『一匹のモンタージュ』リクリエーション|メンバーインタビュー(鈴木健太)
2023年10月13日(金)に開幕を迎え、23日(月)までの期間こまばアゴラ劇場にて上演する『一匹のモンタージュ』リクリエーション。
クリエーションメンバーへのインタビュー記事を連載していきます。
2022年5月に初演された『一匹のモンタージュ』からどのような変化が訪れているのか、それぞれが「作」としてどのように『一匹のモンタージュ』をつくっているのか。その片鱗をインタビューを通して紐解きます。
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今野:じゃあ、まず最初になんですが、健太君はバストリオを何回も見たことあったと思うんですけど、がっつり参加したのは去年が初めてで。 見てる側でも参加しての印象でもどっちでもいいんですけど、バストリオの印象を教えてください。
鈴木:すごく羨ましかったっていうのが最初にあって。なんでかと言うと、作り方を知ってる段階でそう思ってたのかわからないけども、いわゆる演出家がいて、作家がいて、台本があって、演者がそれを実現させるために舞台上で動いてっていう、分業制みたいなのとは違う形で舞台が成立してしまってるっていう印象があった。もちろん、僕が思ってただけで、たくさん舞台を観ていれば既に他にもそういうやり方をしてる団体もあったんだと思うんだけど。それが衝撃的だった。この舞台にいる人たちどうやら、自分のこと、自分が作れるもの、自分が言える範囲のことを舞台にあげている、それらはいろんな方向にめちゃめちゃに延びているはずなのに、まとまって見た時にちゃんと1つの重さを持って作品として届けられているように思って、なんでこれが成立するんだろうって不思議でしょうがなかった。で、それがドキュメンタリーの手法を使って作品を作ってるっていうことを聞いた時に、しっくりきたし面白いなと思って。バストリオを最初に舞台で見たのが2015年のSTスポットでやっていた『ニュークリアウォーター』で……。
今野:そうだよね、めっちゃおぼえてんだよね。STスポットで健太君と坂藤が帰っていく姿
鈴木:ああそうなんだ。その前に坂藤から借りて見てたのが『海ではない陸ではない』で、バストリオの作品を見た一番最初の経験としてはそのDVDの映像。ミュージシャンの滝沢朋恵さんが出てた。あれを見てて、音楽がこういう形で挿入できるのかっていうことも、まあ、あんまりないセンスだなっていうか、僕がそれまで観ていた演劇にはなかった。しかも演者と等しく滝沢さん自身もエピソードを喋ったりとかする。そして、なんて言うんだろうな、本当、境目がないし、滝沢さんが、例えば他の人より苦手なことをやらされてるみたいな感覚が一切なかった。僕にはそう映って、それがすごい気持ちよかったな。逆も然りで、演者の方も音を出すっていう意識がすごく自然にあるというか、音楽家のように言葉を扱ったり体を扱ったり、床を踏むとか壁にぶつかるだとか、そういう音も含めて全部同じレベルで扱ってるって感じ。これはどうやってやってんだろうなって、ずっと憧れてた感じですね。僕にとって一番影響受けた団体はバストリオって前も言ったと思うけど、
今野:そうなんだ。
鈴木:そうそう。団体っていうくくりで言えば、間違いなくバストリオが一番影響受けたし、ひとつの理想だった。で、参加してみてすごくよくわかった。どういう風に作ってるのか。これ、演出だけじゃなくて演者も相当頑張ってるなって思ったし(笑)。
今野:うん、もちろんもちろん。
鈴木:まず観てすぐは構成や演出がすごいなって思ったんだけど、それももちろんありつつ、みんなすげえなって思うんです、参加してみて。それはすごい思ってます、現在進行形で。
今野:はい、なるほど。まあ、すごいっすよ、ほんとにそれはいつも思う。
鈴木:うん、すごい。ある意味、他の現場より演者が求められてることのレベルが高いと思う。
今野:ああそれはそうだと思う。
鈴木:僕からしても、もっと演出されたいって時もあるし、突っ込んでほしいとか。今もなるべく聞くようにしてるけど。
今野:うんうん。なんか、待っちゃうんだよね。今ちょっと出しにくいだけなんじゃないかなとか、待っていた方がいい音が鳴るかも、みたいなのがめっちゃあって。もっと言えてた時あったと思うんだけど、なんか、今自分から声をかけると、もう……自分が思ってたような音が鳴んないみたいな時の方が多くって。言わないといけないこととかこのことは共有できるみたいな時は言おうとするけど。
鈴木:たまに中條くんとかには、ここはこういう言い方のほうがよくない?とか今野さんが言ってるの見てて。そのレベルで、まあ演技指導みたいなものとかは基本少ないですよね。橋本さんとかにも割と言ってる気がしてて、ここもうちょい、みたいな。
