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バタフライマン 第18話 銀の海豚と邪教の漁村

 レイブンが倒れる少し前、遠洋に浮かぶワダツミ島では、記録的な不漁が続き、多くの島民が飢えていた。ある曇り空の日、漁師たちが少ない獲物にため息をつきながら網を引いていると、突如として海上に人影が現れた。その人物は長身でどこの国の物ともつかない奇妙な服を纏っていた。その服には鯖の模様に似た紋様が刻まれており、彫りの深く、青白い不気味な顔をしていた。

「お、おい。あれ。」

 一人の漁師がそれに気づき、水平線を指さす。

「怖がることはない。私は海の使い、そして鯖の化身だ。そなたたちに恵みを授けよう。」男はそう言うと、何匹かの鯖を怯える漁師たちに差し出した。

「こ、これは…」

「私は島の民全員が生きていけるだけの鯖を用意できる。行って皆に伝えてこい。もうひもじい思いをすることもないとな。」

「本当ですか?」

「あぁ。約束しよう。」

 漁師の男は喜び勇みながら村に走って戻っていくのだった。

 

 アオキ・ワタルは「繭」海上部隊の一員として、ヤマト島国周辺を船で巡回していた。彼はワダツミ島というほとんど知られていない孤島にたどり着いた。たしか小さな漁村があり、漁業を生業とする人々が慎ましい生活を送っていると聞いている。このような小さなコミュニティはカイジンたちの恰好の的である。反抗する力を持たない平和な集落などは奴らの食糧庫も同然だ。そしてワタルはこの島に不穏な気配を感じた。彼の勘は研ぎ澄まされており、カイジンがらみのことが起きている場所は空気と気配ですぐに分かる。ワタルは船をこの島に停めた。上陸し、切り立った岸壁を眺めながら集落へと通じる道を歩いていく。集落に着いたが、活気が全く感じられなかった。昼間だというのに人っ子一人外に出ていない。人の気配は締め切られた障子の向こうからかすかにする。僅かに空いた障子からはやせこけた男が布団に横たわって顔を出していた。よく聞くとあちこちの家から咳をする音が聞こえる。皆病の床に伏せているようだ。ワタルは障子から顔を出す男に話しかけた。

「すみません。この集落では何が起こっているのですか?皆さんご病気のようですが…」

「何ともない…鯖主様の恵みには苦しみが伴うのだ…この病は体が生まれ変わる途中の副作用のようなもの。じきに良くなる…」

 男はそう言うがその嗄れ声は明らかに普通ではない。

「鯖主様とは…」

「海から突如としてそのお姿を現し、不漁で困っていた我々に恵みの鯖を与えてくださったお方だ‥」

 ワタルはあることを思い出した。小さな村に入り込むカイジンは宗教染みた行為を行って住人たちを騙し、捕食したり命を奪ったりするのだ。一世代前の「繭」の改人録にもポーキュパインと言うカイジンが神仙を名乗って村人を洗脳し、子供を食らおうとしたという記録が残っている。これもその類のカイジンの仕業かもしれない。ワタルは氷の詰まった箱に入れられていたその鯖主なる存在から渡されたという鯖をその男の家から借り、船の中から調べることにした。鯖は一見すると何の変哲もない本土の鮮魚店で売られているそれと何ら変わりないものだった。ワタルは鯖から肉片を切り取り船に備え付けられた装置で成分を分析した。すると未知なる物質が大量に検知された。人体に悪影響を及ぼす毒性の強いものだ。こんなものを人々に食べさせるような真似をするのは間違いなくカイジンだ。ワタルは早速先程話を聞いた床に臥せている男に鯖主がどこにいるのかを聞いた。どうやらその存在は海辺の断崖の近くにある洞穴に住んでいるらしい。ワタルは急いでその場所に向かった。洞窟の中には岩のくぼみを利用した蝋燭が建てられた祭壇があり、司祭のような恰好をした男が佇んでいた。

「お前が鯖主というやつか。」

「何者だ貴様は?」

「俺はアオキ・ワタル。お前は村人に怪しい鯖を渡しているようだが…」

「怪しいだと?私は鯖の化身。貧しい漁村のために鯖を恵んだまでだ。聖なる鯖によって体が生まれ変わるから病のような状態に陥っているだけ。私は大自然が遣わした善良な存在だ。」

「そうか。お前が善良ならこの言葉を聞いても恐れる必要はないな。俺は『繭』のものだ。」

その瞬間、鯖主なる人物の体が硬直した。明かに動揺している。

「まさか…こんな辺境の島まで来るとはっ!」

「やはりそうか。カイジンめ。目的は何だ。」

「ばれては仕方がない。私の名はマカロゥ。カイジン一族の神官だ。この島にカイジンの神殿を建立するために来た。」

「神殿‥だと‥」

「我々の信仰する供祷堕恨尊を祀るためのものだ。そのためにはこの島の島民を一掃せねばならない。神殿建設のための生贄もかねて、毒を混ぜた鯖を食わせて島民をじわじわと蝕むことにしたのだ。」

