ワールドシアターウィーク企画「歴史と舞台芸術」作家佐藤賢一氏との対談
2022年3月実施・ワールドシアターウィーク企画「歴史と舞台芸術」の書き起こし版です
※佐藤賢一先生の許可を得て、対談の書き起こしをしました。舞台芸術ファンの皆様にも、佐藤賢一先生のファンの皆様にも楽しんでいただける内容だと思います。ぜひご覧ください。
こんにちは。一般社団法人みらいの会議、理事の藤田香織です。よろしくお願いします。
今日はワールドシアターウィークということで、舞台芸術と歴史についての対談をさせていただきます。世界の舞台人が舞台技術への思いを共有する日として国際演劇協会が定めた、3月27日のワールドシアターデーにあわせ、私たちも、舞台芸術に関わる、舞台芸術を愛する者として、さまざまな角度から、「舞台が大好き」という思いを皆さんと共有できればという企画です。
そして本日は、「王妃の離婚」や「傭兵ピエール」「小説フランス革命」といった、私たちが大好きな歴史小説をたくさん書かれている、作家の佐藤賢一先生をお呼びして、歴史と物語、物語を発信する媒体としての舞台と小説、本についてお話を伺わせていただければと思います。
佐藤先生作品の上演について
藤田: 先生よろしくお願いします。 先生は、舞台はご覧になりますか
佐藤先生: そうですね。基本的には好きで、観たい方なのですが、ちょっとこの数年は忙しくてなかなか行けなくなっているという感じです。特にこの2年間はコロナで、本当に行く予定があったものまで行けなくなったり、中止になったりという無念な日々が続いているという感じです。
藤田: 私たちもなかなか舞台に行けなくなりましたが、ただその代わりに、本はいつでも読めますから。コロナの中でも先生の作品はたくさん読ませていただきました。先生の作品は、幾つか舞台化されています。最初に舞台化されたのはどの作品ですか?
佐藤先生: 一番最初は宝塚で上演された、「傭兵ピエール」という作品だと思います。
藤田: 先生の「傭兵ピエール」を読んだことがあるのですが、かなり生々しいというか、戦争があって子どもたちが虐殺されて、性的な描写も激しく、そういう世界観の小説だと思うのですが、宝塚から話が来た時はどう思われましたか?
佐藤先生: そうですね、なんというか、一面すごく嬉しかった。そうなのだけど一面ちょっと複雑なところがあった。というのは、そもそも僕が小説を書き始めて、しかもヨーロッパも歴史を舞台に書いていこうと決めて始めた時、僕の中で乗り越えなければいけない壁というか大きな山が、まさに宝塚だったのです。ヨーロッパのものを、「ベルサイユのばら」を始めとして多く手がけてきたのは宝塚ですし、また、そこでファンを抱ええている。日本におけるヨーロッパものといえば宝塚、そういうイメージがあった。それをどうやって越えていくか、または佐藤賢一というオリジナルの作家のスタイルを作っていくか、そこは本当に悩んでやってきたという思いがあったので、そこで宝塚ですと。まあ 嬉しいといえば嬉しい、だけど複雑といえば複雑でしたね。
藤田: 私たちも確かに宝塚から入って、佐藤作品に出会って、人間、もちろん宝塚も素敵な人なのですが、もっと近くにいる人間を見てみたり、匂いを感じていたりというような感じがして、別の世界観がある。そこは、実際宝塚で上演されてみてどうでしたか?相容れないものはありましたか?
