漫画賞を受賞した時の話
吉田豚桃様
初めまして。集英社少年ジャンプ+編集部〇〇です。
現在、漫画賞の最終選考を行っているのですが、投稿いただきました作品についてご連絡差し上げました。
よろしければお電話番号とご都合の良い時間帯などを…
………
……ふぉ……
ふぉおおおおおおお!?
どうもこんにちは、豚桃です。
最近ボツ続きで気が滅入っているので、おいらが一番輝いていた時の思い出話などをしようと思います。あの頃は良かったナ〜…ルールルルールールルルー
2021年9月、色々あったけど漫画賞に初めての投稿をした。
色々あった話はこちら↓
投稿作はこちらから読めます↓
生まれて初めて完成させた読切漫画だった。
そりゃあもう絵はヘタクソだし描き方のルールも分かってないしで、今見ると本当に拙い出来ではあったものの…
おいらは腹をくくっていた。
この作品で大賞獲りに行くと。
ガチでドラマ化狙ってやると(大賞はドラマ化決定という賞だったのだ)。
そして自信もあった。きつい〆切だったが、スーパーアドバイザーの
助言により最高のネームになった。これなら大賞獲れるんじゃないかと…!!
そんなこんなで待つ事2ヶ月あまり。
受賞発表の期日が近づいても何の音沙汰もなく、まぁ賞チャレンジ1作目でそう上手くは行かないか、ドラマ化の副賞もあるし応募もたくさんで、こんなに絵の下手なおいらが受賞できるわけ…
と、半ば諦めかけていた頃…
冒頭のメールが入った。
※ほぼ原文ママ。
その日は音楽仕事は休みの日で、午後のお昼寝から目覚めたタイミングだった。
半分寝ぼけてメールを開いて、上記のメールを見つけた。
その瞬間、心臓がやばいくらい鳴ってたのは覚えてる。
その時は「キタコレキタコレ!!」「えっマジうそマジなのん!?」「当然よwwwフハハハハハ」みたいな感情が渦巻いてた。
震える手でメールを返信した…
そしてその1分後(早)、電話がかかってきた…
3分くらいの短い電話だった。
初めて担当氏と話した内容をいまだに克明に覚えている。担当氏に言われた事聞かれた事は、
・漫画賞の最終選考に残っていること
・ペンネームの読み方は何か
・どこに住んでいるのか
・これから自分が担当としてつく事
だった。なんだか実感が湧かなくて、電話が終わると放心状態になってた。
プロになりたくて漫画賞に応募したのに、「担当編集がつく」という事にもピンと来ていなかった。そうか、漫画賞は取って終わりではないのか…
それからさらに待つ事約2週間後、ついに運命のメールが入った…
さすがに人のメールを晒すのはマズイと家族に止められたので、運命のメールの要点だけここに記すとしよう。
・漫画賞受賞したよ
・ドラマ化はあくまで検討だけどジャンプ+に掲載されるよ
・これを励みに新しいネーム描け
・ペンネーム本名住所氏名年齢振込先教えろ
このメールを見た瞬間、「やっっったぁ」って一人呟き、スクショして家族に送った。
で、返信した実際のメールがこちら。
嬉しかった。
間違いなく人生で嬉しかったことベスト3に入る瞬間だった。
漫画家になりたかったけどどう考えてもなれる気がしなくて苦しんでいた二十歳の頃の自分に教えてあげたい気持ちだった。
上記のメールに担当氏から返信が来た。やり取りの仕方を丁寧に教えてくれた。
しかし豚桃にはある気掛かりがあった。
おいらはそのメールに、さらに返信を返した。
これから担当氏とタッグを組んで新作をバリバリ描いていこう。そんな流れをぶった斬るおいらのメールがこちら↓
いやこれはね…当時個人連載してた長編漫画が、しかも毎回更新を楽しみにしてくれてる人もいたやつをね…どうしようか本気で悩んでいたのさ。
その長編を描き続けたい、あわよくば商業誌で連載したい。だからプロになろうと新人賞に応募した…けれどプロになるには、その前段階のステップとして読切作品をたくさん描かないとならないのだ。そんな基本的な事も理解してなかった。いや、なんとなくはわかっていた。けれど自分がそんな王道の商業漫画家ルートに乗るとは思いもしなかったんだ。
個人連載を続けながら読切を描く器用さはない。最終的にそう判断した。泣く泣く長編漫画は一旦の連載終了の決断をした。
こんな厚かましい事を言ったにも関わらず、担当氏は普通に待っててくれて、約3ヶ月後に送ったネームも「楽しみにしてました!」と受け取ってくれた。優しい。(結局このネームはボツになったのだが)
こうして漫画家豚桃の奮闘は幕を開けたのさ!
最後に、選評と受賞発表時にTwitterに載せた感謝のメッセージをこちらにも載せて終わるとしよう。
今これを読んでる漫画家志望のみんな、おいらに続けぇ!!