「悪魔め‥お前のやってることはこの世にあるどんなカルトよりも邪悪だぞ。」

「何とでも言うがいい。島民どもを救いたければ、私を倒してみろ。毒鯖は私の分身。私が死ねば連中も解毒される。」

「望むところだ。」

ワタルは強化服を取り出した。

「Tursiops truncatus。」

「装身!」

 ワタルは銀色の海豚の鎧を見に纏う。一方のマカロゥはステッキを振り回し、マントを纏った鯖の半魚人に変身した。

「行くぞ!」

 ワタルは颯爽と殴りかかる。その拳がマカロゥの胴体に触れようとしたとき、その体がパッと分散した。

「なっ!」

 マカロゥの肉体が分離し、無数の鯖の群れに代わっていた。鯖の大群はワタルの周囲を旋回し、その体に一斉に噛みついた。強化服に傷がつくことはなかったが、かなりの圧力を全身に掛けられた。鯖の大群がまた集まり、マカロゥの体に戻る。

「驚いたか。これが選ばれた者のみにできる『魚群変化』だ。修行によって自らの細胞を分離させる。神官である私だからこそ使える奥義だ。」

 魚群は信じられないほど連携のとれた動きでワタルに襲いかかり、翻弄する。ワタルは拳で鯖を叩き落とすが、地面に落ちた鯖はすぐに宙に戻り、再び群れに合流して襲いかかってくる。何匹倒そうとも襲いかかってくるためきりがない。

「どうだ。これで私を倒すことは不可能だと分かっただろう。貴様の命が尽きるまで相手をしてやろう。」

 周囲の鯖が一斉に喋る。その光景はひどく悍ましいものだった。ワタルは魚群との戦いに疲弊し、やがて倒れ込んでしまった。

「ふん。そんなものか。」

マカロゥは群れからカイジンの姿に戻った。

「そろそろ頃合いだな。」

「なんのことだ‥」

 ワタルは嗄れた声でそう言う。

「生贄の儀だよ。病で衰弱した動けぬ哀れな村の連中を魚群となった私が食いつくすのだ!」

「そんなことはさせん!どこまで邪悪な奴だ。」

「止めてみるがいい。そんな体力が残っているのならな。」

 マカロゥは後ろを向くと、再び無数の魚群となった。

「さぁ、最後の時だ!」

 魚群がそう言いながら島中に広がって行った。

ワタルは疲弊した体に鞭打って立ち上がり、魚群の後を追った。

 一方、村の方では毒鯖ですっかり衰弱した母親と息子がやせ細った身を寄せ合っていた。

 この母子は公害病にも似た症状に蝕まれながらもマカロゥのことを鯖主であると疑わなかった。この村の人々は信心深い。そこをマカロゥにつけこまれたのだ。

「もうすぐ、鯖主さまが私たちを生まれ変わらせてくれるからね‥それまでの辛抱だからね‥」

「お母ちゃん‥あれ‥」

 幼い息子が障子の方を指さす。宙を泳ぐ無数の鯖の影が障子に映っていた。母子はようやく自分たちが新生できると思い、力なく微笑んだ。しかし、次の瞬間、鯖の群れは障子を食い破って家の中に次々入って来た。そして鯖の群れは一斉に口を開いて

「贄の時間だぞ。」

と言った。母は戸惑った。

「どういうことですか…」

「お前たちを生きたまま食らいに来たのだ。」

「そんな!生まれ変われるというのは‥」

「本気にしていたのか。あわれな奴め。貴様らは生贄であり、この私の食べ物にすぎん!」

「そんな‥」

「やせ細ってはいるが、そこの子供はよい前菜となりそうだ。そっちから行かせてもらうぞ!。」

 鋭い牙を持った鯖の群れが幼い少年に襲いかかる。母親は息子を守ろうと必死で前に立ちはだかるが、たちまち襲われてしまう。やせこけた腕や肩に鯖が食らいつく。

「中々の滋味だ。気に入った。」

 鯖の群れが次々母親の体に食らいつく。噛まれたところから血が噴き出る。彼女は懸命に魚群を子供に近付かせまいと抵抗した。

「お母ちゃん!」

息子が叫ぶ。

「うるさいぞ!」

鯖の一匹が彼の小さな耳に食らいつく。

「いたい!」

「小僧、お前も中々上等な味ではないか。」

 鯖の群れは少年の体にも一斉に食らいつこうとした。その時

「待て!」

 そこにいたのはワタルだった。彼はなんとか体力を回復させ、ここまで駆けつけたのだ。

「まだ動けたのか。食事の邪魔をするとは不躾な。」

 魚群が一斉にこっちを向いて言う。

「悪いが趣味の悪い食事は見ていられなくてな。邪魔させてもらった。」

「ふん、追ったところで貴様に何ができる。魚群となれば、私は無敵も同然。倒すことなど出来んぞ。」

 少年には突然現れた銀色の騎士が何者なのか分からなかったが、自分たちを守ってくれる義なる存在であることだけは即座に理解できた。ワタルは噛み傷だらけでぐったりした母親とすがるような瞳で見つめてくる少年を見て覚悟を決めた。

