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いじめの話

・前置き いじめについて

「いじめは悪い事だと思いますか?」
…そう聞かれたらきっと9割以上の人は「悪い事」と答えられるだろう

いじめとは人が人に対して身体的や精神的に危害を加えたり苦痛を与えて傷をつける事を指す

大多数の人はいじめが悪い事だと分かっているのにこの世界からいじめは無くならない

今回はいじめについて少し考えたいという内容だ

そして予め書かせていただくが、暗い描写が多いし恐らく長文になるであろう
読んでて嫌な気持ちになったらその段階でブラウザバックをお願いしたい

では話を進めよう

・今回この内容で書こうと思った理由

まず今回こういった事を書こうと思った経緯を少しお話ししたい

少し前にたまたま仕事場で見た光景の事である
直接一緒に仕事をしたり関わる事が無い他職の人達がどうやら揉めているみたいで、恐らく仕事をしていて上手く動けなかったのかミスをしてしまったであろう部下とその上司のやりとりである

「お前なに考えてんだ、このカスが!どういう考えで仕事したらこんな事になんだよ!おい!聞いてんのか!あぁ!?」

「…すみませんでした…!」

「謝りゃいいってもんじゃねぇだろ!給料泥棒のクズが!!ミジンコみてぇな脳みそしか頭に入ってねぇんじゃねぇの!?やる気無いなら帰れよ!てか幼稚園とかから人生やり直せ!ゴミ!」

「………」

上記の様なやり取りをずっと続けていた
怒られている方は今にも泣き出しそうである
じーっと見続けているのも良くないし、声をかけて少しでも場を諫めようかとも迷ったが、全く関係のない人間が首を突っ込むのも良くないと思いその場を後にしてしまった

もしもこの様な状況を見た時にあなたならどう思うだろうか

厳しい上司が指導と注意をしている?
それともパワハラの域?

私は見ていてパワハラだと感じていた
セクハラやマタハラ、モラハラなどハラスメントとつく単語の種類が沢山増えてそれが至る所で使われる世の中になってきたが、その中でもパワハラというものはいじめに分類されるものだと私は思う

組織の中で上の立場と下の立場の人がいた時に発生する注意や指導は「叱る」べきであり「怒る」べきではないと私は考えている
言葉で諭したり行動の身を改めさせるところに意味があり、ただただ強い言葉を使い感情をぶつけてしまうのは人を傷つけてしまう事に繋がるであろう

その光景を偶然見てしまい色々と考えてしまった事、それがこの内容で自分の思う様に書きたいと思った理由である

・私の実体験

ここで過去に遡り私の実体験を正直に書いていこうと思う

今でこそ周りの人達から前向きで明るいと思ってもらえたりする事の多い私だが、これは後天的に自分自身で作ってきた人格である

私は元いじめられっ子だ
小学3年生から中学2年生まで、義務教育の9年間の内で半分以上の6年間はずっといじめを受け続けてきた

この事自体、妻と一部の仲良い友人達しか知らない事ではあるが最初に話す時にはあまり信じてもらえない

私は幼少の頃、かなりの内気で人と話すのも苦手な「典型的おとなしい子供」であった
幸いな事に仲良くしてくれる友達は少数でもいた為、孤独になる事こそは無かった
でも3年生の時に気の強いクラスメイトに目をつけられてからは毎日殴られ蹴られ叩かれ嘲笑われる毎日
何をされても言い返せないやり返せないただされるがままの私は良いサンドバッグだったであろう
涙を出す事もあったが子供の頃のそれは「コイツ泣きやがった!」という新たな嘲笑のネタにされるだけであった

私の子供の頃は保健室登校なんて文化は無く、学校を休むか登校していじめられるかの2択しか無かった
性格的な問題もあり親や教師にも相談なんて出来なかった
と言うより、私はひとりっ子なのだが本当に両親に優しく温かく育ててもらってきていた為、いじめを受けているなんて言ったら親を悲しませてしまうと思い、口が裂けてもそんな事は言えなかった

何度も学校なんて休みたいと思っていたけど理由も無く休む事は出来ないし、頭のどこかで永遠に続く事ではないという考えもあった
この学年が終わって進級すれば…
クラスさえ変われば…
いつかはこんな思いをしなくなると毎日信じて学校に通い続けていた
でも自分の性格や行動が何も変わらない以上、環境が変わったとしても似た様なクラスメイトに目をつけられていじめられるという展開は変わらなかった

