親しかった仲であっても、出会った瞬間に避けたり、無視したりするようになった。
そしてある時、イグアナが高台に立って街を見下ろしていると、イー族の男が現れた。
「見たぞ。あんたがあの時、爺さんを殺したのを。アンタはナイフを盗んで、罪を持ち主に擦り付けたんだろ!」
「どうやら、見られていたようだな。まぁいい。」
「観念しろ!人殺しめ!」
「お前をこの場で殺せば済むことだからなぁ!」
イグアナは見る見るうちに身の丈三mの蜥蜴の怪物に変身した。
「ば、化け物!」
「グアーッ!死ねぇ!」
イグアナは巨大な尻尾で男を叩き、高台から突き落とした。下で虫の息になっている男を念を入れて踏みつぶし、息の根を止めた。そしてこの男の死もヨウ族に擦り付けた。さらにイグアナは夕方、道を行く幼い少年に話しかけ、カイジンの姿になって襲いかかった。少年の胴体に強く噛みつき、骨を砕いて大けがを負わせた後、自分で病院に連れて行った。
ベッドの上で苦しむ少年がふと、うわごとを言った。
「とかげ…とかげのおばけ…」
イグアナはぎくりとした。そして慌てて他のカイジンに連絡を取った。そして、その日の夕方、金髪に浅黒い肌で、胸に布を巻いただけのような恰好の十七,八くらいの女がやってきた。右手は蟹の鋏になっていた。
「フィドラー。来たか。」
「アンタ、これ何に使うの?ウチの自信作なんだけど。」
女の手にはトカゲを模した精巧な仮面があった。この女カイジン、フィドラーは趣味で不気味な仮面や人形を作り、自室に飾ったり、売ったりしていた。
「作戦に使うんだ。いいから黙って寄越せ。」
「へぇ。ウチもこの街の人間二,三人ちょん切りたいんだけどダメ?」
「ダメだ。この街の人間は俺の獲物だからな。」
「あっそ。じゃあがんばって。」
フィドラーはそう言うと立ち去った。イグアナは早速適当なヨウ族の家に侵入して、この仮面を置き、出て行った。そしてその家を警察に家宅捜索させ、そして次の朝、
「皆さん、先日、子供が大けがを負いましたね。彼は病院でトカゲの怪物に襲われたとうわごとを言っていたのです。そして私が前から目をつけていた男の家からこのような仮面が見つかりました!彼はこれを被って、子供に暴行を加えたのでしょう。これでヨウ族の残虐性が分かりましたか?子供を傷つけるような民族と一緒に暮らせますか?我々に残された道は戦いしかありません!」
これにより、ついにイー族はヨウ族を迫害するようになった。ヨウ族を見つければ老若男女問わず石を投げ、暴行を加えた。百年の友好関係は今ここに崩壊した。イグアナはその様子を見てほくそ笑むのだった。
ある日、カラスマ・ミドリとタイラ・ヒカルのもとにすぐに本部に来るようにと、通信機の役割もある強化服を通してミドリの父、カラスマ・キイチから連絡が来た。「繭」の本部はキイチの家、即ちミドリの実家の地下にある。実験室や戦士たちの部屋があり、カイジン対策の研究が行われている。ミドリとヒカルはすぐにそこに向かった。
「父さん、何かあったのか?」
「これを見ろ。」
モニターにニュース映像が映る。
「百年の友好が続いた二民族にいったい何が起きたのでしょうか?C国のはずれにある街で民族紛争が起きました。仲が良かったはずの民族がなぜ、争いを始めたのでしょうか?」
「むっ!」
「どうしたヒカル?」
ヒカルは画面に映る眼鏡にスーツの男を指さした。
「この男から生臭い邪気を感じる。それに爬虫類のような冷酷な目をしている。」
「やはりそうか。カイジンが関わっている疑いがあったが‥ミドリ、ヒカル!今すぐこの街へ飛んでいけ。」
「よし!行くぞ!」
二人は戦士に装身すると、羽を開き、空に飛び立った。
2人が街に降り立つと、装身を解き、町の様子を確認した。ミドリはこの街のことを何度か雑誌で見たことがあった。とても穏やかで平和な写真がいくつも載っていたが、今の状態はそれとは程遠い。あちこちで火の手が上がったり、乱闘騒ぎが起きたりしている。
「この街全体を、汚れた邪気が覆っている。カイジンはここにいるぞ。」
「あぁ。この雰囲気は異常だ。」
ミドリとヒカルはあちこちで起きている争いに割って入り、一時的に止めた。
「皆さん、落ち着いてください。あなたがたは煽動され、騙されている可能性が高いです。ここに、怪しい男が来ませんでしたか?」
ミドリが言う。
「シエロンさんのことか?あの人は俺たちを目覚めさせてくれた。」
「ヨウ族の裏の顔を暴いてくれた英雄よ!」
「違う!そいつは狡猾な爬虫類だ。お前たちは踊らされているのだぞ!」
ヒカルが語気を強めて言う。しかし、住民たちは聴く耳を持たず、石や鉄くずを投げつけてきた。
