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愛とは案じること

マザコン、ファザコン、そしてミコン。
未婚なものだから、50歳でも嫁入りまえです。

ある日予期せぬ大きな衝撃が走らない限り、
最後の彼氏で大満足している。
その関係はもう10年ほど前に止まったままだけれど
互いのお誕生日と新年のお祝いメッセージは今も欠かさない。
生存確認の意味もあり、二人の間の変わらない挨拶を交わす。
年々文字数が減っていくが、
自分にとっては家族の次に大切な人。いつも案じている。

母と同じ年の彼氏。
17歳くらいの頃に初めてその名を発見して以来
こっそりすぎる片思いをしていたひと。
絶対に会ってみたいとか好きだとか具体的な感情ではなかった。
とにかく憧れ(キラキラ〜)という存在だった。
姿かたちもしらぬまま、書店で背表紙に載るその人の名を探しては喜ぶ女子高生。

青春時代に憧れていたその人との初対面の日
事務所を訪れて姿を我が瞳に映した時のことはスローモーションで覚えている。
白い扉を押した先に立つ、スリムなジーンズに真っ白なシャツを着た男性。
すぐにはこちらに目を向けなかった。
仕事を共にしていた母と一緒だったので、娘らしく影に隠れるような雰囲気で挨拶をした。
ひとつ夢が叶ってしまった瞬間だ。
少しクシャッとした髪の毛、短い髭のあるそのお顔は業界で名の通る写真家としてはあまりにもふにゃりと柔らかで、
どんな人にも壁を作らせないふんわりソフトな雰囲気を出していた。
同時に”俺は色々と見透かしてるぜ”的な余裕ビームを発しているのも若干感じた。

お仕事を一緒にさせてもらえる日が来るとは夢にも思わなかったけれど、
長年密かに憧れていた人とご対面できるなんて、
冗談を聞きながらご飯を食べたり、作品の写真を撮ってもらったりするなんて
すごく恵まれているとご先祖様、守護神様に感謝した。

29歳で初対面。その後3年くらいしてようやく順番が巡ってきた感じ。
それから私が突如遠方への引っ越しを決断するまでの約8年間は
この人生における宝物のようなお気に入りの時間を過ごした。

冷めてもいないし、離れたかった訳でもない。
ただ住む場所が遠くなり簡単に会えない状態になると
付き合っているという関係は解消することが自然だった。
人と人は肌に触れてなんぼ。手も繋げないなら申し訳ないよね。

長く心を占領していた大好きな人とのさよならは
辛くないわけはなく、とにかく涙が止まらないという時期もかなり長く
慣れるまでに2年くらいは掛かったような記憶。
別れ話を撤回したいという感情ではなくて、
ただただ大切な存在が消えてしまう事が切なくて仕方なかった。
心を落ち着かせられるのは時間でしかないことも知っていた。

大好きな人とは一緒にいなくちゃ意味がない?離れたくない?
若くても熟年の不倫でも、ホルモン活発で相手に夢中だぜ〜的な
関係初期の寝ても覚めても脳内その人のことばかりでのぼせてます状態は、
そう何度も味わえないから思い切りのめり込んで満喫したら良いと思う。

そんな熱々時代が少し落ち着けば、二人の関係は次の段階へとシフトするでしょ。
家族から、
親と同じ歳の彼氏の責任として結婚はするでしょという圧もあったけれど、
10年間の結婚&離婚経験から、再婚は避けたい彼と
子供は産めないし(医者にそう言われていた)、既に願望はどこかに置き忘れてきたような私は、一応何度かそれについて話をしてみたけれど
都度よく考えても同じ答えだった。 
よく考えたという事がお互いの為の行為で、それが良かった。
結婚するかしないかは愛の深さの判断にはならないと思うから
彼への失望とかもなかった。
家族からの私に対してのイライラは感じたけれど、諦めてくれるのを待った。

愛は見返りを求めないし、終わらない。
大切に思う女友達のことも愛している。
気持ち悪がられたくないから口にはしないけど、この愛おしい気持ちは
同性の親友に対してでも愛ってやつなんだなと気がついた日のことを覚えている。
彼への想いと同じように、心の片隅でいつも案じている。

この25歳差の関係に満たされて以来、
新たに恋心が芽生える気配はいまのところない。

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