今野:うん、まあ、大分言わなくなったけど
鈴木:そっか。でも、関係性もありますよね。
今野:あとね、付き合いが増えてきて、できる幅を知ってしまってるみたいなのもあるのかも。
鈴木:ああ、なるほど。
今野:それは多分みんなにある気がする。一緒にやってる人だとクリエイションの回数重ねるとやっぱ出ちゃう。音楽家の松本一哉さんは最初参加した時、喋れなかったけど、喋った方がいいんじゃないですか、だってこれだけ稽古場で喋ってんだからみたいなことを話して。松本さんは、いや、でも恥ずかしいんだよなみたいな。でも、喋れそうっすけどねって提案していくのとかも多分関係性がないとできない。1回目は言わなかったし、言う気もあんまなかった。
鈴木:いや、すげえ言ってること分かって。そういう演出するかしないかって別に、なんか気後れして控えちゃう、っていうんじゃくて、この人黙ってても時がくればやってくれるっしょっていう。
今野:そうそう、それはめっちゃある。信頼してる。あと、なんか思ってもないことやってくれんじゃないかみたいなことをめっちゃ考えて、自分が思ってもない何かしそうだなみたいな関係あればあるほど、わかんない部分も増えてくっていうか、もっとこの人こんなことできちゃうんじゃないかなみたいな。わかっていくけど、わかっていかない量も増えていくみたいなことで、出てくる言葉はあるかも
鈴木:ま、その感じはひしひしと伝わっておりまして(笑)。だから、初演からずっと、僕はどこまでやればいいんだろうなみたいなことを考えてますね。
今野:やればやるほど、話すことはある気がしてて…、例えば、今『一匹のモンタージュ』リクリエーションのオープニングに入ってる黒木さんと健太君の発表には結構俺は食らってて。これが「良い発表」って思ってるから。昨日稽古の時に黒木が最初の言葉が出た時に、いや、もっとこの人の持ってるのすごいから見たいっていう感じで、言うことが出てくるみたいな気がするんだよ。ダメっていうよりは、もっとなんかあのストローめっちゃ見えてたじゃん、あの感じで「知覚」って曲のこと聞いてる黒木さんの声があったから、この健太君の声出てたなとか
鈴木:うん、そうそう。そういえば昨日あのシーンの稽古した時に、あ、やっぱバストリオってレベル高いことやってるなって思ったんですよ。レベル高いこと求めてるなって。これは別に批判でもないんだけど、その、黒木さんっていう、基本的に彼女は絵を描く人だと思うんだけど、本来パフォーマーじゃない人に、ある程度こう言えば意味が通るよっていうテキストをあらかじめ渡してるわけでもなく、本人が一度経験したことだっていうところに信を置いてというか、託して……そのことに賭けて、毎回こう、ある種即興?その時生み出す気持ちのようにパフォームしてください、っていうのは普通にレベル高いことだと思って。もちろん自分自身の経験から生まれたテキストだから、ある意味でやり易いことだけど、でもその一方で毎回、全然状況が違うから。自分の中の感覚も周囲の環境も変わり続けるので。その中で毎回ある程度の強度を求めるっていうことは、それなりに大変なことを要求してるなって思っていて。役者じゃなくても出来る作業のようで、役者だったとしても大変な作業ですよね。そのあたりはなんかやっぱ特殊な現場だなと思ってる。
今野:あー、でもそこはもう絶対譲れないかも。うん、かけてるっていうか。それが難しいっていうよりは、でも、そんぐらいのことじゃん、みたいなことでもある。超最短な何かが、超遠いところとすごい似てるみたいな。掴んでるから、だからめっちゃ遠いし、みたいな。ちゃんとやりたいって思っちゃう。その人が出したものが良ければ良いほど、最初に見たあの時の2人が好きすぎて残っちゃってんだよね
鈴木:なるほど。その体験を繰り返すための、なんて言うんだろうな……ひとつの方法というか、僕、それ、音楽で言ったら曲みたいなことだと思うんだけど。届け先にある感覚を発生させる装置というか……その感覚をいつでも再生可能にする為にみんな録音して音源にしたりすると思うんだけど。なんかそれがどんどん自分たちの中で曖昧になっていっちゃう。その瞬間はできたけど、時間が経って本番までの時間まで鮮度を保てるかわからないっていうところで、どうやったら繰り返せるのか、繰り返す価値があるのだろうかっていうのは、今回のリクリエーションに限らず、すべての演劇とか戯曲とかのテーマだと思う。
今野:そうだと思う。目指してるところは確かにハードル高い。じゃあ『一匹のモンタージュ』っていう作品について、どう考えてますか?
