創作活動をしよう
来訪頻度の調節とか、執筆時間とか色々考えたほうがいいだろ。
こんにちは
先日投稿した記録と記憶の話題から、何か変わろうと思って、
少しだけSNS見る時間を減らしたり、インストを流して作業するようにしたり、今日あったことの記録とかをするようにしている。
まだはじめて数日だし、効果とか分からないけど、戻していきたい。
今回は、前回の記事の中でも登場した創作活動に関してつらつら考えたい。
なんで私が創作活動をしたいと思っているのか
なんでしてこなかったのか
なんでする必要があるのか。
私には今、紙とペン、PC、iPad、スマホ、楽器という創作道具がある。
昔の私がそのために購入したものだ。
今は、機器類はメモや勉強用にしか使っていないし、楽器はケースに入ってクローゼットにいる。
1人暮らし、暇な時間が増えて何してるのか考えたら
散歩、散歩、買い物、掃除、自炊、洗濯、睡眠、勉強、読書、だらだら
ちなみに散歩とだらだらが大半を占めている。
実家にいる時、今より自由な時間がすくなくて 、ある種やることも限られてたのに、今より創作していたし、だらだらSNS見てなかった。
限られた時間を何かして過ごしてたな~と懐古。
今の私は散歩がマイブームで、暇さえあれば3駅4駅歩いたりするんだけど、どうにも何も満たされなくて。なんでだろう~と考えていた。
お金も実家時代よりあって、仕事も満足、遊んでくれる人もいる。健康。予定もある。なのに何か満たされない感じがして、気持ち悪くて、何なんだ?と歩きながら考えていた。
多分、前回も書いたけど、創作活動なんだと思った。
子どもの頃、絵画、音楽、書道など色々な習い事をしていた。していた、といっても覚束ない頃からやっていたから、親が習わせたものだけど。
何を求めて習わせていたのかは分からない。多分聞いたことがあるけど、忘れた。この他に塾も通ってたから、きっと頭のいい子に育てるためのメソッドとして芸術に触れさせようとしていたのだと思う。
結果的にそれが普通になって、創作をする側の人になっている。なにかを作る人。なんかやっちゃう人。
だから、絵を描くこと、音楽を聴くこと、鳴らすことは普通で。同年代のキッズたちと比較してそこらへんに絵を描きまくり、歌い、鳴らす子どもだったと思う。自由帳、1日で全部ビッチリ描いて、何度も何度も買ってきてもらっていた。元実家の壁にはびっしり落書きがされていた。我ながら、そこまでやるなら画家になっていただきたいと思う。
隣の家から聞こえてくるピアノを耳を澄ませて聴き入ってたり(ピアノ1mmも弾けないのに)自作ソングを歌ってたり、かなり芸術家志向のキッズだった。と感じる
音楽も絵も同等に好きで嗜んでいたけど、音楽には上手くなるには練習・向上がつきもので、私は練習するのが本当に苦手だった。楽器練習が本当に苦手だった、やらなかった。ほぼ毎回レッスンを、先週の状態で迎えていた。(今思うと親と先生に申し訳ないし、なんで1週間やらないのに覚えているか謎)
だから全然伸びなくて、向いてないなーと思ってやめた。(そらやらないんだから、伸びませんよ)
でも絵は、練習しなくてもよく描けて、周りからも評価されていた。絵は練習とかいらない、楽しいものだった。
SNSで評価されるようなものではなくて、学校とか審議会評価されるもので、毎回、好きなように思ったように描いて、毎回いい賞を貰っていた。ずっと風景の練習をしていたわけでもなく、感情の発露で描いていた。それが評価されていた。嬉しかった。
習字も楷書ではなく、創作といって、モデルはあるものの自分の好きなように書く作品が毎回評価されていた。(楷書もされていたが!)
素直でポジティブな子どもだったから、こういうものが私に向いてるし、求められてるし、やってて楽しいんだな、やりがいあるな、と思っていた。
数年経って、邦楽ロックを好きになり好きなバンドができた。
単純だから好きなバンドのファンアートを描いた。それきっかけでファン友達ができたり、褒めてもらうことが多くなった。楽しかった。SNSには絵が上手い人が沢山いた。
感情の発露とおおまかなイメージで描いていた私には、魅力的なポーズ、考えられた配色、計算された効果、画角、技法を使った絵をみて、描けるようになりたいけど、つまらなそう。と思ってしまった。絵を学ぼうとしなかった。
そして熱はそこに収まらず、私も楽器やりた~い!となった。まぁ昔弦楽器やってたしできるでしょ!となって、ベースを買ってもらった。その後、やっぱりギターも買ってもらった。ずっと聴いてたし、映像でスタイルをみてたから吸収早かったと思う。けど、やっぱり昔と変わらず練習しないから伸びが止まった。スラップとか、複雑なリードとかできなくて、仕舞った。
弾いてみた。もできるレベルではないし、ファンアートも練習しないから上手くならないし、熱中しすぎて学校の成績下がって一旦やめた。
でも細々と落書きの絵は続けていて。そしてやっぱりファンアートを描いている人へのあこがれもあって、ペンタブを購入してデジタルペイントをしっかりしてみたりした。
紙に描いていた時より、些かミスしても元に戻るし、色塗りも楽だけど、ずっと紙に描いてきたから少し不自由になった。
しっかり学ばないから今でも中途半端で笑っちゃう。だからFC企画でファンアート募集されて応募しても壁だったんだなって。それで本当に悔しくてファンアート描くのやめたの思い出しちゃった。書き起こすと自分の意思の弱さが原因なのに。
音楽も聴き専になった。数年前、念願のジャズマスターを購入したものの、自身が下手くそだからクローゼットに眠ってしまっている。ジャズマスターの気持ちを思うといたたまれない。
なんで、机上の勉強はできてきたのに、創作の勉強をしないんだ!!って今思った。
ここまで楽しくやってこれたし、誰に何を言われても描いてきたし、自分の作品大好きなのに、なんでもっと好きになるようにしないんだ!!って書いてて思った。
多分、芸術の技法に関して勉強しなかったのは、技術に頼って自分の感情に嘘をつきたくなかったから、自分からでるものを嘘偽りなく出力したかったからだって気付いた。だれかの真似でもしっかりとなぞれば、できるようになって後々自分から自分色になったものが出力される。それが自分が出したいもだよね。
自分が思い描くものを出力できないから、創作しなくなって記録しなくなって、記憶できないんだ。そうだ。
でもここで書いてるうちに、技術を学んでも、それは自分の感情を加工するわけではないし、むしろエンパワメントしてくれる方法だって気付けたから、これからはもっと素直にきいて、やってみて、自分の中に技術を入れていきたい。そしてもっといいものを出力して循環していきたいな~。
きっと創作がしたい理由は、自分の感情を外に出すことが普通だったから、ずっとしてきたから。そうしないと気が済まないんだと思う。
壁落書きキッズだったし、語っちゃう人を応援してるし、インターネットにつらつら長文流しちゃうし、承認欲求すごくて笑っちゃう。
だからもっと自分の中の自分が健康で健やかで、大好きな音楽とか舞台とかを楽しめるように、毎日の吸収して積み重ねをしていこう。そして出力をしよう。自分を大好きでいられるために。
時間は有限。日々吸収&出力。