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【半沢2分析】面白いけど乗り切れない・・・過剰な顔芸にはワケがある

TBSドラマ、半沢直樹シーズン2見てますか?

僕は前回のシーズン1が大好きで、今シーズンも楽しく第3回まで見ているのですが、今ひとつ乗り切れない…といったところです。今回はその理由を「テレビ演出」的に考えてみたいと思います。

原作4冊をすべて読んでいるため、今回のシリーズに関してのネタバレには注意して書きますが、前回シーズンに関しては特に配慮しません。
あと最後の方で、シーズン1の原作を読んでいない人にとっては「え!そうだったの!?」というドラマ独自のびっくり改変についてなどにも踏み込みますので、ドラマの世界観に余計なものを入れたくないと思う方は読まないでください。

さっそく、本題に入ります。

ネットの反響などを見ると顕著なのですが、今回のシリーズはスタートから“顔芸”のオンパレード。香川照之・市川猿之助・尾上松也の歌舞伎3人衆は、もはやふざけている領域です。
もちろん、その漫画的な超デフォルメが楽しくて笑える反面、
「ちょっとくどすぎる」「全然話が入ってこない」という意見もあるようです。僕も、ほぼ同意です。

では、なんでそういうことになっているのか?

制作陣や出演者が、前回の大ヒットにあぐらをかいて
「半沢といえば、カ・オ・ゲ・イDEATH! やれ!やれ!やりまくれ~!!」と調子に乗ってしまったのでしょうか?

おそらく、演出の福沢克雄監督は、そんなバカではないはずです。

結論から言うと、今回のシリーズは【それくらい過剰な演出をしないとテレビドラマとしてもたない】と、演出的判断をしているからだと思われます。

それだけストーリーが“弱い”ということです。


僕はドラマシーズン1を見たあと、続きが気になり、いま放送しているパートの原作3『ロスジェネの逆襲』を読んだのですが、「半沢が全然活躍してねえ…」というのが第一印象でした。もちろん勧善懲悪の逆転劇そのものは鉄板のドラマツルギーとして楽しめますが、“半沢直樹の続編”という点では、あまり期待したようなものではなかったのです。

それはそうで、そもそもタイトルにあるように、半沢らバブル組のあとに就職氷河期で割を食ったロストジェネレーションの世代に光をあてた小説なんですね。だから、おっさんになってきた半沢は、後輩であったり若いクライアントのために一歩引いた後方支援している感じが強くなってしまう。
加えて、一時期大流行したハゲタカ的な企業買収の世界は、すでに食傷気味でもあったのかもしれません。それについて言えば、原作連載時から10年後に放送している今回のドラマ版は輪をかけて「今さら企業買収ものかい!」という感じもあります。

※これはネタバレではないから書いていいと思いますが※
ついでにいうと、そもそも原作の森山は就職氷河期の厳しい中でなんとか東京セントラル証券に入ってきた狂犬という設定なんですね。だから、銀行から出向してきて使えない上の世代(半沢も含む)にすさまじい嫌悪感がある。スパイラルの瀬名も旧態依然としている日本経済に風穴を開けようとする成り上がりIT長者。その二人の男が、のうのうと生きてきた汚いオヤジたちに蹂躙されそうになるのを、拳をあげて戦っていくという反骨の物語なんですね。
だけど、時代設定を現代に合わせるとそのバックボーンは封印せざるとえないし、仮にそこを厚く描いてしまうと、半沢直樹=堺雅人の勇姿が見たい視聴者とのニーズともかけ離れる。

つまり、
・実質的な主人公は、森山と瀬名のロスジェネ友人コンビだがフルには描けない
・いまの時代に企業買収のスキームを丹念に描いても、さんざん擦られているので、さして驚きもない
という「半沢直樹シーズン2」としての物語の弱さがある。


それを克服するため/補うため、悪く言えばカモフラージュするために
「ド派手な顔芸」と「ディテールや伏線ほぼ無視の、ピンチと回避の連続」という戦術をとっているわけですね。
もちろん原作以上に、半沢の登場シーンは増やしてあるし、裏切り者探しや謎解きをちょっとミステリーっぽい演出にして、飽きさせないようにしているのはすごい。
上っ面な部分のジェットコースターでも十分に魅せれてしまうのだから、キャストとスタッフのパワーは尋常ではないです。

だけど、やっぱりシーズン1は今のところ追いつかない。決定的なものが欠けている。

それは、「半沢直樹自身の動機」です。

やっぱりシーズン1の何に、みんながハラハラしたり心動かされたかっていうと、半沢の背負った過去とそこから来る行動だと思うんですね。

①子どもの頃に、工場を営む父が銀行から融資を打ち切られた末に自殺する
②父を殺したのは銀行だが、同時に残された自分を救ってくれたのも銀行
③二度と父のような存在を生み出したくないから、自分はバンカーになる
④そして、さまざまな企業のために尽くしながら、親の仇である大和田に復讐する
⑤上記④を達成するために、絶対に出向するわけにはいかない。

大阪編も東京編も、徹頭徹尾この①~⑤が貫かれている。だから、物語に必然性があるし、ぐんぐん引き込まれるわけです。
赤井英和扮する工場のオヤジのためにあそこまで骨を折るのも、単に銀行員の使命感だけではなく父の姿を重ねているからだし、あそこまで出向にひやひやするのも「ここで銀行からいなくなったら、お父さんの仇が…!!」と思うからだし、嫌がらせにムカつくのも「こんな奴らが地道に働く人の命を!!」と思うからですね。ベタベタだけど、感情移入しまくれる設定になっているんですね。

けど、今のシリーズは④⑤の目的が特にあるわけではないので、半沢に対する嫌がらせもピンチも心の底に響いてこない。ドラマの中のレベル感だと、妻の花ちゃんも再出向してもいいって言ってるんだし、「悔しいけど、路頭に迷わないんだからいいんじゃね?」と思えてしまう。それだけ今回のスパイラル買収劇には、半沢の人生が乗っかってこない。ドラマとしての切迫感に乏しい。
それがいまひとつ半沢2を見てて楽しめるけど、のめりこめない真の理由です。

ここまで読んでいただいた方は「そりゃあ、大和田に復讐する話が片付いちゃったんだから、仕方ないじゃん。いまいちな原作のせいじゃん」と思うかと思います。

その方は、原作1と2を読んでいないはずです。
僕も原作3.4まで読んだあと、1と2を読んで、びっくりしたのですが…

そもそも原作では、半沢の父は自殺もしていないし、大和田は仇でもなんでもないんです。

ドラマ化する人間たちが、『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』という経済小説に【父の仇討ち】という横串をぶっ刺すことで、漫画的でありながら濃厚な人間ドラマ「半沢直樹」というメガヒットが生まれたということです。それぐらいのことをやる、やれる制作チームなんです。


TBSはイケイケで第二弾を作りたかったはずですが、堺雅人が半沢色をつくのを嫌ったといわれています。
もちろんそれもあると思いますが、あれだけの伝説的な幕切れをしたあとの続編を作るには、それ相応に原作改変に時間が必要だったのではないかと思います。機が熟したので、今放送しているはずです。

現在は、いい意味でのオリジナル改変は見受けられませんが、現時点での終章である原作4「銀翼のイカロス」編では、あっと驚くストーリーを楽しみにしたいと思います。

あくまで一個人の考えです。てな感じで、おやすみぶーこす(^(●●)^)

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