鈴木:去年の初演も宣伝美術もやってて、黒木さんと今野さんと僕でどんなビジュアルにするかっていう話をした時に、ウクライナの国旗のカラー、青と黄色を基調にしたいって今野さんが言ったんですよ。
それを聞いた時に、あ、じゃあ戦争についての作品になるんだろうな、って最初に思った。で、そのことで自分の中にひとつ重りみたいなものが置かれたような感覚があって。あ、これ今後はこの引力から避けられないし、これを追うんだなっていう気持ちで作り出したんです。その提案をデザイナーとして承知したし。一方で、発表っていうものをみんなで作っていく、自分の感じたこととか、身近な経験とか記録を元にシーンを作っていくことが、ウクライナのカラーリングをビジュアルに据えた作品と釣り合うのだろうか。っていうことが、自分が『一匹のモンタージュ』に参加する上での課題、試みだった。自分たちの生活がそんな引っ張り合いを起こせるようなものなのか、そこまでリーチできるかっていうこと。で、それが出来ていたのかどうかは、正直自信ないなって感覚で初演が終わった。今、1年経ってリクリエーションだと、さらにまた距離感変わってて。でも、今度こそ自分はできる限りのことをして、いろんな部分でそっちの引力とかに手が届かせたいというのが今回のモチベーションの1つです。だから、僕にとって『一匹のモンタージュ』は、おっきな出来事と自分達の生活みたいなものの間に、どうやって引っぱり合いが起こせるかっていう作品だと思ってます。
今野:はい、ありがとうございます
鈴木:あと、初演のときは中條くんの存在が希望だと思ってて。
今野:そうなんだ
鈴木:この作品における1つのアイコンだったと思ってる。なんか、 彼の佇まいとか、コロナっていう背景のなかで料理を作るっていうアクションや、ウクライナっていう言葉が出てきたりする作品の中で、彼が料理を作って出すっていうことは、非常に、希望みたいなものだったと思ってて。それが僕の中で大きかったんだけど、なんかね、1年経ってすごい雰囲気変わってて、中條くん。
今野:ああ、そうか、みんな変わってるけどね。でもそこに注目してたらね。なんか、たくましくなって…
鈴木:そうそう、たくましくなったなと思って。なんか去年と違う太さがあるなっていう感じ。去年は、細い線がどっこい生きてるみたいな印象だったけど、それが今作では「全然いけるっすよ」みたいな感じになるのかもしれないなって思ってて。そのことが作品にとって良いのか悪いのかはわからないけど、僕は楽しみ。
今野:あー、わかります。そう、それは起きてるね、もうすでに
鈴木:あとは、やっぱスカンクさんが入ってきたのは結構でかいな。また別の軸ですごいレンジ広がってると。あとは、今回作品に必要な空間のサイズに近づいてきていると思ってて。
今野:そうだね、実際現場入ってから見つけるもんはめっちゃ多いから。
鈴木:うん。例えば、遠い場所のフリして近い壁を指さす、みたいなことはしなくていいんだろうなって。それは楽しみ。
今野:確かにそうだね。じゃあ、今回と前回も含めて黒木さんとチラシを作るっていう行為がどういうことだったのかな、みたいなのがちょっと聞けたら
鈴木:前回も今回も結局は同じ作り方になったんですけど。えっと、どういう作り方かって言うと、クロちゃんが書いた絵の素材をもらって僕が配置する、で配置の方法はお任せしますっていうやり方で。デザインする人と絵を描く人の領域を侵しあいながら作りました。いわゆる図版もらって配置して、そこに合う文字をのっけるっていうよりは、図版の置き方もばらし方も自由みたいなことなんで、逆にそれ大変なんだけどっていう(笑)けど、それは今野さんが求めてる感じするし。
今野:ああ、普段?そうかもね、侵せる領域は増やした方が可能性が広がるからっていうとこは確かにあるのかもね。
鈴木:絵をここまでバラしてもOKなことはあまりないので。あと、この時に僕は今回自分はこんなものにしたい、っていう意図を勝手に入れていると思う。あるいは、今野さんのリアクションを見て、あ、今野さん多分こうしたいんだろうなっていうイメージを受け取ってる。こう、チラシの作業が公演のイメージの叩き台になる感覚。それは他の演劇とかのチラシでも同じことが起きます。 演劇のチラシってちょっと変っていうか、まあ、作品が出来上がってない段階で作ることになるから。台本が書き上がってたとしても、実演されてないものに視覚的な形状を与えて人に伝えようとするわけで、え、順番逆じゃんってことをやってて。だから、いつもチラシとか作るときは、広報になりつつアーカイブに相応しいものになるといいなと思って作ります。公演が終わった後に、このビジュアル全然違かったなってなるのが嫌で。なんか寂しいじゃないですか。全然宣伝と違ったじゃんって。だから両方達成できればいいなと。今回のビジュアルで言ったら、少し図版の重力の関係とかがところどころぐちゃっとしてたり、ぱっと見の色調は明るくポジティブなものに見えるんだけど、細かく要素を見ていくと色んなぶつかり方をさせてグロテスクだったり汚い部分を作ろうとしてて。そういう公演になればいいなって思います。
