物書庵初心週記帖(43号)「山は誰のものでもなく、山自身を尊重する」
栃木県足利市の両崖山での山火事は発生から9日目の3月1日にようやく鎮圧が宣言された。登山やキャンプなど、アウトドアアクティビティを生きがいとしている一人として、ただただ見守る事しか出来ない状況はとても胸が痛かった。
登山者の火の不始末が出火原因ではという憶測が飛んでいるが、十中八九煙草の不始末ではないだろうか。原因はともあれ、故意の出火ではないとしてもやるせない気持ちでしかない。信仰の対象としての山、自然の恵みをもたらしてきた山、時に猛威を振るってきた山。どれも山がヒトに見せてきた側面ではある。が、豊かな自然に恵まれているこのクニで、ヒトは山に支えられて生きながらえてきたはすである。今一度「山は誰のものでもなく、山自身を尊重する」という事を今回の山火事から学ぶべきだろう。
両崖山での山火事は人災の色が濃いが、地球上で起きている山火事の多くは温暖化が要因である事は忘れてはいけない。救出されるコアラの映像がショッキングだった2019年末のオーストラリアでの大規模な山火事が思い出される。地球温暖化こそ人類による地球への暴挙の象徴だろう。
NHKのBSで放送された「薄氷のシベリア 温暖化への警告」はなかなかにショッキングで警鐘を鳴らす内容であった。
温暖化によって溶け出した永久凍土から数万年前に発生したと思われる未知のウィルスが発見され、感染者が発生した集落は封鎖されたニュースは記憶に新しい。「永久凍土で燻っている時限爆弾」という表現は深刻ながらも言い得て妙であった。降雨を伴わない落雷、森林火災の増加と森林の焼失が急激に増えている。小川は干上がりツンドラがサバンナのようになりつつある。生態系の変化によりホッキョクグマが餌を求めて工業都市まで進出しているそうだ。温暖化の深刻度はシベリアの氷河地帯に顕著に表れる、ロシア北極圏の気候変動が世界にどう影響を与えるかは今後も注視が必要になる、という指摘は素直に受け入れていきたい。
政権発足直後に脱炭素への力強い宣言に期待を感じた菅政権も、ご多分に漏れず政治とカネにまつわる問題が後を引かず、足元の火消しで精一杯なのがさもしい。
しかし、政治家や官僚諸君は疑惑の追求が真実に迫ると、入院したうえで体調不良を理由に(あくまでも非を認めずに)ポストを退くのは何なのだろうか?後の天下り先を確実にするための幕引きとしか思えない。
SNS全盛の今、一斉に叩く風潮に異議を唱える声も聞こえてくるが、今回の件でいえば、いやいや、そもそも法律違反の事案でしょうと。叩かなければ弱腰やら忖度やらと批判するのだろう。このクニで真のジャーナリズムが根付くにはまだ時間を要するのかもしれない。