TOKYO四畳半キャンプ F-013 常識に慣らされるとろくなことがない
車に乗るお年寄りがアクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こす案件があとをたちません。あれ、どうして起こるのかっていうとたぶんAT車だからなんですよね。MT車で踏み間違いすると、十中八九はエンストするはずですもの。なのにより安全にみたいな方向で技術が進むのってのはセンスが悪いというかマッチポンプというか、被害者ファーストじゃなくてやっぱり利益ファーストなんだなあと思ったり思わなかったり。いや、思う。MT車ってちょっと不便で技術が必要だけど、それで防げる事故ってのか確実にあるはずです。その上で安全性能を上げていくなら話はわかるんですが、根っこを放置してってのは意味がわからないです。だから年寄りは全員MT車限定にしたらいいんだ(極端)。農村が困るじゃないか!と言われても農村では農繁仕様のMT車でデフロックのON/OFFスイッチがついてる軽トラックを買うもんです。じゃないと困るもの。
さて山です。チェンソーの安全講習を受けて改めて感じたのは安全第一ということ。機械を使う作業は1人の時にやるとヤバいし、一般的に危険な作業に従事する職業で何をやってるかは改めて学ぶ必要があるなあというのが現在の感覚。絶対安全なんてものは存在しないのだから、どれだけ危険要因を取り除いていくかを一つずつ確認する必要があります。
平地で周りに人が居てネットも繋がる状態だと多分そんなこと考えないと思うんですよね。たぶん特にホワイトカラーの人たちにとっては危険な事は他人事にしてると思いますし、世の中が過剰に安心安全に振ってるってのもあります。
が、それって本当に良いことなのかな?
危ないからと過剰にきれいにされた公園。
危ないからと過剰に干渉する親。
危ないからと、、、
そしたら自分で危ない事を認識すら出来ない人が出来上がりますよね。それってまんまと獲物の出来上がりだよなあって思っちゃうんですよね。
また、便利な世界に安住するってことはその世界に縛られるってことだとも思うんです。搾取のシステムって言うと言いすぎですけど、いつまでもお金を稼がないと生きていけない世界。あかんくないかそれ。
コンビニに行っても最近はお年寄りが一生懸命働いていたりして、もちろん好きで働いている感じの人はいいんですけども。僕たちがお年寄りになるころには経済状況はもっともっとひどいことになると思うので、今やるべきことはがっつり稼ぐか別の方法を編み出すかなのかなと。でも、いまがっつり稼いでいる感じの人の雰囲気とかが苦手なことが多いし、今がそういう流れなんだったらそういう世界とは距離を置いた方がいいなと思うので、まあ山暮らしを成立させられるように技術を蓄えていくってのが僕にとっては真っ当だなあと。
あとはこの先この国の伝家の宝刀デフォルトがないとも限らなくて、そしたら稼ぎなんて吹っ飛ぶわけで。紙屑はどこまでいっても紙屑になるとしたら紙屑のために働くのはバカバカしいなとも思うわけで。
とりあえず日本円持つよりは金を買っておいた方がいいな(もう高すぎて手が出ないけど)。そしてお金を介さないやり取りで生活できるようにする。
みんながみんなそんなこと言い出したらヤバいだろうけど、そこまでいきつける人はほんの一握りだと思いますしね。だってそのためにはこれまで積み重ねてきたものを一旦放り投げる必要がありますしね。
正常に気が狂える人にしかできないのかもな。あはは。
世の中の常識なんてどうでもいいからもっともっと自分の中の狂気に打ち震えたい。と思える人はやったほうが楽しいと思います。
実際、結構楽しいですよ。