ブクガショックから数日〜Solitude Hotel404視聴後〜
Maison book girl。
ブクガファンの皆さんご機嫌いかがだろうか。
私は…無理だ。な〜んも立ち直れていない。
それだけ大事な、アイドル、アーティスト、グループだった。
突然の”消去”
実を言うとライブの現地に行けないのもそうだし、配信も見るつもりはなかった。ごめんなさい、それに関しては単に忙しさにかまけてただけです。
しかし、見ないわけにはいかなくなった。
前回の記事以降、5月30日開催の「SolitudeHotel」(正式にはSolitudeHotel404ではないっぽい。が、区別と省略を兼ねて以降404と呼ぶ)を視聴して、そして数々のオタク(蔑視ではなくリスペクトを込めてこう呼びたい)の意見を読んで、整理した自分の考えをつらつらと書いていこうと思う。
ブクガという文学的な側面を持ったアイドルだったためか、詩的で文学的な感想を特にこのnoteでよく見たが、私はできるだけ飾らずに伝えられたらいいなと思う。
(てかこの口調慣れね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜)
(でもこれでいくね)(めっちゃ長いよ)
●ライブの感想
まず読んでいない人は絶対このナタリーのライブレポを読んでから挑んでほしい。
なにがあったかは、ここを参考にしてほしい。長いから書かん。
この記事を執筆し始めたのが6月2日23時30分ほど、残念ながら配信アーカイブはあと30分しないうちに”削除”されてしまう。
Blu-rayが出るまでは、404を体験できるのはこの記事(と数々のライブレポ)だけになる。
”削除”が発表されたのは30日。
当日は「え、今日普通にライブじゃないん」「なんで?なにしたん?」という驚きがあり、ただツイッターで”ブクガ”でサーチしてぼんやりとライブの輪郭を捉えようとしていた。
31日。
配信アーカイブはまだ残っていると友人からLINEがあり、仕事終わりにすぐチケットを購入。
帰りの電車でナタリーのこの記事を読んで、そしてライブを見た。
マジで意味わからんかった。
でもその意味わからんのが私は大好物だ。
これまでのワンマンライブでも激ヤバ演出を次々にしていたから、もし現地で見ていたら「ハハーン、今回はこういう感じね」としたり顔で見ていたかもしれない。嘘、無理。途中のサイレンとか銀テープとか怖すぎるもん。
そもそもアイドルのライブで銀テープが怖いて何?
サイレンが鳴り響くとか、本人と映像の誤認トリック、する?
”削除”がわかっていながら配信ライブを見ていたので、今回はまったく心穏やかに見ることはできなかった。(いつもそうだけど)
ので、スマホでメモを取りながら見ていたのだが何回も「怖」って書いてた。(あと「葵ちゃん歌うま」も何回も書いてた)
あー怖かった。
メモはここに貼るが激長になったので縮小させていただきます。
考察前なので間違ってるところも多々あり。
●現地と配信の相違点
ナタリーのライブレポートは現地でライブを見ていたのだろう。
配信ライブと多くの相違があった。前半部分、「SolitudeHotel 4F」(以下、4F)と同じセトリをなぞっていた部分。
そしてそれは恣意的だと思う。決して環境の違いから事故的に起こったものでも、仕方がなくそうしたものでもなく、「配信だから、会場だから、そういうトリックを使った」という感触を得た。
彼女たちのいるステージは薄暗く、青空や夜の街中といったイメージ映像がステージ後方のスクリーンに投影されているものの、4人の姿はかすかにしか見えない状況。
→配信ライブでは、全然見えてた。
表情も、振り付けの指先も、ブクガは照明が暗めなのがデフォなのでもちろん他のアーティストよりも鮮明ではないが、見えていた。
ここで違和感を覚えた。
さらに、前半部分は音響が端的に言うとヤバかったというレポートも数々見られた。
