バタフライマン 第19話 深紅の暴れ薔薇
暗い地下の基地の中、誰も座っていない玉座の前で青いローブの女、ブルーシャークは主君が死ぬ間際に残した黒い羽根を握りしめていた。その顔は悲しみと怒りと狂気が混じり合ったような鬼気迫る者であった。
「レイブン様が…レイブン様が逝かれてしまった‥」
ブルーシャークはそう一人呟いた。と、その時
「お邪魔しまーす。」
おかっぱの頭に緑の縁の丸眼鏡をかけ、だぶだぶの白衣を来た少年が入って来た。
「あれあれ~。レイブンは?」
少年はおどけた口調で言う。
「ツリーフロッグ!何の用でここに…」
「いやー。最近レイブンに顔見せしてないからさー。久々に来てやったってわけ。レイブン何処?」
「レイブン様は憎き『繭』の戦士に倒されました。」
「へー。死んだの。ご愁傷様~。」
ツリーフロッグと呼ばれた少年はケラケラ笑っておどけながらそう言った。
「何がおかしいのですか!」
ブルーシャークは手にしていた大鎌をツリーフロッグに振り下ろした。
「おっと危ない。」
ツリーフロッグは高く跳ね、天井の梁に足を引っかけた。
「いやー。僕が高く飛べて良かったねぃ。」
ブルーシャークは怒りの形相でツリーフロッグを睨む。
「悪かった悪かった。お詫びと言っちゃぁなんだけど、僕にレイブンの弔いの手伝いをさせてくれないかなぁ。ちょっと試したいことがあるんでねぇ。」
そういうとツリーフロッグは、こちらを睨むブルーシャークを後目に小躍りしながら足早に基地を出て行った。
一方そのころ、クレナイ・ヒトヤという青年が3カ月の禁固刑を終え、釈放されていた。彼は学生時代から暴走族であり、自慢のバイクで法定速度を超えた走りを行い、免停を食らい、かなり危険な運転であったため禁固刑も加えられた。彼は仕事にも就かず、紅い薔薇の描かれた服を身に着け一人バイクで走り回っていた。遠い田舎に住む両親はこのことを知らないが、もし知ったらどんなに嘆くことだろう。ヒトヤは自分がダメな人間であることを自覚していた。いい加減、道を見つけ出さねばならない。本来なら大学に行っている年、彼は何らかの職を見つけようと決めた。だが、元暴走族でスピード違反を繰り返していた彼を雇ってくれるところなどあるだろうか。ヒトヤがあてもなくうろついていると
突然声をかけられた。
「そこの君。」
そこにいたのは白い髭を生やし、燕尾服を纏ったいかにも紳士といった外見の人物だった。
「何だよ爺さん。」
ヒトヤは面倒くさそうに言う。
「君はやさぐれてはいるが、本当は清い心を持っているようだな。」
「何言ってるんだ?」
「『繭』の特殊戦闘隊『秘密の花園』に入る素質がある。」
「はぁ?宗教勧誘ならお断りだぜ。」
「待ってくれ。話だけでも聞いてはくれないか。」
「あのな…」
「よいか。この世界には絶対的な『悪』の存在がはびこっている。一切の善性も良心も持たない畜生どもだ。その『悪』の名は…」
「はいはい。後でね。」
「待てと言っているだろう!頼むからこれを持って行ってくれ。君が相応しい人間なら、これでその『悪』と渡り合える。」
男は赤い薔薇を模した物を取り出し、ヒトヤに渡した。
「これが光ったら、『装身』と叫べ。そうすれば戦える。」
ヒトヤは真面目に受け応える気もなくし、面倒なことになる前にこの薔薇を貰ってしまおう思った。
「分かったよ、貰えばいいんでしょ、貰えば。」
「それでいい。私もかつて、そんな態度を見せたものだ。」
紳士は白い百合の形をした物をちらつかせながらそう言った。
「変な爺さんだ。」
ヒトヤはそう呟いた。
一方そのころ、付近のビルの屋上でツリーフロッグは妙な装置を動かしていた。煙突のような形状で、上からは蒸気が噴きだしている。下部は透明になっており、怪しげな液体がブクブクと泡立っていた。
