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一つの後悔、一つの救い

はじめまして。僧侶の目﨑と申します。生まれは神奈川県の一般の家庭に生れました。

一般の家庭に生まれた私が、なぜお坊さんをしているのかと言うと、一つは両親が家を改修して寺院を開いたからです。次に、思春期の私自身に深い悩みがある時に、両親が開いた法話会に参加し仏法に触れたことで「仏法を通して自身の悩みに向き合いたい」と思い、仏法を学ぶ歩みを始めたことです。この二つのご縁を頂き今日もお坊さんとして歩ませて頂いております。

このような私が、十月のある時に枕勤めをする事になりました。

参列の方は長男様お一人で、故人様はその方のお母さまでした。枕勤めは昼過ぎに終わり、次に故人様がどのような方だったのかお話を聞く場になりました。

長男様は「母は六人兄弟の長女として台湾で生まれました。戦後家族とともに佐賀県に移りました」と初めに語ってくださいました。そして「大学で声楽を学んでいた」「大学卒業後は日本舞踊を習っていた」と実に華やかな青春時代を過ごされたことを教えて下さいました。

故人様は、やがてご結婚し、双子の息子が生まれ、参列者の方はその長男の方でした。夫婦の結婚生活は順風満帆で、旦那様が定年後台湾旅行にも行かれたそうです。しかし、旦那様は70歳の時にインフルエンザをこじらせて急逝されました。

残された故人様は旦那様の葬儀が終わった後に、「周囲を(寝たきり等で)煩わすことなく亡くなった姿は立派です。私も亡くなる時はそうでありたい」と語られたそうです。

その後、お一人となられた故人様も老いの流れの中で、転ばれたことがきっかけで入院をすることになりました。長男様はそんなお母様を大変ご心配されました。寝たきりになってしまった故人様は、自分の命の限りを静かに受け入れようとしていたかのように、自ら食を摂取しなくなりました。それを長男様が医師に相談した所、点滴などの経口ではない栄養の摂取の処置をすることなりました。

それに延命措置により「母は88歳まで命が続いた」と長男様が語られる言葉の背景には、どこか「後悔の念」を感じました。

その長男様の「後悔の念」は、亡くなられた旦那様のように「誰かを煩わせずに亡くなっていきたい」と思われていた母の思いに反して延命措置をした事で「母を苦しめてしまったのではないか」という事があったかのように思えました。

そのように感じた私はふと、親鸞聖人が書かれた正信偈の一文を思い出しました。
 
  「憐(れん)愍(みん)善(ぜん)悪(あく)凡(ぼん)夫(ぶ)人(にん)」(善(ぜん)悪(あく)の凡(ぼん)夫(ぶ)人(にん)を憐(れん)愍(みん)せしむ)

この言葉の意味は、阿弥陀如来が「善い」「悪い」で常に悩み苦しんでいる私達を憐れんで下さり、こんな私達だからこそ救って下さるのだというのです。

私も含めてなんと「善い」「悪い」に左右されていることでしょう。この左右とは、目の前の判断を迫られたときにどっちが「善い」か「悪い」から始まり、やがて自分の人生がこれで「善かったのか」「悪かったのか」というものに発展し、「あの時にもっとこうすれば良かったのか」と後悔を生むのではないでしょうか。

私の目の前におられる長男様に私は「延命措置をしてあげたかったのは、息子として当然の思いですよ。たとえ母様の意思と違っていても、母には生きていて欲しいと思われたのではないでしょうか」とお伝えいたしました。そして阿弥陀如来は善悪の判断で私達を責めずに、むしろそこに迷っている私達を救って下さるのです。どうか自分の判断したことで、ご自身を責めないで下さいと言いました。

長男様がこれで「後悔しなくなった」かは、わかりません。生きている限り後悔の念は誰にでもおこり、人生に付きまとうものです。しかし、それと同時に阿弥陀如来の救いも常に私達から離れないのではないでしょうか。

葬儀の時に長男様は、故人様に向かって「お母さん。仕事で辛かった時に、私を優しく受け入れ、勇気づけてくれて有難うございました」と語りかけていました。

その姿を見て、私は静かにお念仏申させていただきました。
南無阿弥陀仏

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