恋愛感情をもたないオタクの生き方


初めまして。発酵バター(仮)と申します。

自己紹介はとりあえず「性別:女」だけにしておきます。

noteを書くのは初めてです。全く文才がないので普段文章を書くことはほとんどないのですが、急に書いてみたいと思ったのでアカウントを作成して書いています。

そんなただの一般人の記事ですが興味がある方は読んでみてください(^▽^)

本題に移る前に1つだけ。
この記事は特定の考え方を推奨したり否定したりするものではありません。
あくまでも一個人の考え方なので、こんな考え方の人もいるんだ~とか、私と似てるかも…とかそういう軽い気持ちで読んでくださると助かります。



私は現在とある男性アイドルのオタクをやっています。


小さいころからテレビを見るのが好きで、バラエティーやドラマに出ている芸能人に結構詳しい子どもでした。
当時から男性アイドルも好きでした。
特定の誰かが好きというわけではなかったのですが、なんとなく好きなグループとかはあって、その人たちが出ている番組は録画して見ていました。
ただ、まだ子どもでしたし、親が何かのファンというわけでもなかったので、ライブに行ったりCDを買ったりということは全くなかったです。
(親切な友達のお母さんがライブDVDやアルバムを貸してくれて、それを見たり聞いたりすることはありました。)

そんな幼少期を過ごした私が初めて"オタク”になったのは中学1年生の時でした。
きっかけはドラマです。
元々その人のことは好きで、その人が出ているドラマやバラエティーはよく見ていたのですが、ファンとまでは言えないくらいの熱量でした。
しかし、とあるドラマをきっかけにドハマりしてしまい、親に初めてCDを買ってもらいました。
そのMVやメイキングを繰り返し見るうちにグループ自体にもハマって完全に"オタク"になりました。

沼に落ちていく時期って一番の醍醐味ですよね。
慣れないながらもネットを駆使して過去の映像や記事を調べていくうちにどんどんと新しい世界が目の前に広がっていって、時間を忘れて深夜までその世界に入り浸っている日々は、思い返せばほんの一瞬の儚い幸せな時間でした。

結論から言うとそのオタク生活は4年弱で終わりました。
理由はいろいろあったのですが、1つ言えるのはその"推し”の方を好きじゃなくなったとか幻滅したとかそういうわけではなかったということです。



ここから、タイトルにもある「恋愛感情」の話が出てきます。

先程言った4年弱のオタク生活の間に私に彼氏ができることはありませんでした。
というか、欲しいと思ったこともありませんでした。
あまりに推しに夢中すぎてそんなことを考えることもほとんどなかった気がします。
自分の周りにもあまり彼氏がいる人がいなかったというのもあると思います。まだ中高生でしたし。

ただ、自分の"推し方"に関して周りとのギャップを感じることは多々ありました。

まず、当時の私が理解できなかったのが「推しが複数人いる」という状況です。
推しが複数人いるなんて当たり前のことだと思うのですが、私にはどういう感情なのか理解できなかったのです。
私は一人の方を全力で推していて、正直彼以外目に入らないというか、好きという感情がほとんど湧かなかったので、何人もの人を同時に推している人ってどういうことなんだ…?友達、先週A君のライブに行ってA君が世界一好き✨って言ってたのに、今日はB君の出ている番組を見てやっぱりB君が一番✨って言ってる…一体どういう感情なの?とすごく不思議に思ってました。
それと同時に、複数人推しがいる人のことを羨ましく感じていました。一人の推しに何かあってももう一人の推しに逃げることができる状況が羨ましかったです。
当時の私はその推しの方にすべてを捧げすぎて、かなりメンタル面で振り回されていた(言い方が良くなくて申し訳ないです)のだと思います。

次に、「リア恋」という概念がよくわかっていませんでした。
掛け持ちをすることなく一人の方を一途に推していた私ですが、そこに恋愛感情は一切なく、リアルに恋しちゃうってどういうこと…?と理解できずにいました。
なので、熱愛報道や疑惑に対して過剰に怒ったり幻滅したりしている人の気持ちがよくわからなかったし、そういうオタクの人たちが他に掛け持ちしているのを見ると、え…掛け持ちなのにリア恋って矛盾してない?と余計に謎に思ってしまいました。
(掛け持ち、リア恋を否定しているわけではまっっっったくないです!)