佐藤先生: そうですね 相容れないということは意外と感じなかったですね。というのは、僕が最初に宝塚を意識して、宝塚ではないスタイルを作らないといけないなと思ってやっていったのは、宝塚というのは、いってみればキラキラしたものではないですか。日本人とってのヨーロッパやアメリカは、やはりこうキラキラした世界で、すごくきれいなことばかりで、それはみてくれも、着るものもそうだし、文化的にも先進国であったり、一番、人間として正しい歴史の先端を行っているようなイメージもある。そういうところで、常に学ぶ、憧れるようなところが強くある。それをひとつの形として、宝塚は本当に見事にエンターテインメントしてくれている。それはひとつありだと思うのだけれども、僕のスタイルとしては、そこに学ばせてもらうとか憧れるというのではなく、それも自分たちと同じ、等身大の人間なのだよと。それをうまく消化した上でエンターテイメントにしていけたらと僕はすごく考えたのです。特に初期の作品は、言ってみれば自分の中で前のめりになったところもあるのですが、それで何をやらなければいけなったかといえば、人間の生々しい部分を、目をそらさずに書いていくことだというように思って、それが僕の、特に「傭兵ピエール」では 一面ではすごくリアリティがあったりするのですが、 あり過ぎるというかドロドロしたものがあったりとか、生々しかったりとか 匂いまでにしてくるような、そういうような、人によってはちょっと嫌だと思うくらいの描写になっていたと思うのです。そこで僕が書いていて、「傭兵ピエール」は一定の評価を頂いたと思うのですが、その中で自分なりに手応えを持っていたので、そこで宝塚からお声がかかるということで、非常に驚いたし、どうなるのかなぁと思って。僕は招待していただいたので宝塚を観たのですが、観てみると、先ほど言ったように、意外に違和感がなかったです。その時にその脚本の方とお話することがあって、その時に「僕は今回、佐藤さんの『傭兵ピエール』という作品で、本当に苦労して、因数分解させていただきました。」ということを言っていただいたのです。 結局、僕が書いた、人間的なもの、人間らしい生々しいものを、宝塚なりのフィルターで凝縮してくれた。ある意味でろ過してくれた。その上で、宝塚のあの、やはりきれいなキラキラした舞台にしてくれたのだけれども、やっぱり大元としては、僕が書いた、生々しい人間らしいリアルな姿を元にしたもので、従来の宝塚のものとは違うものになっていたかなと思いますし、違うのだけれども従来の宝塚でもある、というスタイルをつくったという、長年やってきたところのノウハウなのだと思う。宝塚の分厚さ、凄さを改めて感じさせられた、いうことでもありました。
藤田: 因数分解ですか。確かに。私も拝見したのですが、 確かに綺麗でもあるけれども、私たちが大好きだと思った、あのピエールの土臭さのようなものはそのまま、根の太さはそのままで、和央さんが舞台上で表現されている。まさに融合されて、お互いの魅力は全部損なわれずに舞台の上にあったなと思いました。
舞台化をされるにあたっては、こうしてください、というような希望を出されたり、すり合わせをされたりするのですか?
佐藤先生: いや僕は全くしないですね。もう本当にお任せしますということで、投げっぱなしと言ったらおかしいですが、ほとんど口を出すことはありません。ただ、これはどうしたらいいですかねというような意見を求められることもあるのですが、その時は僕なりに、こうではないですか、ああではないですか、ということはあるのですが、基本的にこちらからどうしてくれというようなことはないですね。
藤田: 「ジャンヌダルク」の時はいかがでしたか?
佐藤先生: そうですね、「ジャンヌダルク」の時は、僕も何回か機会があったので、その上でいただいて、ただあの時は僕が書いた短編を基本ベースにしたいのだけれども、その短編そのままではなくて別に原作を考える形で言われまして、書下ろしでもないですが、ざっとしたストーリーを僕のほうで書きまして、それで脚本家さんのほうに渡しました。そして脚本の方と、中島さんだったのですが、ちょっとやりとりをしながらストーリーを作って、というような感じで作ったので、その意味では、まず原作そのままではなかったということで、ほかの作品よりは関わり方が多かったのかなというように感じます。
藤田: 作風として、劇団☆新感線の作風はちょっと先生の作風と似ているような気がするのですが。
佐藤先生: そうですね。物語に入っていくと急展開になって、ダーっと動いてしまうという、あのような感覚が似ているのだなというように思います。だから多分、やり易かったのかなと思いますね。
藤田: どこまで書かれたのですか。すみません、具体的な話まで伺って。
佐藤先生: ジャンヌダルクという存在があって、単にたまたま出てきて、たまたまワーっとやって、ただ奇跡で終わった人ではなくて、実は王家の人といろいろな関わりがあり、それこそ出生の秘密のようなものに関わって、本当に密接に出てきた人なのだよ、というような筋を書きました。そこをうまく中島さんに脚本化していただきました。
藤田: 脚本自体は中島さんが書かれて、その原案というような形で関わられたのですか?
佐藤先生: そうですね。
藤田: 何回ももどしがあったり?
佐藤先生: そうですね。
藤田: ご覧になって、またこうではないか、などとおっしゃったりしたのですか?
佐藤先生: いや、もう脚本が出てきてからは僕が特に言ったこともなくて。稽古なども見にいかせていただいたのですが、見学というか、ただ見ているだけだったのですが、逆にそこで、どうでしょうか、こうでしょうか、という意見は求められましたが、僕のほうからどうこうと言うことはありませんでした。
藤田: 舞台化されたものは特に、戦場のシーンも多く、小説の中で我々が読んで、頭の中に描くものとしては、ものすごく広いところでたくさんの人数が、舞台には乗り切れないほどのたくさんの人数が出てくるような話が多かったように思います。 それがその舞台の板の上に乗って表現されているということについて、先生の頭の中のイメージと舞台のイメージは違いますか?