今野:うん、めっちゃわかります。では『一匹のモンタージュ』を見に来てくれる人たちに向けてなにか一言。
鈴木:これ一番むずかしいな、まあ観てる間、ご安全にとしか言えないけど……。たぶん、僕を始めいろんな方の、そんなの聞かされてもしょうがねえよっていう話がいっぱいあると思うんです。個人的なエピソードだったり、本当に些細な発見だったり。でも、少なくとも僕はだけど、半分舞台にのっける以上は、自分だけのエピソードにしないようにしようと……その、僕が何々を見つけた、僕が何々をしたっていう時の、僕という主語が、半分は、観ている人にもなればいいなっていう風に思ってて。そういう風に届いたらいいし、こうして今わざわざ言わなくてもそう感じられるような時間にできればいいなと思ってて。見た人自身が自分の経験とか、自分自身を代入していけるような、そういうものになったらいいなと思ってます。
今野:うん、本当にまさに同じことを考えて作ってるって思います。俺も。自分の主語が本当に全員に当てはまっちゃう可能性って、全然ここにいる限りあるなってことにはかけたいみたいな。
鈴木:そうならないと、観客にお金をもらう自信がないんですよ、僕は。
今野:いや、わかります。ていうか話す必要がないんだよね。そんなこといちいち誰かの前でわざわざ言わなくても本当はいい。
鈴木:そう、僕すごい信頼してる人に言われたんだけど、例えば僕が身内が死んだよっていう話を舞台の上でするとするじゃないですか。でも、なんで鈴木くんだけがそれを舞台の上で言っていいの?身内が死んだなんて人、この世にいっぱいいるよ、っていうことをよく考えて作んないとダメだよって言われたことがあって。つまり、生きてて悲しいことなんていうのは誰にでもあって、でも普通は生きてる間、誰もそんなことは舞台にのっけたりしないで生きていくんです。にも関わらず、どうして自分たちの時間を舞台にのっけたりするのか。のっけるからには、その時にやっぱ価値が生まれていってほしい。
今野:うんうん、そうじゃなきゃやんないし
鈴木:うん。だから、自分の楽しい経験、悲しい経験を共有したいって欲だけだけなら、やんなくていいと思うの。言わなくていい。だけど、共有した時になんかいいことが起きる気がするなら、表現した方がいい。
今野:そう、俺は本当にそのことを結構強く持ってやってきてたけど。それでも、言わなくてもいいじゃんみたいなことのどうしようもなさみたいなことがあるじゃん、人間の。なんでいちいちこれ共有したがってんの、みたいな、こんなこと別にわざわざ人に言う必要なくない?みたいなことも起きちゃうみたいなのもさ、割と愛せるようになってきて。前はちゃんとないなら言うなよってめっちゃ思ってた。価値とか関係なく自分から出てきたこと扱ってるのになんでそうなんないのって舞台作ってても思ってたし、そのことがわかってないのにこの人なんでやるのって思ってたけど。そんな感じも抜けてきてて…どうしても人に甘えるように言っちゃう人とか、聞いてもらいたいと思って言っちゃう人の、その人間のどうしようもなさも含めて 舞台って残酷に上がっちゃう場所だなって。そのことだけに別に寄り添うわけじゃなく、そういうことも起きるかもしれない、みたいなことは舞台やなと思うから。なんでかってお客さんが毎回違うから、やればやるほどライブって起きてるから、お客さんも含めて舞台が上がってんなって感じる。何を甘えてんすか、みたいな時もあるし、何そんなヒリヒリ見てんのこの人達、って時もあるし。ひっくるめて全肯定したいっすよね。できれば、って思ってはいる。めちゃくちゃ難しいけど。でも、その準備が自分にないとダメだって、ベクトルはやっぱ半分半分になってほしいっていうか。うん、ちゃんとこの自分の主語が相手にもこっちにも起きる可能性みたいなのは見つけたいです。
鈴木:舞台って1時間とかある程度の長さをもらって発表できるから、どっちのベクトルにも拾えたらいいですよね。今出た例で言えばちょっと甘えちゃうみたいな人の感じとか、逆に冷めてるみたいな感じとか、いろんなのベクトルの時間が含められるものになってほしい。優しさも冷たさも。
今野:そうなんだよね。前の方が統一感がすごいあったんだけど、どんどん統一感なくなってきて、そういうとこでいろんなお客さん来てほしいですよね。
鈴木:うん、いろんな人に来てほしいです。よろしくお願いします。
(編集:坂藤加菜)
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