物書庵初心週記帖(25号)「ポジションを取る事の大切さ」
新型コロナの感染者が予想通り右肩上がりで増えていく中、小池都知事は飲食店に一律での休業要請を出した。各所で既に意見が飛び交っているが、無策ならまだしも、あまりにも愚策。特に個人経営の飲食店からすれば廃業宣告に等しい。4年で任期を終えて卒業出来る都知事と、生活がかかっている飲食店オーナーとの温度差があまりにも違い過ぎる。東京アラートがただのパフォーマンスであった事を自身で証明しているのだから言葉も出ない。愚庵が住む茨城県にも感染者拡大の影響がいつ訪れるか予断を許さない。感染予防対策に取り組みながら地元の飲食店を応援していく、というすぐに出来る事をシンプルに続けながら過ごしていこうと思っている。
国外では米中の対立が激化の一途を辿っている。大統領選挙に向けたパフォーマンスであれ、アジアの一国からの脱却であれ、それぞれ思惑あっての対立構図であるのは言うまでもないが、感染拡大が続く局面で大きな方針も示さないこのクニのトップと比べればよほどマシだと感じてしまう。
難しい状況に置かれた時ほど意見や方針を表明する(いわゆるポジションを取る)事が組織の長たるものの器量だと思う。例えそれが失敗に終わる可能性があったとしても。経済界では、このコロナ禍という苦境において、試行錯誤しながら様々な形でアクションをしてきた企業がある。大規模なマスク生産に踏み切ったアイリスオーヤマ、緊急事態宣言下においても変わらず店舗営業を継続したニトリ、ドライブスルーを活かして食の楽しみを提供し続けたマクドナルドなど。
一方で、政界を見渡してもそんな器量のある人物は一向に見当たらない。現政権での頼みの綱である菅官房長官も尻拭いの答弁に奔走する始末だ。
我がクニ特有のお盆休みが今後の感染者数増減を決める一つのターニングポイントになる可能性は高い。経済を回す事と感染者数抑制のバランスをどう取るのか。待ったなしの状況にある中で、市民の意識だけに頼るのはあまりにも無責任。何かしらのメッセージが発せられる事を最後の望みとしてみたい。