「レイブンの奴は好きじゃあなかったけど、多少は世話になったからねぇ。僕が弔いの雨を降らせてあげよう。」
彼が動かしているのは酸性雨を降らせる装置であった。雲にこの装置で気化させた強酸性の液体を混ぜ、それを雨としてこの街全域に降らせようというのが彼の試みであった。だが、その様子は人通りの少ない路地にある空きビルとはいえ非常に目立っていた。そしてある人物がその様子を見つけてしまう。他でもないクレナイ・ヒトヤである。彼は何気なく一人この道を歩いていた。そして白衣の少年が妙な機械をいじっている光景に出くわしたのだ。
「おい坊主!そんなとこで何してる!」
ヒトヤはそう声をかけた。ツリーフロッグは面倒くさそうに振り向。
「こら待て!怪しいガキめ!」
ヒトヤは空きビルに入り、階段を登っていく。やがて屋上にたどり着いたヒトヤはツリーフロッグと対面する。
「危ないだろ!こんなところで‥」
ヒトヤはツリーフロッグの服を掴もうとする。しかし、次の瞬間、その体が大きく飛び上がった。
「何!」
「ふぅ‥僕を捕まえようったって無駄さ。」
ヒトヤは目の前の少年の脚を見て驚愕した。
「お前…それは…」
少年の脚は緑色で細長く、途中で大きく曲がっていた。指は三本で水かきがついている。蛙の脚だ。明かに人間ではない。
「お前一体何者だ?」
「ばれちゃったね。僕が人間じゃないってこと。」
「どういうことだ?」
「僕はツリーフロッグ。カイジン一族さ。君も聞いたことあるだろ?日夜謎の戦士と戦ってるモンスター。それが僕らさ。」
ヒトヤはここブルーム・シティの隣町のメタモル・シティで巨大な蛇の怪物が現れて多数の死傷者を出し、奇妙な戦士が怪物を倒したという話を思い出した。こいつはその怪物の仲間なのか。ふと、ヒトヤはあの紳士の言葉を思い出した。赤い薔薇。これを使えば戦えるのではと思った。
「見られちゃったからにはしょうがないね。君を消すことにするよ。その後、街中の人間が溶けながら悶え苦しんで無様に死んでいくところをじっくり見物しよう。」
「テメェ…何をする気だ!」
「これからこの装置で特別濃い酸性雨を降らしてやるのさ。」
「とんでもねぇ野郎だな…」
ヒトヤは思った。この街には特に思い入れがあるわけではない。だが、そこに暮らす人々が死んでもいいなどとは夢にも思わなかった。もし、この薔薇が本当に力を持つものなら、これで戦士になることが出来るのなら、その力を存分に行使し、戦いたかった。そう思った時、ポケットの中に入れた赤い薔薇が輝きを放ち始めた。
「まさか、本当に使えるのか?」
「そ、それはっ…」
ツリーフロッグが動揺する。
「じゃあやってみるか‥」
ヒトヤは昔見ていた子供番組を真似て、薔薇を前に突き出し、大げさなポーズをとった。「Rosa Crimson Glory」
「おぉ!意味わかんねぇけどカッケー。」
薔薇かから出た音声にヒトヤは少年のような感想を述べた。
「で、装身!…だったっけか?」
そう言った瞬間、薔薇がいくつかのパーツに分かれ、鎧を形成していく、当分は真紅の薔薇を模した兜となり、全身に刺だらけの蔓を模した緑色の鎧がまとわりつく。
「すっげー!マジで変身したぞ。」
「なんてことだ‥僕としたことが『繭』のメンバーに計画を‥こうなったら、全力で潰すしかないようだね。」
ツリーフロッグは全身から蒸気を噴きだし、緑色のまさしく蛙男と呼ぶにふさわしい姿に変わった。
「それがお前の本当の姿か。」
「そうとも。素晴らしいとは思わないかい。この美しい緑色の体を…」
「気色悪い。」
「え?」
「悪役ってもうちょいイカした見た目かと思ってたけどなぁ…」
「よくも僕を愚弄してくれたな…本気で殺してやる‥」
ツリーフロッグは高く飛び上がり、襲いかかってくる。ヒトヤは身構えた。すると反射的に手が伸び、手の甲から薔薇の蔓が飛び出した。
「うおぉっ!」