低音だけがやたら強調されて、音がこもりまくって、本人たちの声が全然聞こえない
ここも配信はそんなことはなかった。
むしろ、場数を多くこなしてきた彼女たちの成長が見られる歌唱力の変化、特にかぶせがなくなっていたのも印象強く、素直に「普通にいいライブ」だった。もちろん配信と会場とでは響きが違うしその影響というのも否定できないが…
彼女たちがこのMCをしながらぎこちなく客席に向かって手を振ると、時折PCのUSBを抜いたときの音や接触不良を起こしたような音がフロアに鳴り響いた。
→この部分はまったくなかった。
多分Windowsのディロン!とかポピンみたいな音鳴ってたのかな。
なにげにちょっと期待していた。きっとそれは、恣意的な演出でメッセージが隠されていると思っていたので、読み解いてやると意気込んでMCを見ていたが彼女たちの話し声以外は聞こえなかった。
が、これも変だと思った。
彼女たちの声以外が聞こえなさすぎるのだ。
「Maison book girlでーす!よろしくおねがいしま〜す!」(MCは明るい雰囲気)とコショが言って4人が深くお辞儀する。
ここ、拍手起こってもよくない?声を出せないにしても、拍手は起こりそうな気もする。
さらに突っ込んだことを言うと「今日が初めてって人もいるのかな?」という下り、たしか4Fでも同じ下りがあった。
そこでは挙手する流れがあったはず。
もし4Fをなぞっているのなら「今日が初めてって人〜?」と挙手を促しても良かったはず。しかしそれはなかった。観客から手が上がってる様子はなく(写してもいない)、促す気も観客のレスポンスを気にもしないメンバー。
ここで確信を得る。
それまでパフォーマンスをしていたかに見えた4人は、実はスクリーンに投影された事前収録した映像だったのだ。
てっきり自分は「karma」と「river」の繋ぎ目や、「river」の最中の砂嵐や暗闇にまぎれて事前収録と現実がチェンジされていると思っていたが、配信ライブのほうは「sin morningが始まったときから、MC含めriverで白衣装の本人たちが登場するまで」がすべて事前収録だったのだ。
だから、やけに暗い会場も、やけに聞こえない歌もなかった。
きっと隠す必要もないし、紛れさせる必要もないから。
さらにこの演出は激ヤバ没入感を産むことになった。
もしかしたら現地では「なんでこんな曖昧な存在なんだろう…あっそういうことか!」と白衣装の彼女たちが登場したときに思ったのかもしれない。
でも配信はそれがなかった。繋ぎ目がまるで存在しないトリックアートをライブで見せつけられてしまった。
怖。
●前回の記事の否定
こちらは前回の自分の記事である。
”削除”の発表を見て、ツイッターでのライブレポを読んで書き殴ったものなので、だいぶ事実との違いや、今だからこその感想・考察の違いがあった。
そこを比べてなにかヒントを得ようと思う。
・「ブクガらしい、スタイリッシュな最後だ」という意見
→これには賛否両論かも。確かにHPのデザイン、SolitudeHotel404というライブタイトルと相まってコンセプトアートっぽくて貫いてるなとも思うけど、本当に「ブクガだからギリギリ理解できる」であって、他のアイドルがしたら炎上するだろうな。そして俺は死んでいる。
最後を迎えたという事実は今でも受け入れがたく、素直に褒められる気がしないが、限りなくブクガとしてかっこいい最後であったというのは認めざるを得なかった。
ブクガがよーわからん活休や停滞をして、メモ帳のスクショで発表なんてした日にゃ、本当に人間不信になっていたと思う。
「これで良かった」とは言いづらいが「これは悪くない」とは言いたい。素直じゃないな…
・『last scene』という曲をぶった切って終わったライブ
→歌詞の「僕らの夢はいつも叶わない」に合わせてぶった切ったらしい(だとしたら切なすぎる)(めちゃくちゃサビの途中やがな)
もしくは、上記のカウントダウンタイマーに合わせてぶった切った結果偶然そこになった説も考えられる?