また、いわゆる”胸キュンシチュエーション"にあまり湧けなかったり、ライブや雑誌でセクシーな演出をそこまで期待していなかったりして、周りのオタクと求めてるポイントが違うなと薄々感じていました。
私は単純にメンバーとわちゃわちゃキャッキャして楽しそうに笑っているいる姿と、パフォーマンスでバチバチに決めている姿のギャップが一番好きでした。


そんな風に周りとのずれを感じていた私ですが、まあただの推し方のスタンスの差だろうと考えていて、特に自分の「恋愛感情」に関して違和感を感じることはなく中高時代を過ごしました。



オタクを辞めた後しばらくは新たな推しを見つけることはなく、また普通にバラエティーやドラマで何となく好きなタレントさんたちを見る生活をしていました。

友達にいろんなアイドルや俳優をお勧めされましたが、なかなか好きにならない性格で、どれも私にはヒットしなかったです(笑)
一度ハマったら周りが見えなくなるほどどっぷり沼に浸かるのですが、ハマるほど好きになることがめったにないタイプです。


そんなオタクとは離れた生活を送る中で、自分を見つめ直すことになる機会が2つほどありました。


1つ目は、恋愛です。
彼氏が2回出来ました。そして2回とも失敗しました。

私の恋バナを長々と書いてもどうしようもないので詳細は端折って書きます。
1回目は、男性(彼①とします)側からアタックされて、初めての経験だったので私も嬉しくて正直ノリノリでした。彼①は友達としてすごくいい人だったので恋愛感情はなかったのですが一緒にいて楽しいし付き合ったら自然と好きになるだろうと考えていました。
しかし、付き合った食後から無理という感情が芽生えました。当たり前のことですが、付き合うと次のデートはいつにするかという話になるし、手を繋ごうという話になるし、歩く時の距離感も近くなります。こうした付き合ったら当たり前のことが私にとってはすごく大きなストレスになってしまいました。結局付き合ってから2回食事に行っただけで分かれることになりました。彼①はとても優しくて怒ったりすることなく受け入れてくれましたが、申し訳なさでいっぱいで自己嫌悪に陥りました。

2回目は、私から男性(彼②)をご飯に誘ったのがきっかけでした。前回の失敗を払拭したいという最低な理由からでした。相手からではなくこちらからアプローチして付き合えれば大丈夫なのではないかと考えたのです。
運よく食事はうまくいき、その後彼②の方から告白されて付き合うことになりましたが、1回目と全く同じことを繰り返しました。彼②も優しくて受け入れてくれましたが、人を傷つけ、自分を苦しめ、本当に最低な人間だなと思いました。

なぜこうなったのか考えました。
調べると「蛙化現象」が出てきました。
蛙化現象の中でも、よくSNSで話題になっている「フードコートでお盆を持って自分を探している姿~」の方ではなくて、「好意を抱いている相手が自分に好意を持っていることが明らかになると、その相手に対して嫌悪感を持つようになる(wikipediaより引用)」の方です。
当時の私はまさしくこれだと思いました。自分は蛙化女だから恋愛に向かないのだと思いました。


自分を見つめ直すきっかけの2つ目は、親です。
これについてはあまりタイトルに関係ないですし、個人的に伏せたいことが多いので簡潔に書きますが、いろいろあって長期にわたって、親から人格否定される言葉をたくさん向けられました。自己肯定感がゼロになりました。


