『YESTERDAY』と天才
『Yesterday』を観た。良い映画だった。
大停電の夜に、世界中の人がThe Beatlesを忘れてしまうという荒唐無稽な設定だが、その荒唐無稽さの中で、とても大切なことを示唆しているように思えた。朝起きたら自分が虫になっていたみたいな荒唐無稽な初期設定は、実は日常では人が気づきそうにない、差別や偏見などをとても分かりやすい形で世間に訴えていることもある。初期設定が荒唐無稽な映画には注意が必要だ。
この映画は、天才とか預言者の話なのかと、途中から考えるようになった。
ここで一番に思い当たる天才とは、インド人天才数学者・ラマヌジャンである。主人公にインド系の俳優を起用しているのは、何か作者も意図があるように思える。
ラマヌジャンとは、「インドの魔術師」の異名を持つインド人天才数学者であり、高等教育無しでケンブリッジ大学の教授を唸らせる天才的な発見や公式を提唱した人物である。その天才ぶりはまさに魔術師の名前にふさわしく、「証明」という概念を持たないラマヌジャンは寝ている間にナーマギリ女神が教えてくれたなどということを言って大量の公式や定理を、持ってくる。途中から彼の天才性に気づいたケンブリッジ大学のハーディ教授は、彼が持ってくる定理を一般的な数学者に理解できるように証明するという驚異のペアワークで、数学の世界に貢献した。本作の主人公がエドシーランと即興対決をするシーンがある。真の意味で即興で曲を作るエドシーランに対して主人公は、記憶からThe Beatlesのメロディラインを持ってきて歌うだけなので、簡単に圧勝してしまう。このシーンを見て、天才にありがちな、途中の過程をすっ飛ばして結論を導き出してしまうその素振りの背景には、彼の努力や天才性ではなく、「世界中の人が忘れてしまった人類の叡智をたまたま自分だけ忘れなかった」というポジションを受け取ってしまった(gifted)という事実があるのではないのかと思ってしまったのである。
次に、預言者についても、この話が当てはまる気がする。ここからはネタバレになってしまうが、大停電の夜を経て、The Beatles忘れていないのは主人公だけではなかった。主人公は、その人々を発見すると、自分が実は天才など何物でもなく、ただThe Beatlesの歌を歌っているだけであるとバラされるのではないかと心配していた。しかし、いざ対峙した時に、主人公が実はThe Beatlesの歌を歌っていることに気づいていた(何故か忘れていなかった)2人が「彼らの曲を世界に伝えてくれてありがとう」と感謝するのである。このシーンはとても面白かった。ワンピースの名言ではないけれど、人は、人に忘れられた時に本当の意味で死ぬのかもしれない。幽霊は忘却への抵抗という形で世界に現れる。
名だたる宗教的な権威が「預言者」と言われるのは、ある日突然世界中の人々が忘れてしまったかつての人類の叡智を、偶然にも忘れずに預かってしまい、皆に伝えているからなのかもしれない。世界が1日にして人類の叡智を忘れてしまうなら、昨日と今日は千里の隔たりがあり、偶然その役に当たった預言者は、誰しもが忘れてしまうかもしれない可能性をもつ過去(=yesterday)の叡智を今日(=today)に伝えなくてはならない。忘れてはいけないことを、偶然覚えていたその奇跡を今日も噛み締めて世界に伝えねばならない。その役を授かった人のことを、宗教では預言者と呼ぶのであろう。
とりとめもないことを書いてしまったが、この映画は、荒唐無稽な初期設定を使って、天才や預言者について足元から語っているのではないかと思った。