物書庵初心週記帖(17号)「二度目の成人式」
先週から今週にかけて、愚庵、連れ合いともに40歳の誕生日を迎えて、いわゆる二度目の成人式となった。それぞれ自分の誕生日には好きなものを飲み食いしながら自宅でお祝いをする事が出来たのは、ささやかながらも幸せな事である。
今思えば無鉄砲に生きてきた20代から、公私ともに荒波に揉まれた30代を過ごす事が出来たのは連れ合いの支えがあってこそだと心から感謝をしている。そんな愚庵ではあるが、不惑の歳と言われる40代に突入し、今後の時間の使い方を整理しようと考えた。
いつ何時においても最も大切なのは家族であり、家族を支えるために仕事に励み、心身を健全に保ち日々を楽しく過ごすために走る。自分が立っている場所と時間からは体験出来ない事を本から学び、自然の恵みを享受する事でこの地球に日本に生を受けた事に感謝しながら、美味しい(豪華ではない)食事と酒を楽しむ。
これからも予想だにしない事態に直面する事があると思うが、自分にとっての優先順位をハッキリとする事でシンプルに生きていきたいと思っている。
社風によるところも大きいかもしれないが、サラリーマン生活をしているとWILL「どのようなキャリアを積みたいか、仕事を通じて何を成し遂げたいか」を求められる機会によくよく巡り合ってきた。高度経済成長期、バブル崩壊、失われた20年(30年?)において、このクニでは経済優先であった。「24時間戦えますか」という風潮が残り続ける中、仕事の自分が人生の大半だと錯覚する事も仕方なかったのであろう。愚庵もその一人であったと自戒の念も込めて自覚している。
そんな中、コロナ禍において経済活動に急ブレーキがかかり、自分の時間、家族との時間が急激に増えている。自身の威厳を保っていた会社での自分だけでは通用しない時間が増えている人が多いのではないだろうか。そんな中で求められているのはBE「どうありたいか」DO「何をするのか」という事だと思う。
家族、会社、地域という自分に関わるコミュニティにおいて自信がどういう存在でありたいのか。今の自分が、家族に、地域に、仕事に対して出来る事に真剣に取り組む事で不安や雑念が消えていくはずである。過去に囚われず、未来に期待も悲観もせずに、今この時を一生懸命に生きる。禅やアドラー心理学で語られている事であるが、未来は日々の積み重ねでしかないという事だと思う。道を歩いていると、家族でランニングしている姿を見かける事が格段に増えてきているが、このような光景はアフターコロナにおいても残って欲しいと願っている。
年齢は一つ一つ重ねてはいくが、心と身体は老けないように1日1日を大切にして40代も楽しんでいきたいと思う。