はじまりのはじまり。それは2002年の夏、韓国まで遡る②

岡田斗司夫氏曰く、
「人生は伏線の回収」なのだとか。
42歳の自分はまだまだクライマックスの道程は長そうですが、肯ける自分も居ます。

それは東海大学の国際交流会館でのことでした。

校内にある海外からの留学生達が生活する場所。ヨーロッパやアジアからの学生が多く、中でも、サッカー熱の高い韓国人留学生のアロム君と、もう1人サッカーは好きじゃないけれど、ドイツ人だからという理由でワールドカップに多少目を向けていた留学生の友達とで、イタリア対韓国の試合を見るところでした。

もう1人、その場には居なかったけれど、僕にとって大切な、色んなことを教えてくれた友達を思い出しました。

サカイ君です。
彼は根っからのサッカー少年であり、またロックをこよなく愛する学生でした。

彼のヒーローは、ピクシーことドラガンストイコビッチ。
名古屋グランパスから始まったのか、ピクシーがいたから名古屋なのかは思い出せないけれど、グランパスファンでもありましたぎ、とにかく彼はサッカーの中ではユーゴスラビアが大好きな人物でした。
レッドスターというユーゴの名門チームでの、ミヤトビッチへの応援チャント「お前の◯◯舐めるくらい大好きだぜ」という狂信的なセリフを教えてくれたのもサカイ君です。
※後に彼はピクシーとユーゴへの愛が昂じて、サラエボにボランティアに行った人間です。

サカイ君は、アメリカ大会以降のほぼ全ての試合をビデオで録画する人間でした。
彼から借りたビデオテープのお陰で、僕はアメリカ大会がいかに素晴らしい大会であったか、知ることができました。
ゲオルゲ•ハジ、バルデラマ、バッジョ。
ただなんと言っても僕の中ではアルベルティーニしょうか。彼のプレイの優雅なこと、2002年辺りの彼と比べると、もっと前線寄りの攻撃的な役割ももったプレイヤーという印象でした。

サッカーのなんたるかを教えてくれたサカイ君

僕は日韓大会期間中はサカイ君のアパートに入り浸って、それこそ授業もできるだけでないで、試合に没頭していました。
今思えば、94年のユーゴ、98年のクロアチア、2002のスロヴェニア及びクロアチアと、バルカン半島の民族的な分離をどう観てたのかは定かではないけれど。

スカイパーフェクトTVは、あの時、ほぼ全試合生中継でした。グループリーグで2試合くらい、理由は不明ですが録画だったと記憶しています。それくらい、僕らは徹底的に観ていました。

そういう熱狂が、きっと日本中のいたる所にあったはずです。

そして、イタリア対韓国の試合はキックオフの時間を迎えます。

思い出しながら書くと、止まらないですね。韓国、ソウルにいつ着くんだろう僕は。

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