そんな2つの経験があってメンタルがボロボロになった私ですが、そんな私を救ってくれたのが新たな推しの存在でした。



何にも楽しみを見出せず、人にも相談できずふさぎ込んでいた時に、たまたまお勧めの動画で流れてきたのが新たな推しのグループでした。

全然そのグループのことは知らなったのですが、その動画がすごく面白くて他の動画も見ているうちに一瞬にして沼に落ちました。

関連のお勧め動画欄ってすごいですよね。
どんどん動画が出てきてパフォーマンス動画を見たらあまりのギャップにやられました。

推し方のスタンスは中高時代と変わらなかったのですが、明らかに変わったのはお金の使い方です。
当たり前なのですが、中高生と大人では使えるお金の額が全く違うので、新しい推しには相当お金を使いました。

ただ、「貢ぐ」とか「積む」とかいう感覚とは少し違っていて。もちろんSNSではそういう言葉の使い方が主流になっているし、実際私もよく使っていますが、辞書的な意味とは違ってあくまでも自分の幸せのためにお金を使っています。

辛いときは彼らの動画や出演番組や楽曲に救ってもらったし、彼らのライブのために地方に行ったことがきっかけで新たな趣味を見つけられたし、彼らのおかげで今元気に楽しく生きている自分がいるから彼らに恩返しをしたい、対価を払いたい、という気持ちが私の中では大きいです。
自分がそうしたいから自分の好きな範囲でたくさんCDを買ったり雑誌を買ったりしています。今のこの幸せな時間に対してお金を払っています。
だから、たとえこの先何かが起きたとしても、あんなに貢いだのに、あんなに時間とお金をかけたのに、という発想には決してならないと誓えます。



新しい推しを推し始めてからかなりの月日が流れ、中高時代の推しのオタクをやっていた期間より長くなりました。

この年月の間、私の中で大きな変化がありました。


「自分はおそらくアセクシュアルだ」


そう気づいたのです。

きっかけはいろいろです。この辺は自分のプライバシーに関わる話も多いので伏せますが、他人との比較やいろいろな葛藤を通して自分の中でたどり着いた答えでした。


アセクシュアルが何か。知らない人も多いかも知れないです。
私もこういった概念があることを知ったのは最近のことです。
↓リンクを貼っておくので知らない人は良かったら見てみてください。


細かい分類があるようなのですが、「アロマンティック・アセクシュアル」という恋愛感情も性的欲求も抱かない人というのが自分に一番当てはまるのかなと私は考えています。

先程述べたように、長い間、自分は蛙化現象を起こすタイプなのだと思っていました。
自分がアイドルが好きなのは、アイドルは自分に対して好意を持つことがないから、ずっと好意はこちらからの一方通行のままで両矢印にならないからだと思い、そこも辻褄が合うと考えていました。

しかし、いろいろな経験をするうえで、蛙化現象では説明がつかない悩みが発生し、蛙化現象の人のブログなどを読んでいてもなんか自分と違うとか、自分はやっぱりなんか変だとか、そういった自己嫌悪に陥ることが増えました。

私はこういったもやっとしたことに対して、しっかりとした説明がつかないと気が済まないタイプで、自分の感情を見つめ直して整理をしたり、何が腑に落ちないのか分析したりしました。

その結果、そもそも自分に好意が向くのが嫌なのではなく、そもそも自分に好意が存在していないことに気が付きました。
好きと思うことはあったのですが、その"好き"は恋愛感情の"好き"ではなく友達や親友に対しての"好き"なのだとようやく気付きました。

おそらく、これを読んでいる人の中には、そんな事今更気づいたの?散々相手の男性を傷つけておいて?と思う方もいらっしゃると思います。
その意見はごもっともだと思います。申し訳なさは今でも感じています。
しかし、この違いに気付くのは本当に私にとっては難しいことでした。

男性に対して一緒に出掛けたいとかもっと仲良くなりたいと思うのは当たり前に恋愛感情だと思い込んでいて、何の疑問も抱いていませんでした。
自分を見つめ直す中で、特定の男友達と一緒に出掛けたいだけで、手を繋ぎたいわけではない、キスをしたいわけではない、それって仲のいい女友達と2人だけで一緒に出掛けたいと思う気持ちと何が違うのだろう、そこの差は何なのか、そもそも差が存在しているのか、私の中で両者への感情は同じなのではないか.…何度も何度も考えてようやくそのことに気付けました。