「ダメだ!ここで話し合いをしても、埒が明かない!」
「元凶を叩かねばならぬようだな。」
ヒカルが山の方を見る。
「あの高台で、邪悪なものが町全体を嘲笑っている。」
ヒカルは研ぎ澄まされた勘でカイジンの位置を特定した。ヒカルとミドリは急いでそこに向かう。高台に上ると、そこには眼鏡をかけたスーツ姿の男が立っていた。
「そこのお前。」
「何だ?」
「カイジンだな?」
「『繭』の戦士か。こんな所までご苦労なことだ。俺を倒しに来たのか?」
「それ以外に何がある。この街の人々を煽動し、争いを導いたのはお前だな?」
「その通り。退屈な平和を刺激的なものに変えてやったのさ。素晴らしいだろう。」
「何が素晴らしいものか。平和ほど尊いものはない。それを破壊することは、この世でもっとも憎むべきことに他ならん!」
ヒカルが声を荒らげる。
「行くぞ、ミドリ。」
「あぁ。」
「Papilio maackii」
「Luciola lateralis」
「「装身!」」
2人は同時に装身した。
「ならば俺も…グアアアッ!」
男は見る見るうちに巨大な蜥蜴の怪物に変身した。先史時代の竜を思わせる姿をしている。
「何という大きさだ‥」
これまでのカイジンは皆等身大だったが、このカイジンは3m以上の大きさがある。
「グア―ッ!知と力を兼ね備えたこの俺に勝てると思うなよ。虫けらども。」
「行くぞ!」
「参る。」
ミドリは高く飛び上がって殴りかかる。イグアナは爪の付いた腕を振り下ろし、ミドリを弾き飛ばした。まるで羽虫を追い払うようだ。ヒカルが「蛍火」を構えて後ろから切りかかるが、巨大で鞭のようにしなる尾で、同じく羽虫のように弾き飛ばされてしまった。2人が単独で戦った相手とは比べ物にならないほど強い。イグアナはミドリの胴体に食らいつき、投げ飛ばした。ミドリは木の幹に叩きつけられて怯む。
「何という化け物だ…」
「俺の力を思い知ったか!虫けらは虫けららしく散れ!」
イグアナは猛然と襲いかかってきた。
「はっ!」
ヒカルは一瞬の隙をついてイグアナの顔を「蛍火」で斬りつけた。
「グアアアアッ!」
「お前たちカイジンは慢心すると隙が生まれるな。魚のガキもそうだった。」
「蚊男もな。」
「俺をあんな下賤どもと一緒にするなぁ!」
再び襲いかかるイグアナを前にミドリとヒカルは戦闘態勢に入る。
「俺の顔に傷をつけたこと、後悔させてやる!」
ミドリとヒカルは拳と刀を振り上げて飛び上がった。
下の街で争っていた人々は高台で起きている二戦士とイグアナの戦いに気づいた。
「おい、何だよあれ‥」
「トカゲの化け物…」
人々はあの少年のうわごとを思い出した。そして自分たちを煽動し騙して争わせていた醜悪な邪竜の存在をここで彼らは悟った。
イグアナと二戦士は高台で戦いを繰り広げていた。ミドリの拳とヒカルの刀。彼らはイグナナが何度尻尾で弾き飛ばそうと、爪で薙ぎ払おうと諦めずに立ち上がり、何度も攻撃してきた。イグアナはそのことに恐怖を覚えた。圧倒的な力をもってすれば全てを征服できるというイグアナの幻想が崩れ落ちた。
やがてイグアナは追い詰められ、高台から下の街に転落した。街の人々がイグアナを睨みつけていた。
「お前、シエロンか?」
「よくも私たちを騙してくれたね。このバケモノ!」
人々はイグアナに向かって石を投げ始めた。二民族の繋がりが蘇った瞬間である。
「このクソ土民ども!踏み潰してくれる!」
イグアナは人々を叩き潰そうとする。
「まずい!行くぞ!」
「あぁ。」
ミドリとヒカルはイグアナへの攻撃を再開する。ヒカルは体のあちこちに拳を撃ち込み、ヒカルも何度もその体を斬る。そこに人々の投石が加わる。
女性たちはいつの間にか竹やりまで持ち出した。そのうちの一本がイグアナの目に刺さる。
「グアアアアアアアッ!おのれ虫けらどもぉ!」
さらにもう片方の目をもヒカルが斬りつける。
「グエエエエッ!」
「両目を潰せば、弱体化は免れん。諦めるんだな。」
ヒカルがそう言うと、ミドリが拳を振りかざし、イグアナの胸部を殴りつける。
「大揚羽正拳突き!」
ヒカルが飛びあがり、「蛍火」が燐光を放ち、イグアナの胴体を斬る。
「蛍切の攻!」
「グェェェェェェェッ!」
イグアナの体が燃え上がり、その体は灰になって吹かれて空に舞っていった。人々はお互いに詫び、完全に和解した。人々は戦士たちに礼を言ったが、二人は「どういたしまして」
と一言言うと、そのまま飛び去ってしまった。その後、この街には人々を騙し、争いを起こした邪悪な竜を倒した謎の戦士たちの伝説がいつまでも残るのであった。
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