「僕らの夢はいつも叶わない」ではなく、サビの終わりの「きっと」まで含めて、そしてサビが終わり、間奏があり2番に入るか入らないかの途中でぶった切られていた。
てっきりラストサビだと思っていたけど色々違っていた。
そして、タイマーによって、つまり後付的というか第三者の都合のような形で切られているとも考えづらかった。
404のライブの開演前、突然爆音でlast sceneの中途半端なところ流れたが、有志によると、ラストと最初は綺麗に繋がるようになっているらしい。
つまり、これは仕組まれていた演出ということになる。開演前からここで切るというのは決まっていたようだ。
・てか今日やったらしい『bath room』のアナザーバージョンって何
→どうやらまったく別の歌詞、別のメロディ、別の振り付けらしい。
ここになにか隠されてる気もしないでもない。
「僕たちはいくつもの夢を見る。その先で君と出会えたね。ゆっくりと影たちの悲しみが消えていく運命を繰り返す」
という歌詞がとても印象的だった。
結末や考察の「もしかしてループ世界なんじゃ?」「平行世界を移動している?」みたいなのをいくつも読んだ後なので、完全に意味深だった。
シュタゲのOPの2番かよ。
後述もするが、なんだかこれはサクライケンタ氏の作詞という雰囲気がしない。演出との強いつながりと物語性。ワンチャン、コショが書いてるもしくは、共同作詞なんてのもあり得る気がする。
サクライ氏はオタクを置いてきぼりにしがち(そこが好き)だけど、この詞は暖かく、優しい印象がある。青と赤というか。
まああくまで勝手な予想だけど。
●4Fと404はどう関わっているのか
こちらなんとかしようとした図です。
私は考察が苦手。
今回、4Fと同じ衣装同じセトリということもあって4Fになにか隠されているのではと疑うオタクが多数いた。
それもそのはず、4Fは時間逆行が何回も起こり、意味深も意味深だったからだ。
なので一生懸命考えてみたが、まあ〜特に真新しい考察は得られなかった。アホちゃん。
詳しく他の解説を見たい方はnoteやらツイッターやらで「ブクガ」で検索してもらえれば、綺麗に文にまとめている人がいます…
4Fのfaithlessnesで彼女たちはドアの向こう側へと行ってしまうが、「ドアの向こう側の世界」が404なんじゃ?とか…
4Fにあるドアの向こう側へと移動した彼女たちが、404の海辺にてを歌い始めるとか…
そんでtownscapeのときの4F衣装のダンサー4人は、4Fの世界線のブクガが合流してきたのではないか?とか…
まあ推測にすぎない。私が建てられた憶測はそれくらいだ。
後述もするが、karma、river、cloudy ironyの関係性が深く関わっている気がする。
●karmaとcloudy ironyとriver
404でのベストびっくり演出が
葵ちゃん「次の曲はcloudy irony!!」
↓
karmaが流れる(葵ちゃんが狂ったかと思って怖かった)
↓
1番サビ終わりドラムブレイクのところが重なって半音キーが上がりriverへと移行
↓
ラスサビで白衣装の本人たちが現れ今までのブクガは砂嵐に消えていく。ラスサビはチープなシンセ音のメロディになり歌われない
と、いう演出。
『karma』と『cloudy irony』と『river』は複雑な経緯でリリースされている。
具体的には『karma』と『cloudy irony』はどちらもメジャーデビュー時のリリース曲であり、そのときのCDのタイトルが「river(cloudy irony)」
のちに『karma』と『cloudy irony』が融合した本当の(?)『river』が歌われた。
決して楽曲タイトルである『river』はそのとき新しく「river」という単語を選んでつけたというタイトルではない
残念ながらどのインタビューかMCか忘れてしまったが
・もともと『karma』と『cloudy irony』は並列に存在していて、どちらかをメジャーデビューシングルにするとなって悩んだ結果、cloudyになったとか
・『karma』は別歌詞で『river』として存在していて、riverから歌詞を引用したのが現在のcloudyで現在のkarmaは歌詞をリライトしたものだ、だとか
たしかそんなんだった気がするが、ソースも記憶も定かではない。誰か教えて。