佐藤先生: そうですね、もちろん僕の中でもイメージというのはあるし、僕の頭の中で戦場のシーン、オルレアンだったらオルレアンのシーンというのはあるわけなのですが、ただ、ここもまた、舞台の技術というか長年やってきたノウハウというのは、このようなところに出るのだなというところがある。具体的に、広くもないですし高くもない奥行きもないのだけれども、また人数だって何百人といるわけではないのだけれど ただその情景をうまく表現しているというか、限られた空間の中で、限られた舞台であったり、限られた人数、小道具だってそんなに揃っているわけではない、それなのになおかつ戦争の場面が想像できてしまうのです。そこがやはり舞台表現として、ここの世界にはここの世界の、いろいろな技術があるのだなあということはすごく感心しましたね。
藤田: もう一つは、小説の中だと、おなかの中で思っていることと、外に表現をすることとそれぞれ別に説明がついている。例えば頭の中ではある人をけむに巻いてやろう、騙してやろうと思っているという描写があって、体からは、そんなことを思わせないように実際には騙しているという表現をしている。小説だと、先生もそれを、私たちにもわかりやすく表現している。 舞台だとなかなかそれが難しいのではないかと。そのあたりに何か違和感を感じたりされましたか?
佐藤先生: 違和感というよりも、多分そこは役者さんの役割だと思うのです。つまり台詞はもちろん当然役者さんですから覚えますけれど、たぶん台詞のないところで演技をするのが役者さん。多分その台詞のないところの演技で、僕が小説で書いた内面の描写であるとか、そういうものを演技していらっしゃるのだと思います。ですからそういうところが、もちろん役者さんも上手い人下手な人、キャリアのある人若い人もあるのだけれども、上手い人やキャリアのある人はすごく表現していただいているなと。だからもちろん僕は作家ですので、そういう内面描写を全部書くわけですが、脚本家の方は、そこは書かない。この人たちは役者さんにすごく助けられているのだなと思ったりするのです。そこがみんなで作っている、 僕は作家で小説と書くときは一人なのですが、舞台はやはりたくさんの人で作っているのだなということが、そのようなところに実感させられて、本当に面白いなと思います。
藤田: そのような媒体の違いによる作品の描き方の違い。舞台は舞台ですごく素晴らしい表現がなされているけれども、先生は作家でいらっしゃるので、小説でこそできる表現ということは、何か考えていらっしゃいますか?
佐藤先生: 一番の書き所というのは、一つは内面の描写ですね。役者さんも演技というのが当然舞台の上ではあるわけですが、そこを僕らは思う存分書ける、ということがあるわけで、そこを書くことにすごく醍醐味がある。そこが小説の一番有利なところではないかなと思います。あと、状況の説明がまた、小説の場合はいろいろな状況を説明できる。この戦争はどうして起きたか、この政治的な問題が何で問題なのか、あるいはこのような事件はどうして起きたのか、というのを、舞台だと、くどくど言葉で説明するのはなかなかできないし、また言葉で説明すると、音声ですからすっと終わってしまいますよね。でも文章だと何回でも、わからない、えっ?どういうこと?と何回でも返って読み直せる。そういうところも遠慮しないで思う存分書ける。そのような、文字にしないと伝わらない部分を存分に文字にできるというところが、小説と舞台と、どう違うかといえばそこが強みなのではと思いますね。
藤田: そのような情景とか状況を十分説明してもらっているからこそ、この一言で泣けたり、感動できたりできるのでしょうね。
佐藤先生: ええ、そうですね。
題材としての歴史と史実について
藤田: ありがとうございます。先に、歴史のことについて進めさせていただきます。先生の作品は、今までご説明させていただいたように、歴史に立脚しながら、でも読者の心を掴んで離さない脚色もあって、歴史を物語にするということをされている作品だなと思います。なぜ歴史を題材にしようと思われたのですか?
