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ちょっとした怖い話になっちゃう。

 前回の記事からだいぶ時間があいてしまいました。映画はちょいちょい観てたのですが、それを文章化するというのはだいぶカロリーの高い作業ですね。書き始めれば一気にかけるんですが。今回は『フォルトゥナの瞳』。WOWOWでやってたのを録画して観ました。

人が死ぬときの運命が見えてしまう「フォルトゥナの瞳」という能力をもった主人公が、好きになった女性の死の運命を観てしまったことから始まる物語です。

さて、この映画は、「未来見えちゃったときどうすんの?」という感じなんですが、さらに未来を変えると自分の体がボロボロになっていくという、「自分犠牲にしてまで他人救えるの?」ということがのっかてきます。なんか今年観た映画のなかでもちょいちょいある、「能力手にいれたんだから救わないと」っていう『アンブレイカブル』のところでも言ったようなヒーロー系のお話で、さらに、自分の命まで削られたんじゃたまったもんんじゃないよね。

この映画の主人公はいいやつで、やっぱり見えちゃった人の命を救いたくなっちゃう、まあ、主人公なんだからそんくらいはやってくれなきゃって、観てる側の勝手な期待にはちゃんと答えくれます。

で、ここで、この映画の「フォルトゥナの瞳」の能力ですが、「そう遠くない未来に死を迎える者の姿が透けて見える」そうです。例えば、僕がこの能力者で、朝の新宿駅を歩いていたとすると、どれくらいの人が透けてみえるんでしょうか?んで、「死を迎える」いっても、事故で死ぬ人もいれば、自殺する人もいれば、病気の人もいるかもしれない。いずれにしろ死ぬわけですよね。

ちょっと想像してほしいんですが、ある家族が新しい車を買って、その記念に車の前で記念写真を撮りました。それはそれは楽しげな笑顔です。「素敵な写真だなあ」って思いますよね。その後、誰かが一言「あっ、でも、この後すぐドライブ行って事故で全員死ぬんだよ」って言われたら、急にこの写真怖くなりませんか?これ、僕だけの感覚だったら申し訳ないんですが。死が怖いってよりは、「この後すぐ死ぬことも知らずに笑顔である」ってのが怖いんですよね。
でも、例えば、松田優作の遺作を観たって何も思わない。「この後、死ぬのに演技をしている」にも関わらず。この線引は自分でもよくわからないんですよね。

話を戻すと、朝の新宿駅歩いている人だって、60年後にはほとんど死んでる。でもそんなこと考えずに歩いているわけです。それは見てても全然平気。でも、「あとちょっとで死ぬことも知らずに歩いている人」はちょっと怖い。おそらく、「死ぬ間際に後悔するんだろうなあ」って思いがあるのかなあ。きっとそうなんだろうね。自分が死ぬときに後悔したくないから、目の前の人が死ぬときも後悔してほしくないって思いがあるんじゃないかと、今ふと思いました。

だからと言って、「もうちょいで死にますから後悔しないようにね」って話しかけるのもただの変な人になっちゃうだけだけど。

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