「俺が動かなければ、大勢が死ぬことになる。たとえお前に勝つ見込みがほとんどないにしろ、俺は戦う。強敵を前にしようと、俺は決して尻尾を巻かん!」

「威勢だけはいいな。いいだろう。相手をしてやる。」

 鯖の大群が固まり、カイジンの姿になる。ワタルとマカロゥは村の真ん中を通る道でにらみ合った。

「行くぞ!」

 マカロゥはは魚群となり、宙へと舞い上がる。そしてワタルに向かって急降下し、食らいつこうとしてくる。

「私に決闘を挑もうとは『繭』の戦士も愚かなものだな!私の餌になるがいい!」

 ワタルは向かってくる鯖の群れを屈んで避けながら、素早く手を出して一匹をつかみ取った。

「な、何をする!放せ!」

 鯖の群れが一斉に叫ぶ。ワタルは鯖の体を掴んだ。さっきの自分は愚かだった。宙に浮く魚がただ単に軽く叩き落としただけでは死ぬはずもない。ならば手でつかんで潰したらどうなるのだろうか。幸い、暴れる力も体の強度も普通の魚と大差はない。ワタルはその体を力いっぱい握りしめた。体が潰れ、鯖は血を吐く。

「ギゲェェェッ!」

 その瞬間、鯖の群れは呻き、カイジンの姿に戻る。肉塊となった鯖は灰になって消えていく。魚群が集まり、カイジンの姿に戻る。その胴体にはちょうど鯖一匹分のくぼみができていた。

「何をする!」

「やはりそういうことか‥」

 鯖はマカロゥ本人の細胞から生まれたものだ。それを殺せば、当然その分肉体に穴が開く。

窪みから湯気を立てながら、マカロゥはこちらを睨みつける。

「一匹殺したからと言って、調子に乗るものではないぞ‥」

 マカロゥはそう言って再び魚群に分散した。今度はワタルに掴む暇を与えず、大群で襲いかかる。ワタルは高く飛び上がる。鯖の群れは民家の塀に激突する。何匹かが壁に刺さっていたが、すぐにその体を抜き、再び襲いかかる。ワタルは再びその体を掴み、握り潰す。

 マカロゥはまたも悲鳴を上げ、人型に戻って地面に落ちる。その体にはもう一つ窪みが出来ていた。

「貴様‥やりよるな‥」

マカロゥはワタルを睨みつける。

「こうなれば最後の手段を使う他ない。」

 マカロゥは両手を合わせて何かを唱え始める。するとその体が溶け始め、膨れ上がって別の物に変わっていく。マカロゥは見る見るうちに大型バスほどもある巨大で鰭の長い鯖の化け物に変身した。

「これぞ我が奥の手!全身の細胞を組み替え、増やし、自らの形を変える。これで勝てまい!お前を殺した後、村人どもをじっくり味わうとしよう。」

「そうはさせん!」

 ワタルはマカロゥに猛然と殴りかかる。その眼球に拳が当たり、マカロゥは一瞬悶える。「小癪な!」

 マカロゥは尾びれでワタルを弾き飛ばす。ワタルは横に飛ばされ民家の塀に激突する。

「ぐはっ!」

 ワタルはうめき声を上げる。マカロゥはさらに追い打ちをかけるようにその体に噛みつき、反対側の塀に叩きつける。それを何度も繰り返す。強化服を着ているとはいえ、そのダメージはかなりのもので、ワタルは気を失いそうになった。しかし次の瞬間、怯えるあの母子や衰弱した村人たちの顔が彼の脳裏に浮かび上がった。ここで自分が破れれば、彼らは餌食になってしまう。すぐに立ち上がり、拳を構える態勢をとる。

「まだ立ち上がるか。無駄なことを。」

 マカロゥの嘲りを聞きながら彼は敵を討ち取る方法を考えた。海洋学者である彼は魚類の体構造を思い浮かべ、腹を下から殴れば大きなダメージを与えられ、敵を一時的に地面に落として怯ませることが出来るのではないだろうかと考えた。ワタルは両足を踏みしめて立ち上がり、元々の高い身体能力と強化服によって付与された跳躍力で飛び上がり、隙を見て拳を上に突き上げ、マカロゥの腹を殴りつけた。

「ギョィィィィッ!」

 マカロゥは叫び、地面に落ちてのたうった。ワタルは倒れたマカロゥが起き上がる前に拳を掲げ、勢いよく殴りかかった。

「波砕海獣拳!」

 ワタルの拳がマカロゥの胴にめり込み、何かが砕ける音がする。その瞬間、その体が熱を帯び、燃え上がる。

「私は、私は必ず栄光の神殿をぉぉぉ!」

 マカロゥは無様な断末魔を上げながら消し炭になった。

 ワタルは息を荒らげながら村人たちの方を見る。直に彼らも回復するだろう。これがレイブンとの戦いの最中に起きていたもう一つの戦いの顛末である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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