佐藤先生: 歴史を題材にしようというか、最初に僕が小説を書いた時というのは、当時大学院生で、一応大学は出て、大学院に残って歴史学を専攻していました。歴史学を専攻していて、当然歴史の勉強していました。言ってしまえば、当時百年戦争を専攻していて色々調べていました。大昔の話で恐縮なのですが、 僕が大学院生になった時ぐらいに、今はなかなか通じないかもしれませんが、当時ワープロという機械が、ワープロ専用機が普及してきた時代がありました。ですから僕は卒業論文は手書きで書いたのだけれど、修士論文はワープロという、そういう世代なのです。そこでワープロを覚えなければいけないと買ってみたのですが急には打てない。どうやったら上手くなるか、これは練習しなければいけない、と、春休みにちょっとワープロを特訓しようと思いました。そこで当然、当時大学院生で歴史を勉強していましたから、歴史のレポートを打っていたのですが、意外に勉強のものはすぐ打ち終わってしまう。そんな勉強で何十枚何百枚は書かないのです。せいぜい十枚で終わってしますのです。これでは練習にならない、どうしようかなぁと思った時に、たまたまですが、歴史の自分なりに研究していたテーマの傭兵隊の一人にちょっとセリフを言わせてみたのです。そうしたら面白くなって、どんどん台詞を書いていきまして、ちょっと物語にしてみようという感じて、ずっと書いていました。春休みが終わったぐらいに100字詰原稿用紙300枚くらい書いたのです。300枚書いたのでどこかに出してみようかな、まあ小説めいた形になったし、と思って出してみて、その時は受賞はしなかったですが、新人賞の最終候補に残りましたと連絡をいだだいて。その時は落ちたのですが、当時の編集の方に「来年もう一回書いてよ。」といわれて、じゃあ書きますということで、次の年にデビューしました。次の年に新人賞を頂いてデビューをして、デビューした後で、「第二作目はどうしますか?」と言われたときに 「では去年、没になったものを書き直しますのでやらせてください。」と。300枚の原稿が結局1500枚くらいになって単行本化されたというのが、舞台化された「傭兵ピエール」なのです。
藤田: へぇー凄い。では本当に一番最初に書かれたのが「傭兵ピエール」だったのですね。ワープロを作った人、ありがとうございます。私たちに素適な小説を!本当に初期の初期にあれだけの作品を書かれたのですね。
佐藤先生: そうですね。最初に書いたのは300枚で、それが1500枚になって、じゃあストーリー自体が変わっているかといえば変わってもいないので、まあ今思えば、最初の300枚はあらすじのようなものだったのだなと思います。それが自分で小説をちょっと本気で考えてみようかなといろいろ考えて、あれも入れたいこれを入れたいとなってきて、できてみたら1500枚になった、そんな感じですね。
藤田: そうなってくると、書かれているのは、あまり下準備をされてプロットを練ってという形で書かれるのですか?それともさっきおっしゃっていたように、傭兵隊長の台詞をという形で、最初から物語になっていたのですか?
佐藤先生: そうですね、そういうことで言うと、僕はストーリー有りき、とかプロップ有りきで考えるタイプではなくて、むしろ主人公が動きたいように動かせる、あるいは主人公がやりたいドラマをやらせるし、 進みたいストーリーを進ませる。ぼんやりは、もちろん歴史なので歴史の史実はある程度あるのでぼんやり先ゆく方向は分かるのだけれども、具体的にどういう風に行くのかは本当に主人公まかせということがあります。逆に言えば、主人公が動かさないと動き出さないと、何も書けないということでもあるのです。
藤田: もともと百年戦争やフランス革命に深い造詣があって、それを前提にということではあるのですね。
佐藤先生: そうですね、ですから最初の作品に関していえば、もともと自分が学生として勉強していた、研究していたテーマなので、そもそも情報量が多くやり易かったということがあった。でも専門の作家になってみるといつまでも自分の得意分野だけでやっていくわけにはいけないし、次々新しい分野をやっていかなくてはならない。そこについては常に素人で、全く知らない状態からスタートする。ではどうするか、という時に、よく聞かれるのは、本当に史実を調べますよね、なんでこんなたくさん調べるのですか、あるいは逆にこんなに調べてしまうと歴史に足を取られ、ストーリーとしてつまらなくなりそうな気もするのですが何故そうならないのですか、ということです。僕にとってみると結局、その主人公がどうやって動き出すか、なのです。主人公のことをよく分からなければいけない。あるいは、主人公を自分の友達みたいに感じられるようにする習慣があるのです。そうすると、例えば自分の友達やあるいは家族のことを考えると、その場にいなくても、「あいつ、今ここに居たらこうするよ。」「あいつ、ここにいたら、こういうことを言うよね。」ということが思い浮かぶではないですか。歴史上の人物でも、友達みたいに感じられる風になると、「あいつここに居たらこういうことをするよね、ここに居たらこういうことを言うよね。」ということが自然と出てくるのです。それは僕が言う、主人公が勝手に動き出す瞬間なのです。逆に言えばそこまでいかないと動き出さない。ではそこまで行くにはどうするかというと、そこまでその人を分かろうと。その人のことを分かる、歴史上の人物のことを分かるということは、やはり歴史を勉強しなくてはいけない。つまり、歴史を勉強することで、史実に足を取られるという言い方をするのだけれど、僕は、何故歴史を調べるかというと、歴史上の人物を知りたいからそうする。彼が何でこういうことをしたのだろう、何でこういうことを言ったのだろうということは、彼の時代はどんなだろう、彼の置かれた状況はどんな状況だったのだろう、彼はこの時どんなものを食べていたのかな、お酒を飲んでいたのかな、あるいはこの時に不幸だったのかな、友達いたのかな、恋人いたのかな、と、いろいろな状況があるわけです。分かれば分かるほどその人の行動や言動というものにすごく納得がいくし、理解が進むのです。そのために僕は歴史を調べているので、人間が生き生きと動くということと史実が詳しいというのは、僕にとってはあまり矛盾しないことなのです。
