【妊娠7週 稽留流産】子供がそこまで欲しくなかった私の、妊娠~流産まで。②

手術まで

妊娠初期の流産は、胎児側に問題がある場合が多いとされ、ある意味自然淘汰の結果、母側がどんなに気を付けていても防げないのが殆どと聞く。

流産が分かってから、色んなことを考えた。夫の前ではたしか1回だけ泣いた。洗濯物を干しているとき、急に泣けてきた。不思議だった。何度も言うように、私たちは子供がどうしても欲しいというタイプではなかった。なのにこんなに悲しい。約一カ月、私の身体のなかで一緒に生きていたのだ。どの時点で成長を諦めたのかわからないが、3人で一緒にいたのだ。その事実に苦しめられたし、同時に暖かい気持ちにもさせてくれた。私たちの子なのだ。生まれてこようがこまいが、それは関係なく。

救いになったのは、Yahoo!知恵袋か何かだったかで見かけた、稽留流産経験者様の言葉、「天寿を全うして旅立っていきました」というひとことだった。私達夫婦は、両方「死」が身近にある職場にいる。だからスッと入ってきたのかも知れない。

そうだ。90歳で天寿を全うしようと、数週間で天に召されようと、それは同じことだ。(すみません、これは私の勝手な考え方で、多くの方に受け入れられないことは承知しております。実際に一緒に生活していた方が亡くなったのと一緒にできるわけがないと分かったうえで、私が救われるために、この考え方をいわば【採用】しているということで、お許しください。)

この子はこの子なりに、与えられた生を生きた。生をうけたその時点で、この子は私とは「別の命」なのだ。親である私達にすら一切の干渉を許さない、別の命。こう考えることで、納得し、もう私に出来ることがないのであれば、早くこの暗い場所から出してあげよう、という覚悟をきめることが出来た。

3日後、再度受診。正式に「妊娠7週 稽留流産」という診断がくだされた。同時に手術日確定と術前診断。その日が金曜で、手術は翌月曜と決定。

術前診断を受ける。血液検査と、たしか心電図を受けた。その際、若くて優しい看護師さんが付いてくれた。何か、話したかった。努めて明るく言ってみた。

「私、実は子供そんなに欲しいほうでなくて、授かったらいいなくらいで。でも、いざこうなると寂しいもんですね。きっと、本当に欲しくてたまらなかった人はもっとお辛いでしょうね」

「今この状況で、他の人のことを思いやれるってすごいですよ!」

「そうですか? ありがとうございます。私、この子は、天寿をまっとうしたと思っているんで(ここで感情が決壊。号泣)」

「滑り台の話って知ってますか・・・? 赤ちゃんは、お母さんを選んで降りてくるんです。短い時間しか一緒にいられないことを分かって、選ばれたんですよ! だから、ごめんねじゃなくて、ありがとうって思ったらいいんですよ!」

正直、この手の話は事前にネットなどで沢山読んだ。素敵な話だなと思う反面、色んな意見があるのも承知だった。でもこの看護師さんは、本気で私を元気付けようとして言ってくれてるのが、言葉の端々から伝わってきて、本当に有り難かった。

同時に、こんな私を、仕事と自分のことしかやらなくて、母性のかけらもなさそうな私を選んでくれたとするならば、こどもって、なんて健気で愛おしいんだろうと思った。来てくれて、短い間だけだけど親にしてくれてありがとう・・・いや違うな、ずっと死ぬまで、私たちは君の親だよ。

クリニックの方針にもよるだろうが、私の行ってたところは、術後5日間出勤禁止だった。手術が月曜で、土曜の術後診察が終わるまでは仕事に行けないということだ。2日の猶予で、必要な相手に自分の状況を伝え、引継ぎをし、休んでも大丈夫な態勢にした。普段からたいした仕事はしていないと自負しているが、それでもかなり職場には負担をかけた気がする。周囲の暖かい協力と励ましを貰ってとても有り難かった。

双方の親には妊娠を伝えていなかった。安定期になったら伝えようと思っていた。色んな考え方があるが、私たちは親には一切何も伝えていない。自分の母親にだけは告げようとも思ったが、いたずらに心配を掛けるだけのような気がして(離れて暮らしているし)結局伝えていない。今後伝えることもあるかもしれないが、このまま何も知らせない可能性が高い。

ただ、諸事情で迷惑をかける可能性があった弟にだけは妊娠を伝えていた為、自動的に弟にはこの結果を伝えることとなった。LINEで簡単に用件だけ伝えた。すると、普段私のことにはまったくの無関心であろう弟から電話が来た。励ます言葉を探しているようだったので、その必要が無いよう先回りして明るく振舞った。言葉なんて、何でもいいの。電話をくれたというその事実だけがうれしかった。

仕事や家事もぼちぼちしながら、手術当日まで普通に過ごした。


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