薔薇の蔓はツリーフロッグの体に直撃し、彼を壁に叩きつけた。
「ゲゲッ!」
「おお…すげぇ力…」
「よくも‥この僕を‥」
ツリーフロッグは立ち上がり、再び高く飛び上がる。そしてヒトヤの体にのしかかった。
「うおっ!」
ヒトヤはすぐにその体を払いのける。幸いにも大して力は強くないが、とにかく身軽で攻撃が当てづらい。薔薇の蔓による攻撃も段々と当たらなくなっていく。
「君の直情的な攻撃などお見通しだよ。」
「くそ…」
「僕はここでお暇させてもらうよ。」
ツリーフロッグはビルの屋上から飛び降り、逃げようとする。
「待てこん畜生!」
ヒトヤは手から太い蔓を伸ばした。そしてビルから今まさに飛び降りている最中のツリーフロッグの体を掴むと、そのまま蔓を上に向かって大きく振り上げ、ツリーフロッグの体を勢いよく下の地面に叩きつけた。
「黬堕醒髏頭(アンダーザローズ)!」
ヒトヤは気が付いたらそう叫んでいた。ツリーフロッグの体はひび割れたコンクリートの上で四肢を拡げてうつぶせになっている。その姿は漫画のように滑稽だった。
「どうだ!参ったか!」
ヒトヤは得意そうに言う。
「やはりその力は君に見合っていたようだな。」
不意に声がしたと思うと、そこにはあの彼に薔薇を渡したあの老人がいた。その脇には薔薇の蔓が絡まり合ったようなバイクがあった。
「それは‥」
「これはクリムゾン号だ。バイクに乗るのは得意だろう?」
「あぁ。だがもう族はやめたんだ。もう見たくもねぇ。」
「じゃあその力を義のために行使してはどうだね?君はもう周りに迷惑をかけるだけの走り屋ではない!義の道を走る騎士となるのだ!さぁ乗るがいい。君にはその素質がある。」
自分がどうしようもない男であることは自覚していた。学生のころからバイクを乗り回して暴れてばかりで何度も警察の世話になり、親に迷惑をかけ、今も仕事にもつかずぶらぶらしているだけだ。だが、今は違う。人の命を何とも思わない邪悪な怪物と対峙し、それを討たんとする力を得ている。これまで人を害すためにしか使ってこなかったバイクの技能を姿勢の人々を守るために行使できるのならば本望ではないか。
「爺さん、それ貸しな。」
老紳士はそれをヒトヤの前に差し出した。ヒトヤはそれにまたがり、エンジンを吹かした。
「俺はもう道を誤らねぇ‥」
ヒトヤはクリムゾン号を地面に倒れたツリーフロッグに向けて発進させた。ツリーフロッグはこちらを向き、起き上がって飛びかかってくる。人やはそれをクリムゾン号で跳ね飛ばそうとするも、避けられて壁に張り付かれてしまう。ツリーフロッグは長い舌を伸ばし、ヒトヤの首に巻きつける。
「ぐっ!」
「いくらそんなモノに乗ったって僕の身軽さにはついていけるわけないさ。諦めるんだね。」
しかしヒトヤはクリムゾン号のアクセルを力の限り踏みしめ加速した勢いでツリーフロッグを壁から引き剥がした。舌による拘束が離れ、さらにクリムゾン号から薔薇の蔓が飛び出してツリーフロッグの舌に絡みつき、そのままずるずると引きずった。
「グゲゲゲゲッ!」
ツリーフロッグが呻く。
ヒトヤはツリーフロッグを引っ掛けたまま道路を爆走し、勢いをつけて壁に叩きつけた。そして敵が動けないうちにバイクを後ろに下げ、徐々に加速し、高く飛んでその車輪で胴体を押し潰した。それと同時に何かが砕ける音がした。ヒトヤがバイクを離して後ろに下がると、ツリーフロッグは煙を上げ断末魔の叫びをあげながら燃え上がり消し炭になった。
「終わったのか?思ったより強くなかったが‥」
「此奴はまだ雑魚だ。カイジン一族にはもっと恐ろしいやつがわんさかいる。君もこれから対峙することになるだろう。」
老紳士はそういうとその場を去っていった。
「また、「秘密の花園」が咲き乱れることになろうとはな‥」
彼は未だ呆然とするヒトヤを後目にそう呟き、去っていった。