藤田: だからあんなに生き生きしているのですね。
佐藤先生: そうだと思います。
藤田: そして私は多分、歴史という言葉を間違って使っていた、というか、何年に何が起きたということではないのですね。
佐藤先生: そうですね。その辺は、主人公がわかってしまうと、僕は逆に何年に何を、というのはそんなに正確に覚えていないです。僕の担当の編集の人はいつも身構えている。何年何月何日というのはいつも間違うので必ず調べてくれる。その専門のスタッフがいますね。
藤田: 私は傭兵ではないので、傭兵がどんな風に動いていたかなどは、全然自分の感覚としては分からないのですが、「王妃の離婚」を拝見していると、なんとなく、違う国で違う時代なのですが、弁護士として、こう考えるだろうな、ここでこうかますだろうな、ということは思うのです。まさにそういうことをするので、どうして先生はご存じなのだろうと、ずっと思っていました。どうして私たち弁護士の心の動きとか、「よし、ここでかましてやろう。」とか、「わっ、失敗しちゃった。」というのが分かるんだろう、と思ったら、ここまでお友達でいてもらったのだな、と、いうことですね。
佐藤先生: そうですね。
藤田: すごく分かるような気がします。だからそんなに生き生きとしているのですね。なるほど。
先生が物語を書き始められた頃は、学生であったと伺いました。そうすると、小説をこの先も書いていこうかという思いと、学者になるような将来の道もあったかと思います。何故学者ではなくて小説を書いていこう、と思われたのですか?
佐藤先生: 正直そこは悩んだところではありました。というのは、僕がデビューしたのは25歳だったのですが、28歳ぐらいではもう小説でやっていこうと決めていました。でも結局奨学金の返済のめどがつかなくて30歳くらいまでは籍だけは大学院にありました。ですから数年、両方をやっていた時代もあったのです。その時に随分悩んだし考えたのですが、結局、歴史小説を書くか、歴史学をするかということで、歴史学とは何をやることなのだろう、というと。たぶんこれは僕は両方やってきたので、そうだ、とはっきり気づいたのですが、歴史学は、実は人を書くものではないのです。歴史学とは時代を書くものなのです。つまり、今と、例えば17世紀のフランスであったら、17世紀のフランスは、こんなに違うよ、こんな違う世界なのだよ、ということを言う学問なのです。つまり人間がこうだよ、ではなく、時代がこうだよというのが歴史学なのです。それを僕はやっていたし、それも、もちろん面白いと思ったのだけども、ただ、どうしても僕は人間に惹かれてしまう。どうしても、この時代がこうだという、今と自分との違いを探すというよりも、この時代でも自分と同じものを探してしまう。同じ人間を探してしまう。どうしてもそうなってしまうので、たぶん自分は作家向きなのだろうな、ということで決断して作家の道に行こうということになりました。
歴史と舞台芸術について
藤田: 歴史についてなのですが、今度は歴史と舞台について語っていきたいと思います。私のツイッターアカウントで、歴史の年表に、舞台で観た作品の年月を合わせて、私たちが観ている舞台が何年頃に起きたのか、対照表、年表を作ってみました。それにいろいろな人がつけ加えてくださって、年表も結構出来てきて。その年表がそちらにあるものです。それを見ていると、いろいろな世代にいろいろなことが起きてそれを見ていくと、例えば、それこそユダヤ人の差別がどのように年代をさかのぼって起きてきたか、各舞台を見ていくとわかる。そしてやはりフランス革命というのはものすごく物語性に富んだ時代であったのだなと思うのです。1789年の周りの時代のフランス革命を描いた舞台はとても多くて、かつすごく私たちをワクワクさせるものが多くて。ここに、ミュージカルや舞台のパンフレットをたくさん持ってきました。これは基本的にはフランス革命の周りの時代のパンフレットです。例えば「1789」というミュージカルがあって、これは1789年のフランス革命前後で、 フランス革命側、ロベスピエールやダントン、デムーラン側の青春群像劇です。かなり衣装も素敵で、お花がついていたり、このような世界観で進んでいくのです。私たちが好きなロベスピエールはいつでもいます。先ほども少しお話をしていたのですが、何度も何度もこのようなフランス革命の題材がかかるので、月によっては、私たちは親の顔よりロベスピエールを見ているね、ということもあって。これはロベスピエールが、最後に亡くなるまでのお話です。このように様々なミュージカルや舞台の作品があります。衣装を実際ご覧になって、いかがですか?だいぶ華やかですね。実際はこんなに華やかなのですか?