私の中で「男、女」という区別があまり存在していないのかもしれません。

こういったことに気付くのに時間がかかった理由としては、私が昔から男性アイドルが好きだったということも挙げられると思います。

女性アイドルを好きになったことはなく、いつも好きになるのは男性だったので、自分の恋愛対象は男性なのだと信じ込んでいました。というより、信じるも何も意識することさえなかったです。

しかし、前半部分で書いたように、昔から推しの胸キュンやセクシーな演出に対して興味がなかったり、推しに恋愛感情を持つ気持ちが理解できなかったりと、思い返せば心当たりはあったのです。

また、学生時代に友達の恋バナに興味が持てず恋バナが始まると無意識のうちに輪から外れていて、思春期あるあるな性的な話題になるとかなりの嫌悪感を感じて別の友達のところに逃げていっていたということもしばしばで、今になって考えると、それは自分がアロマンティック・アセクシュアルだったからなのだと納得することができます。
当時はそんな概念を知らなかったので、自分はなんか人と違うなと違和感を覚えて、なんか馴染めないなと少し悩むだけで終わっていました。



今もずっと推しが大好きで沼にどっぷりと浸かっています。

毎日楽しいし、幸せな気持ちでいっぱいですが、ふと不安になることはもちろんあります。

現実の友達も、オタクの友達も、恋をして結婚をして…と「女性としての道」を着実に歩んでいっています。

SNSには、「推しはいつ消えるかわからない、裏切られるかわからない。だからいつまでもオタクをやっていないで恋人を作って結婚をして子どもを作って自分の人生を歩め」そんなような言葉が流れてくることもあります。

いつまでオタクやってるんだろう…
気付いたら自分だけ取り残されてるかもしれない…
不安な気持ちになることもあります。

でも、自分がアロマンティック・アセクシュアルなんだと気づいたことで、私は吹っ切れたというか、自分は自分、他人は他人、と思えるようになりました。

中高時代の私のように、精神面で推しに依存しすぎるのは確かによくないかもしれません。
しかし、今の私も一人の推しを一途に好きで、常にSNSで情報をチェックして移動中は推しの曲を聴いて家では推しのYouTubeを見て…という生活を送っています。
「推しが生きがい」という状況です。

ただ、精神面で依存しすぎないように、自分の機嫌を自分でとれるように、他にもストレス発散方法をいくつか持っています。
掛け持ちはできないけど、エンタメとは全く違う場所に心の逃げ場を作っています。

「推しはいつか裏切る」なんて言う人もいますが、正直友達だって恋人だって推しだって、他人ならみんな同じだと私は考えています。

だから、他人に左右されたくない私は、一人で完結できるストレス発散方法や好きなことを持っています。
ぼっちで寂しくないの?と思うかもしれませんが、私は「他人に左右されず自分で楽しいことをして幸せを感じられるってめちゃくちゃ強いし、そんな自分を誇りに思う」ようにしています。
なかなか難しいですけどね(笑)

何歳になってもオタクでいい。ずっと今の推しを応援したいし、彼のグループの夢が私の夢だからどこまでもついていきたい。

もしオタクをすることに疲れてしまったら少しSNSから離れて、自分なりの方法でストレスを発散して、また元気な気持ちでオタクをやろう。

誰に対しても恋愛感情を抱けない私なりの生き方です。

正しいか正しくないかではなく、自分の中で腑に落ちればどんな生き方でもいいと思います。
他人と比べていいことなんて何もないですから。



長くてまとまりのない文章になってしまいましたが、こういう人もいるんだ~と思っていただけたら幸いです(^▽^)

また、アロマンティック・アセクシュアルに関しては、自分が本当にそうかは分かりません。あくまで私の中で自分はそうであると感じているということです。
LGBTなどの話は非常にセンシティブな話ですので、これを読んで何か不快に感じたことがあれば本当に申し訳ないです。
いかなる考え方、嗜好に対しても強要したり逆に否定したりする気持ちは一切ありませんので、ご理解いただけると幸いです。



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