「手紙」の力
仏事支援をさせていただく度に「生前の故人様とお会いしたかった」と毎回思い、どのご法要も感慨深いものがあります。その中でも1歳で亡くなられたお子さんのご法要は忘れられないものとなりました。
ご法要の申し込みは故人様のおじい様でした。ご参列は年配のご夫婦と20代の男女でしたので、てっきりお子さんのご両親だと思っていました。男性は故人様のお父様でしたが、女性はその妹さんでご家族4人とわかりました。この可愛らしい笑顔のご遺影のお母様は何故この場におられないのだろうと思いましたが、その事は伺えませんでした。
仏事支援を開始して、お名前の由来を伺っても、答えてくださるのは故人様のおじい様だけでした。他の方にお話を向けても言葉少なく、故人様のお父様にいたっては「いえ、べつに」という言葉しか返ってきませんでした。そこには「触れられたくない」という意志を感じました。
重苦しい空気のまま手紙ワークとなり、なかなか筆をとらないお父様に、書いてくださらないのかと残念な気持ちになりました。
他の方が書き終えた頃、その方は一気に書き出しました。
ボールペンのカタカタという音だけが響きました。静かに書き終えるのをご家族と一緒に待ちました。ペンを置かれたのでお盆を持って伺うと涙を流されていました。そして小さな文字で便箋いっぱいに手紙を書かれていました。
改めて「手紙」の持つ力を知りました。と同時に自分の無力さを痛感しました。言葉ではない「想い」が手紙を通して、仏さまとなった故人様と出遭い直しをされた瞬間に立ち会わせていただけたことに、ただ感謝しかありませんでした。