佐藤先生: これほど華やかではないですが、意外に地味でもない。今の現代の服装から比べると、よくこんな服を着ていたなというくらいの華やかな服を着ていますね。
藤田: これはパンフレットに書いてある、フランス革命期の肖像画です。かなり華やかですね。
フランス革命だけでもたくさんの舞台の題材になっていますが、フランス革命がこれだけの作品を生み出すというのはなぜなのでしょう。
佐藤先生: 僕も小説でフランス革命を書いたのですが、その時に思ったのが、歴史的にいってもフランス革命は、前近代から近代へ移り変わる、いってみれば端境期、端境だからあれだけのことが、という時期なのです。現代の人間が歴史のことを触れるときに、ひとつの魅力として異世界にトリップできるという魅力がある。自分が暮らしている日常から離れたところに行けるという楽しさがある。でも、行ったきりで全く違う世界であると、なかなか楽しめない。そこに自分と共感できるものがないとダメだったりもするわけです。離れれば離れるほど共感は難しくなる、それでももちろん共感する部分もあるので歴史ドラマというものは古代から中世、いくらでもあるわけだけれど、 近ければ近いほどのめり込み易いうこともある。フランス革命は異世界でもあるが、マリーアントワネットの世界も、日常にないわけではない。ナポレオンのような成功もないのだけれども、自分の今に繋がっている世界がある。だからそこに参加をしやすい、自分を置き換えやすい。その両方のバランスがうまく揃っているというのがフランス革命という、あの時期なのではないかと、僕は自分で書いていて思うのです。
藤田: 華やかではあるけれども、結局のところフランス人権宣言ができていくわけですから、そうやって近代の私たちの生活にどんどん近づいてきているというところなのですね。
佐藤先生: そうですね、読み終わって、しょせん自分には関係ないやと終わってしまったり、あぁそれは昔の歴史の話だなと終わる場合もあると思うけれども、フランス革命は、じゃあ俺も、ということなる、じゃあ私も、ということになる。それだけ現代と地続きで繋がっている。だからのめり込むし、自分もそこに入っていけるし、自分だったらこうする、自分だったらあぁする、またはロベスピエールをじれったくなってしまったり、あるいはもっとやれ、と思ってしまったり、自分はどちらかと言えばダントンだなと思ったり、すごく近いのだと思うのです。そこが多分、歴史ものなのに凄く近い、というところが、皆を熱中させるものかなと思います。
藤田: 登場人物と、それこそ友達になったような気持ちになれるのはフランス革命の周囲です。私もダントンがすきで。もっと勇気を、というあの演説がすきでした。
先生が舞台化を考えるとすると、どの時代を考えられますか?
佐藤先生: 僕が舞台にするのであったら、やはりフランス革命ものというのは自分の書いたものの中で、ここを書いてほしい、あそこを書いてほしいというものがあるので、なってほしいと思うし、あとは、絶対王政の時代ですね、ブルボン朝の時代、僕の書いた作品では「二人のガスコン」があるのですが、あの作品の時代もぜひ舞台でやってほしいという気持ちはあります。
藤田: 「二人のガスコン」は、まさに、ダルタニアンが出てきて、シラノが出てきて、鉄仮面が出てきてて、そのルイ14世の出生の秘密が出てきて、冒険譚として面白いし、歴史上の物語としても本当に面白い。私は、「二人のガスコン」が大好きで、読みながら、あの俳優さんが良いのではないか、あの俳優さんが良いのではないかと勝手にキャスティングをしたりしています。ちょうど私たちの、みらいの会の理事に伊礼彼方さんという俳優の方がいらして、その方がダルタニアン顔なのです。ちょうど30代、40代のダルタニアンの顔で、口髭を捻ったらちょうどいい、ここを噛んだらちょうどいい、というような顔をされていて。まさに、「二人のガスコン」を舞台化で観たいなと思うのです。他に先生の作品で舞台化するとしたら何でしょう。
佐藤先生: 短編集に入っている作品で、レオナルド・ダ・ヴィンチを書いた短編があるのですが、その短編を舞台にすると面白いのかなと。話としては、ダ・ヴィンチとミケランジェロが当時のフィレンツェで壁画を共作させられそうになる。その天才同士の心の葛藤のようなものを小さな作品にして書いたのですが、舞台でどうやって表現するのだろうと思って、楽しみだなあという気持ちはありますね。
藤田: 日本や東洋の歴史ではいかがですか?