もしかして404での演出は
「(今の)cloudyの代わりにkarmaが(今でいうriverと同じ形で)『cloudy irony』としてリリースしていたら」
というif世界線の話なのかもしれない。
もしくは『cloudy irony』でデビューしたブクガが終了し、
新しく『karma(river)』でデビューしたブクガが開始される
という考え方もある。
なんにせよこの3曲に巡る事情と、404での演出は無視できないだろう。
●ソングライターとしてサクライケンタを信じきれていない
これはマジで個人的な見解で根拠もクソもない話。
この”削除”で、考察する人が多数いた。
そしてもちろん『これまでの楽曲の歌詞考察』をする人も多数いた。
しかし、私はMaison book girlで歌詞考察する気が起きない。
そういう話。
サクライ氏の詞は散文的で文学的で、そして暗喩が含まれていそうな匂いがぷんぷんする。
でも、どこかに繋がっていたり、リリース当時から未来を見据えている演出みたいなものはあんまりなさそうな気がするのだ。
それは、”作り手として共感”してしまうからだ。
私も現在、シンガーソングライターとして作詞作曲をしているのだが、なんとなく、「ああ俺もこうしたくなるなあ」という気持ちがある。(同じレベルとかそういうおこがましい話ではない。決して)
例えば、 cloudy ironyの
『水面に浮かんだ声は耳鳴りに変わって』
のとこ、「水面に浮かばせたくなるものはなにか」という考えのもと「声」にいく感覚がなんとなくわかる。
狭い物語は
『狭いこの部屋に刺さるベッドシーツ』
もし、ベッドシーツになにか動きをもたせるとしたら「敷かれる」だと普通すぎる、もっとインパクトのある単語…「刺さる」とか「溶ける」とかそうなるだろうか
roomsの
『なにもかもがあって、なにもなくなるの』
これは、身も蓋もない言い方をすれば「逆説的なことを言うと深みが出て面白いのでは?」と自分では考えて書きそうな気がする。その「なに」が明確でなくても。
私自身の曲でも「なんかこうしたら面白そう」くらいで意味深な単語を並べたりする。そんで、後輩とかに「もしかして自殺の歌だったりします?」とか考察されて言われたりする。
例としては
『緑の見えない子供、呆けたままのデカルト、棺桶代わりの浴槽、目を閉じて眠るな』
という詞を書いたが(18歳のころの詞なので明確な真意は忘れてしまったが)「矛盾してる暗い雰囲気の散文を”ためしに”書いてみよう」(当時は作詞の練習もしていた)というところがあった。結果それが曲の詞に採用された。一見深く、暗い意味がありそうだが、これは本当に散文として書いたものであるということだ。
(ちなみにこの歌詞がある『逃避』という曲は、6月3日か4日にリリースされるアルバム『健康』に収録されているのでぜひ聴いてみてください!!!詳しくは無味のツイッターをチェック!!!!!)
サクライ氏は、その実「面白いんじゃね?」みたいな考え方で、そしてブクガの世界観を確立する単語の中から(狭い部屋、青い記憶、など)、チョイスして選んで並べている確率もゼロではない、と個人的に思っている。
なので、歌詞考察は、言うなれば「するだけ無駄」に感じてしまうのだ。
(マジで個人的な意見だし、それが表現として悪手というわけではないし、それが好きだから自分としてはその手法を取っているし、もちろんサクライ氏が何枚も上をいく思考の可能性もあるし、失礼なのはわかるから許してほしい)(クソなが言い訳)
●井上唯は本当に消えたのか
”削除”してから一番大きな動きがあったのがメンバーが井上唯だ。
ツイートは全削除して(一部仕様により残っている)インスタはアカウントごと消している。
ちなみに他のメンバーは5月30日までは普通に残っている。
(6月3日に入った段階で全員のアカウントが消えるという予想もあった。404のアーカイブ終了に合わせて。それはなかったようだ)
大変に不穏である。やめてほしい。心臓に悪い。
そしてこれは意思や大人の事情みたいなものも感じる。
したくない予想だが…今回の”削除”のきっかけになったのが井上唯の可能性もある。
ナタリーのインタビューで言っていた。
──この春活動が止まってしまったときに、「自分から歌とダンスを取り上げたらどうなるんだろう」みたいなことは考えました?
