私を知らない人の法事に行く
明日は、私を知らない人の四十九日法要に行く。
続柄:祖母
でも、私に血縁の祖母はいない。
明日の法要は、私を育てた義母の母。
会って話しをした回数は、片手で数えられる程度。
でも、私はおばあちゃんが好きだった。
面と向かって「おばあちゃん」と呼んだことはないが。
おばあちゃんと“ちゃんと’’血縁関係にある兄弟たちは、おばあちゃんの嫌なところも知っていて。
私は、おばあちゃんの良いところしか知らない。
おばあちゃんは、いつも気遣いの人だった。
「ねえちゃんも、これ食べな」って、自分の食べ物を分けようとしてくれる人だった。
私の“本当の“血縁関係の女性で、そんな風に言ってくれる人はいなかった。たとえ他所行きの言葉だとしても、ありがたくて、嬉しかった。
笑顔の、可愛い人だった。「あんなおばあちゃんになりたい」と思わせられるような。
おばあちゃんと出会えたタイミングが遅くて、私の顔は一切覚えてもらえなかった。会うたびに「誰だろう?」という顔をしながら、「おねえさん」「ねえちゃん」と呼んでもらっていた。
本当は、顔、覚えてもらいたかったな。
名前、呼んでもらいたかったな。
ちゃんと、家族になりたかったな。
おやすみ、おばあちゃん。