佐藤先生: 東洋の歴史でいうと、これは自分の小説で書きたいということでもあるのですが、「三国志」が書きたいなと思います。
藤田: 佐藤先生の「三国志」!!すごく読みたいです。どなたが主人公なのでしょう。
佐藤先生: んーー。
藤田: ここで言ったらだめですね。楽しみにしています。
先生の作品の舞台化について、お聞かせいただいていたところですが、自分の作品が舞台化されたらご経験から、小説という媒体と舞台という媒体、それぞれの特徴と良いところをご覧になってきたと思います。または短所。舞台という媒体の魅力とはどのようなところでしょう。
佐藤先生: 僕は舞台というのは、たくさんの人が作るということがすごく魅力だなと思います。例えば先ほど、役者さんがいてすごく良いというのがありましたが、僕らも小説書くときは、役者さんはいないので、例えば顔形の描写もしなくてはいけないし、背格好の描写もしなければいけない。また表情を書かなくてはいけないし、内容も書かなくてはいけない。それを役者さんがいるから、そこは役者さんがやってくれるわけですね。一方で、例えば舞台を作る、僕らは戦争の描写をすれば、そこに塀があった、城があった、そこに掘があったと、いちいち書かなくてはいけない。それを舞台の場合は大道具さんがやってくれる。同じように戦場のシーンを書けば、こんな鎧をつけていた、剣をもっていたといちいち書かなくてはいけないのだけれど、舞台であったら小道具さんがやってくれる。もちろんストーリーについて脚本家がすごく頭をひねってやってくれる。そういう、いろいろな人の力が合わさって完成していくのが舞台だと思うのです。そのいろいろな人の力が合わさるということの難しさも当然あると思います。一人だったら自分のやりたいようにやればいいわけですから。それに対していろいろな人がいると、多分そこで、演出家の方がいつも怒鳴っていらっしゃると思うのですが、必ずしも思いどおりにはならない。そういうところの難しさはあるのだけれど、ただ、いろいろ人がいる、たくさんの要素が絡み合っているというところの魅力もあるのだな、と思っていて、そこが舞台の良いところだなと、僕はすごく羨ましいです。後もう一つは、小説というか、本でも同じなのですが、僕は小説を書いていて、よく読者の方と話すときもあるのですが、「先生すごく面白かった。」「先生凄いですね。」と言うのですが、実は僕が凄いのではないのです。それは結局、読書とは何かといえば、書き手と読み手側の、言ってみればコミュニケーションなのです。読書という時間というか空間というか、その瞬間が尊いのであって、別に書いている僕が偉いのではない。読んでいる人が偉くないわけではない。与えられているわけないのです。 そこは、お互いに参加している、その読書という時間、読書という空間が尊い、そこが素晴らしいのです。そういうところで僕が書いたことをちゃんと受け止めてくれる人がいないと成立しない。だから僕は自分の読者に常に尊敬の念を持っているのです。基本、そのように思っています。舞台を考えると、ダイレクトに空間を共有できる、まさに演じ手とそれを鑑賞している客さんが一緒の空間で、その尊い空間をリアルに感じられる。そこの、尊さというのはちょっと他と比べられないものかありますね。やはりそこは小説にしてみても、僕が伝えているというのだけど、そこに僕がいるわけで、やはり文字と、ひとつまどろっこしい中間のものがある。同じように、映画にしてもそこには画面という邪魔をするものがある。舞台には何もない、即、伝わるという、そのライブ感、その空間の共有の仕方というのは僕にはちょっとまねができないというか他にはないものだなと思っています。そこは僕の舞台の好きなところです。尊いと思いますね。
藤田: 確かに。私たちもずっとそう思っているところです。でも全体に物語は空間を共有して、作っている人の頭の中を一緒に同じ頭で共有しているところに素晴らしさというか尊さがあるなと思って、それは基本的には同じことなのだろうなと思いました。その共有の仕方が、時空を超えて共有できる、その小説という媒体も素敵さもあるし、まさにおっしゃっていたようにライブで共用できる 舞台の素晴らしさもあるし、いずれにしても物語というものを誰かと共有することの楽しさというものはありますね。
最後に、今、舞台についてお話いただいて、途中でも何回か、先生が書かれている小説という媒体の面白さというものを伺ってきましたが、先生の書かれている小説という媒体の面白さ、醍醐味をもう一度伺わせていただけますか。