いや、私は歌とかダンスがなくても社会で生きていけるタイプなので。
──おお。ほかのメンバーにはなかった意見です。
いや、わからないですよ? 自分ではそう思ってるんですけど。
──普通に就職できる。
なんとなくそういう自信があります。ほかのメンバーと比べると、くらいの感じですけど。逆に歌とかダンスのほうが意識的にがんばってることだから、なくなったら普通の生活を送るんだろうなって。この期間じゃなくとも、普段からそういうことを考えてます。
もしかしたら「普通の生活」を送りたくなった彼女が”終了”を申し出て、「この4人でなきゃブクガではない→メンバー交代や3人での継続は無い」ので”削除”という結果になった、という予想もある。
個人的な印象だが、コショはアーティスト気質バリバリだし、和田輪はもともと歌手になりたかった人だし、矢川葵はアイドルに強い憧れを持っていたという経緯があるので、一番モチベーションを保つのが難しかったのが井上唯なのかもしれない。
したくない予想だが。
一筋の希望は、井上唯のnoteだ。
これだけは消えていない。
特に放置しすぎてて、忘れ去られていたという印象もない。
(そもそもLINE BLOGのほうはメンバー全員分全削除されている)
もし語るならここではないだろうか。
可能性は薄いと私は思うが…
(急に一人のテキストだけ独白のように語ることはなさそうだししてほしくもない、まるで喧嘩別れしたみたいになるから…)
●今後の展開予想
記事執筆を始めたのが6月2日23時半。
3日に入った段階でなにか動きがあると思っていた。
404のアーカイブ終了があったからだ。
しかし、日付を超えた現在、ここでは動きはなかった。
404のライブを見る前は
「なにか動きがあってくれ、いや、あるはずだ」
と願ってやまなかったが、今では
・なにもない。このままマジでマジの終わり。メンバーの消息も不明
・劇的な展開を見せる
の二択だな、という感覚が強い。
あれだけの演出とステージを終えたのだから、ぬるっとなにかテキストで発表して動くということはないように思える。
潔く「本当に消える」か、はたまたオタクたちの予想の上をいく感動(これはマイナスでもプラスでも)を産む変化をするか。
次に動くのは、なにか私が勉強不足で知らない記念日のようなものか、それか404のBlu-ray発売時ではないかと思う。
404のBlu-rayに本人たちのメッセージがついてくるらしい。そこで語られる可能性もある。
8月まで、この空虚な時間を過ごさねばならないのかと思うと、つらい。
(夏はブクガにとって重要なファクターだなそういえば)
●Maison book girlのなにが好きだったのか
今回のライブを見て改めて実感したのが
ブクガは「怖い」ということだった。
私はホラーコンテンツが好きでよくゲームでもテキストでも映画でも見る(映画はちょっと苦手だが)
かねてより「感動とは文字通り心が動くことであって、ポジティブ方向に固定される概念ではない」と考えていた。
「怖い」もとびっきりの「感動」だ。
ブクガはアイドルという”かわいい””憧れる”という側面を持ちながら、他のアイドル(いやアーティストひっくるめてでもいいかもしれない)にはない恐怖演出というものも取り入れていた。
結果、それは「ドキドキ」を生んだ。「ドキドキ」は知らないから生まれる。いつだって彼女たちは「自分の知り得ないところ」から見せつけてくる。
それは他のアーティストにはない、とびっきりの”感動”を届けてくれていた、と404で実感した。
そしてもう一つ。
私はLGBTで言うところのGである。ゲイの男性だ。
「女の子になりたい」と明確に願ったわけではないが、多分他のヘテロ男性より「女の子になりたい」に共感できる部分はあると思う。
(これは結構G男性ならそう思うのではないだろうか。男性に恋するからこそ女性への共感や憧れは他の男性より抱きやすい気がする)(実際、そういう意識でのG男性のアイドルファンも多い)
その意識の中で、最も「こうなりたい女性像」がMaison book girlであり、特にコショージメグミだった。
それは外見でもそう。
金髪が似合う細身の女性。
アクセサリーが似合う、そして笑顔が素敵な女性。
(前回の記事でも書いたが)音楽の趣味が合うことからもシンクロ性を高めていく要因になった。
僕は、私は、Maison book girlのような女の子になって、
Maison book girlのような音楽を奏でてみたかった。
もし生まれ変わるならコショージメグミのような女性になってみたい。
(楽曲に関しては実際何回かカバーしてるしこれからもする。もしそのときはツイートするので聴いてください)
自分はこれからも彼女たちに憧れ続け、
恐れ続け、ドキドキし続け、
知らない景色を見せてくれると
信じていくことになるだろう。