5年生の時に一度勇気を出して両親や教師に相談をしてみた
「〇〇くんに毎日パンチされたりキックされていじめられてる」
親は心配して教師と連絡を取り合ってくれた
そして教師は該当クラスメイトに注意をした
「アイツと遊んでるだけ!ふざけてるだけでいじめてなんてないです!」
相手の言葉を教師はそのまま受け止めてそれ以上の注意や指導は何もされなかった
次の日から待ってたのはエスカレートする暴力
「お前、なにチクってんだよ!コラ!」
これは今まで通りに耐え続けるしかないんだな、子供ながらにそう思った

「どうすればいじめられなくなるんだろう?」

6年生の時から真面目にずっと考えていた事だ
中学に入ったら自分を変えよう、人を怖がらない様にしよう
中学校に入れば自分の事を知ってる人が少なくなる
自分をリセットして、明るくなって、強くなって、もういじめなんて受けない自分になろう
そう考えていた

そして中学入学
明るく元気に振る舞いすぐに友達も出来た
最初の頃は「これが正しかったんだ」と思っていたし、毎日楽しく登校も出来ていた
でも長くは続かなかった

移動教室の度に隣のクラスの女子がいじめられている
毎日毎日いじめられているのが目に入った
生まれ持った髪質で天然パーマだったのを何人ものクラスメイトがからかって弄って手で引っ張っては嘲笑っていた
「やーい!チリチリ!海老チリ!チリボンバー!ブスでチリチリとか早く整形した方が良いよ!」
…女子生徒に向けられているそれは弄りではなく完全にいじめであった

小学生の頃の自分を思い出す様で、見ているだけで関係ないのに涙が出てきそうで耐えられなくなってしまった
「お前ら寄ってたかってやめろよ!嫌がってんじゃん!女子1人にこんな事して情けないと思わねぇのかよ!」…気が付いたらこんな事を言っていたと思われる
キレるという言葉があるとすれば私の人生で1番最初にキレた出来事であろう

ただ数人でいじめていたところに私1人がそんな事を言ったところでいじめをする人達の心なんて変わるわけでもなく
次の日からは隣のクラスメイト数人が私をいじめる様になった
天然パーマの子がいじめられる事が無くなったのは成果だったけど、ガワだけを変えてみた自分が多人数のいじめになんて勝てるわけが無かった

小学生の頃は特定のクラスメイトだけだったのが今度は隣のクラスの生徒で複数人である
これはしんどい
小学生の頃よりも強い暴力
殴られるのも蹴られるのも叩かれるのも当たり前、それだけでなく何度も首を絞められたり髪の毛を引っ張られた
ブサイクだから化粧をするとチョークで顔を塗られては汚い顔だからとトイレの便器で顔を洗われたりもした
見張りを何人もつけられて18禁の成人用雑誌を万引きする様に指図される事もあった、出来ないからそれを理由にまた暴力をふるわれる
2年生に進級しても仲良しグループとして出来上がったままだったので同じ人達からのいじめは止まらなかった

小学生の頃より辛いけど今まで耐えられたならこれも耐えられる
高校受験もあるから絶対にその内こんな事は終わる
…そう信じてずっと毎日過ごしていた

「ガワだけ変わったんじゃ何も変わらない、自分の事も人の事も守れるくらい本当に強くならないといじめなんか終わらない」

メンタルもフィジカルももっともっと強くなろうと中学3年の時には決意していた
受験もありいじめもその頃には終わっていた

高校に入る頃にはもう今の自分に近い人格形成が出来ていた
いじめられる事も無く高校は卒業出来た

上記の全てが私の実体験の全てだ

・加害者と被害者の心と記憶

過去の事を生々しく正直に書いたがこれはきっと私が被害者だからだろう
往々にして何か嫌な事があった時にそれをした側の人は忘れがちになるが、嫌な思いを実際にした方の人はなかなか忘れられないものだ

30年を超える人生経験をしていても小中学でのいじめの全てを私は忘れる事が出来ない
されて嫌だった事の全てを私は覚えている
○組の時の〇〇くんなど誰にされたかも全て覚えている

これは大人になり強くなったから仕返しや復讐をしたいからではない
されて嫌だった事、受けた傷の全てを頭と心が記憶してしまっているからだ
忘れたくても忘れられないのである