佐藤先生:小説は、本当に文字だけなので、いくらでも書ける、といったら語弊がありますが、文字で伝えられる情報は、思い存分伝えられます。そういうところで、伝わりにくいというか、ライブではなかなか伝えきれないところまで伝えられるという有利な点があるので、そこは自分の最大限の強みとしてやっていきたいなと思っています。同時に、基本は舞台とか映画とかほかの媒体とそんなに変わると思ってはいなくて、そういう意味で、逆に小説だからこう書かなければいけないという考え方をします。特に僕はヨーロッパの歴史から入っていったということもあり、ヨーロッパでいうと小説よりも、劇作家、作家よりも劇作家のほうが先に来ている。 舞台が先にあり、そこから小説というのが、文学の歴史で言えば最近小説になったという感じなのです。 それまでやっぱり文学は劇なのです。シェイクスピアの時代でも、シェイクスピアは、小説は書かなかった、劇なのです。例えば僕がすごく大きな刺激を受けた、アレクサンドル・デュマにしても、最初は劇作家だった。彼にしても最初は劇作家になりたかったし、劇作家が当時の作家だったのです。それが、たまたま彼の時代に新聞というものがたくさん読まれるようになって、文字を読む人が増えたので、じゃあ小説をやってみるかということになっただけであって、基本ベースは劇作家だった。というのが僕の中ではどこかあって、本当は劇として伝えるものを小説を伝える、では小説としてはどうやらなくてはいけないかな、小説だから書かなくてはいけないな、役者がやってくれないから書かなくてはいけないな、大道具さんがやってくれないから、書かなくてはいけないな、と、そういう気持ちでやっているところが多分あるのだと思います。だからそんなに僕は違う、異質なものとしては捉えていないと思います。
藤田: 先生が今おっしゃった、あまり変わらないというところですが、共通項はやはり物語であるというか、普段我々が生活しているもとは違う、誰かの物語を見るというところだと思うのですが、物語で伝える、ということについて、 何か思っていらっしゃることはありますか?物語を提供するということへの思いとか。
佐藤先生: 物語というのはだいたいの場合嘘なのですね。小説でも、劇でも、多分歴史劇といっても、歴史は本物でもその物語自体はたいがい嘘だったりするのです。あるいは嘘か本当か分からないところで展開しているものだと思うのです。 そこは、僕は嘘でよいと思うのです。ではどこが本当でなくてはいけないかといえば、藤田:act、事実の部分は嘘でもよいのだけれど、真実、truthの部分は書かなければいけない。つまり人間の真実というものを描くことは、絶対に外してはいけないのです。ではその人間の真実をどう描くか、例えば宗教家であったら、神様はこうだと言っているといえば、終わりです。でも、それは本当か?と常に思うのです。ではどこに真実があるのかといえば、やはりストーリーの中、ドラマの中で、あっ人間ってこうだねと真実は出てくる のです。そういうことをやっていくのが、宗教家でも哲学者でもない僕ら作家の役割だし、また、そういうことを提供してくれるのが、本や舞台の役割ではないかとそのように思います。
藤田: なるほど、ありがとうございます。人間の真実、確かにそういうもの、先生の描かれる人物の心の在りかというか、根っこのところに、すごく私たちも感銘を受けるのだと思いました。そしてそのようなところに私たちも救いがあるというか、明日から頑張ろう、という気持ちになれたり、こういう風になりたいな、と思ったり、 そうやって現実世界を生きるための何かにさせて頂いているのだなと思いました。ありがとうございました。これでインタビューは最後になりますが、何か先生からお言葉を。今日、いかがでしたか?
佐藤先生: 楽しく喋らさせていただきました。本当に今、こんなコロナの状況で、さっきからライブ感が、と何度も言いましたが、ライブ感がなかなか手に入りにくいような時代になって、まさかこんな時代が来 る、あるいはこんな状況がおこるというのは数年前からは想像もできない時代で、これがどうなっていくのかなあと思うのですが、ただやはりその中にあっても、いろいろな方法、いろいろな手段を多分模索しながら、人間って今までしてきた感動を、そんなに簡単に手放さないと思うのです。これからも文学だったり舞台だったり芸術だったりというものは続いていくと思うのです。 皆さんも、あきらめず、手を伸ばしてほしいなと思います。
藤田: ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?