物書庵初心週記帖(7号)「いだてんとかっぱと噺家と」

雪から雨へと変わり降り積もった雪が溶け出す頃とされる二十四節気でいう「雨水」を過ぎたが、暖冬続きでとうとう都内では雪が積もる事なく春を迎える事になりそうだ。ここまで暖かい日が続くと、いよいよ手放しで喜んでいられない気持ちになってくる。

録り貯めしていた大河ドラマいだてんを昨年末から見始めたが、すっかりのめりこんでしまい、先日最終回まで見終えた。

視聴率の低迷、出演者の不祥事など、バッドニュースばかりが取り沙汰されていたが、いやいや面白い!一緒に見ていた連れ合いも「今までの大河ドラマでNo.1かな」と楽しんでくれたようだ。メディアの報道を鵜呑みにしていたのが我ながら恥ずかしい。

明治〜大正〜昭和という激動の時代に、オリンピックに魅了され戦い抜いた人の生き様が軽快なリズムとユーモアを込めて描かれている。古典落語の名作と情景を合わせているのも粋である。コンプライアンス重視の現代、不祥事で頭を下げて、活動を自粛する芸人が多い中、当時の芸人の破天荒さたるや。芸が達者であれば芸人。むしろ現代に真の「芸人」はどれほどいるのか…。

それはさておき、いだてんの舞台は、軍国主義の台頭、国際舞台からの孤立、戦争への突入といった市民生活だけでなく生命までもが政治に翻弄された時代。決して明るくなかった時代を生き抜く若者、芸を磨いて笑いを届ける噺家。負の側面も描写しながらも、市民、アスリートの強さを対比して描く事で希望や勇気を感じる事が出来た。女性アスリートの苦難、苦境、強さを誇張する事なくリスペクトを感じる描き方がされていた事は非常に好感を感じた。一方で、フィクションの人物を通じて当時の若者が置かれていた境遇を描こうとしていたのだと思うが、実在の人物の個性が強いが故に、ストーリーの不自然さを感じてしまう場面があったのは唯一消化不良であった。

テーマとなったオリンピック。国力の誇示、平和の祭典、いずれにせよ日本の元号でいうところの昭和初期を生き抜いた各国市民がオリンピックから感じたものは、現代とは似て非なる事は容易く想像が出来る。が個人個人の感情はとても想像がつかない。商業化に舵を切って以降のオリンピックは、各競技の世界大会を一度に実施する世界運動会。まさに嘉納治五郎さん、田畑政次さんが思い描いていた世界観ではあるが、多額の税金が投入されるオリンピックが本当にそれだけでいいのか?時代背景が全く異なる現代において、自国開催のタイミングでオリンピックの意義を再考するにはちと時間が足りなすぎるか…。

所々で描かれていた戦争に纏わる出来事。沖縄、広島、長崎の歴史。日本がアジア各国で行った行為。今日では日常生活で思い返す機会も少ないが、どれも目を背けても忘れてもいけない事。いかに政治が市民生活に影響を与えていたのか、現代の政治への無関心がいかに平和ボケなのかは心に留めなければならないと痛感する。

いわゆるTHE大河ドラマとは毛色が全く違ったので、従前からの大河ファンには受け入れがたいところがあったのかもしれないが、「いだてんロス」という感情を抱くにふさわしい名作であった。愚庵と同じくマラソンを趣味にしている方や陸上ファンの方には、先人の歴史を知る機会として是非一度は見て欲しい。

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