大人になり今の時代になり
SNSなどを見ていると同級生の近況というものが目に入る機会は多い
そして自分をいじめていた人達が家庭を持ち幸せそうに暮らしているのを知る
…なんと複雑な気持ちになる事だろう

子供にきっと「いじめはいけない」って教育したりしているのだろうか
自分がしていたのに?
これ以上に滑稽な感情もなかなか無い

でもいじめを受けた人というのはきっとみんなそうなのだ
記憶にずっと残ってしまうのだ
新品の紙があり最初は折り目もシワも付いていない、それでも手で丸めてクシャクシャにすると沢山の折り目とシワがつく
そしてそれをまた真っ直ぐ伸ばしても折り目とシワが消えないままなのに似ていると思う

私が幸せだったのは「今のいじめ」ではなく「昔のいじめ」だった事と今現在の自分自身が毎日幸せに楽しく人生を生きられている事であろう

今のいじめというのはとてもタチが悪い
よくニュースでいじめが理由で自殺する子供の事を報じていたりするが、スマホの普及や時代が変わった事で昔よりも陰湿ないじめの種類になっているのだ
昔のいじめが殴ったり蹴ったりのアナログないじめだとしたら今のいじめは精神面を大きく傷つけるデジタルないじめが多い様に見受けられる
今の時代のいじめをもしも受けていたら自分も毎日学校に通い続けたりする事は出来ないんじゃないかと思う

高校以降の私は順調に自己実現を出来ていると自負している
ナチュラルボーンポジティブではなくとも、毎日明るく元気に前向きに生きられていて
素敵な奥さんと結婚する事が出来ていて
面白い友達がいて
色んな仕事を経験して沢山の知識を得て資格も取得してきて
脱サラしてからは自営業で地に足をつけて生活をしている
過去が過去でも現在と未来は変えられると思って生きてきたし実際に体現出来たのではないだろうか

・あとがき これから出来る事

現在にまた話を戻そう
最初に触れた様にこの世の中では子供だけでなく大人にもいじめはある
舞台が学校から仕事先やご近所付き合いに代わるだけでいじめは無くならない
大人がいじめをするのだから子供がいじめをやめられるわけも無いのだ

記事の最初の方で触れたパワハラだが、仕事場で見かける限りは言われていた方の職員は変わらず出勤を続けている
でもいつ来なくなったり辞めてしまってもおかしくないかなと思っている

逃げる事は恥じゃないのだ
仕事でも学校でもなんでもいじめを受けて我慢し続ける必要なんてどこにも無い
耐えて耐えて我慢して我慢して傷を受け続けて、それが限界に達した時に人はきっと潰れてしまう
だから大人も子供も自死を選んでしまう事がある

いじめなんてする方が絶対に悪いのだ
「いじめられる方にも理由はある」なんて都合の良い言葉はくそくらえである
「いじめられた経験がある人はその分、人に優しくなれる」なんて言葉もただのお花畑だ
傷ついて真っ当に生活出来なくなる事もあるのに周りに優しくなれる余裕がどこに生まれるというのか

人と人である以上、相性の良し悪しや好き嫌いは絶対にある
でもその嫌いはいじめていい理由になんてならない、なるわけがないのだ

今の時代だと色々なところにいじめは存在する
SNSの場でもあるだろうし、ゲームをしていればギルド機能などでもいじめがあるだろう

そこで自分がまず絶対に加害者にならないという事がやはり大切なのではないだろうか

最初はただの諍いであってもいつエスカレートするかわからない
頭に血が上ったり落ち着きが無くなった時に人を傷つけてしまう言葉の使い方をしてしまうかもしれない
誰にでも起こりうる事だと思う

だからまず人と接する際に言葉を発したり画面に文字を打つ時にひと呼吸置いてみて欲しい
そのあなたの言葉は相手を傷つけないだろうか
自分が言われたら嫌な事はないだろうか

いじめは絶対に無くす事が出来ないと思う
でも、いじめをほんの少しでも減らす事は出来るのではないだろうか

私自身いじめを受けた経験があり
大人になり、同じ様にいじめを受けた経験のある友人もいる
そして今現在で特に交流する事が多い仲間、友達がいる
自分自身はもちろん、その周りのみんなが加害者にも被害者にもならないでいられる事を望んでいる

これを読んでくれた人の心に少しでも思いやりの気持ちや改めて周りの人を大切にしたいと思う気持ちが生まれてくれれば幸いである


暗い内容で拙い長文にも関わらずここまで読んで下さりありがとうございました♪

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