物書庵初心週記帖(6号)「月見草、散る…」
新型コロナウイルスの勢いは留まることを知らず、ついにクルーズ船が一隻丸ごと感染の舞台となってしまった。さぞ楽しみにしていたであろうクルーズ旅行中にこのような事になってしまい、乗客の方々の心身の疲労は想像だにつかない。また都内でのタクシー運転手の感染が報じられたところから、国内初の死者発生、和歌山での医療機関内での感染と立て続けに発生している。「罹患率、致死率はインフルエンザ以下」「まだ拡散フェーズではない」という専門機関(?)からの発信が出ているが果たして本当にそうなのか?市民感覚からいえば、もはや誰が保菌者かわからない、言い換えれば何処にいても感染する恐怖を感じざるを得ないという状況ではないだろうか。もう半年に迫っているオリンピック、そして日本経済にとってのリスク要因である事は間違い無い。今こそまさにワンチームとなって賢明、的確な対応を望みたい。
建国記念の日の朝、野村克也さん逝去という突然の訃報が飛び込んできた。奥様に先立たれてからも、気丈に解説されている姿を見て安心していましたが…。名捕手、名選手、名将という言葉だけでは言い表す事が出来ない根っからの野球人で、同時代のスーパースターである王、長嶋と対比して自身の事を月見草と表現したのはあまりにも有名な話。報道される一面だけだと、地味な風貌にボヤキ節、奥様であるサッチーの自由奔放な言動と尻に敷かれているノムさん…という印象が強いが、こと野球人としてはとんでもないパイオニアである。現代野球における選手兼監督としての活躍、配球を予想した解説、ID野球と言われたデータを活用した采配術、野村再生工場と称された育成力、社会人野球シダックスの監督就任…などキリがない。
数々の名言を残しているが「自分の代打に出た若手選手が凡退した時に心の中で喜んでいた自分に気が付き、チームの勝利を一番に思えない選手は引退すべきであると決意した」と話されていたのが印象に残っている。心から選手を大事にされていたので、時に厳しい指導があったとしても選手からの信頼が厚い監督であった。とかく、個の時代、データ社会などと言われているが、現代のビジネス人にとっても野村克也さんの思想、価値観から学べる部分は多いのではないだろうか。
最後に愚庵の心に残っている言葉を紹介して哀悼の意を表します。
「長嶋や王は太陽の下で咲くひまわり。俺はひっそりと咲く月見草」
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」
「組織はリーダーの力量以上には伸びない」
「信は万物の基を成す」
「人間的成長なくして技術的進歩なし」
「失敗と書いて『せいちょう』と読む」
「財を残すは下。仕事を残すは中。人を残すは上」
愚庵が信じている「言葉は後世に残る」という事を体現されている偉大な方でした。
心からご冥福をお祈りいたします。天国でも野球界への提言を続けながら、野村沙知代さんと穏やかに過ごされて下さい。合掌。