1-6 concrete epic
「気持ちの問題だな」おまえは居酒屋で会社の上司からかれこれ1時間説教を受けているおまえはアドバイスという名目で上司が『経験的にも人間的にもいかに自分の方が優秀であったかという過去話』でおまえの精神にごりごりとマウンティングを仕掛けもう心は割裂一歩手前まできているそこで上司が口を潤すためにお猪口を手に取った瞬間におまえはすかさず店員を呼び生ビールを注文したこれでこの地獄に束の間のインターバルを生むことが出来る30秒ほどでネームプレートに手書きで『みぉん』と書かれ名前の周辺に頭の悪そうなデコレーションを施した女性店員がお待ちどうさまです!(なんて早さなんだ!)とジョッキを置き去っていくジョッキはキンキンに冷えておりこの国の経済状態を体現したかのようであるおまえは上司がすでに口を潤し終え話の続きをしたくてウズウズしている顔を確認すると突然心の中にスゥッと涼やかな風が流れたような気分になりビールを一口飲み終えるとそのままジョッキで上司の頭をかち割った鈍い音と共に上司の体はドサッとうつ伏せになり店の机一面がおまえの生ビールと徳利からこぼれた日本酒で濡れ上司の頭部周りがジワジワと赤いおまえはカバンの中から大きなアイスピックを取り出し上司の目の尻から脳みそへ向けて根元まで突き刺し取っ手を三周ほどかき混ぜ素早く抜いた後上司の財布を上着から抜き取ると会計を済ませて店を出た外は暗く小雨が降っていた「すっかり肌寒くなってきたなぁ」おまえは駅に向かい歩く道すがら「根性論とは悪しき風習である」という言葉をふと思い出したこの言葉は父がよく口にしていた言葉だおまえは小さい頃から父を尊敬し父の言葉を信頼した父の背中を追うことでおまえはいろいろなことを学んでいった例えばおまえの父は『節電』を特技としていたなのでおまえも物心ついた頃から自然と『節電』を習い始めそのまま中学校で節電部に入部し三年時に東北大会で個人優勝したとき父は初めて人前で涙を見せおまえも初めて自分の努力の成果に自信を持った『節電』とは一対一あるいは一対多で行われる命のやり取りであり全長40センチ程の鋼製の針(通称:大きなアイスピック)を相手の脳天に刺し合いどちらかの脳からの電気信号が途絶えると決着となる別名「超紳士的格闘技」と呼ばれる人気スポーツである『節電』という競技の誕生は500年前社会を良くするためのエコロジーという程で電力会社をはじめとする大企業が民衆に広めた『節電しますかそれとも人生辞めますか』というプロパガンダが名前の由来であり当時の生活環境の全てを電力に頼っていた民衆は『節電』という建前によって生活の利便性や快適さを次第に奪われ困窮していったしかしのちに民衆の中から節電原理主義という思想を持った若者たちが登場し彼らは社会に広く膾炙した『節電』という憎っくきシステムを敢えて徹底的に推し進めることで現状の破壊を目論み集団で山の中に篭り全く電気を使わない生活をフロンティアとし新たな自由を提唱したことで多くの賛同者を得たが大企業や富裕層はもちろん彼らを弾圧したそれに対向すべく節電原理主義者たちは『この世に不必要な人間の身体に流れる電気信号を速やかに節電すべき』という宣誓を発布しその後長きに渡る紛争のなかで開発された暗殺術が現在の『節電』の原型であるおまえは上司を節電してあげることで安らかな心を取り戻させることに成功したというわけだ『節電』は現在歪んだ魂を清らかにするための唯一の神聖な行為と言われているおまえには妹と弟がいたがどちらも父によって『節電』され清い魂となって天に召された妹は16歳の頃NirvanaというイカれたロックバンドのCDを学校の友人から借りたことが父親に見つかったためにクラスメイトもろとも『節電』を受け弟は中学三年生の学期末テストで世界史の成績が悪かったために将来を悲観し自ら進んで『節電』を受けた『節電』を受け清められた遺体は速やかに脳みそと体を切り分け脳みそは月曜日の再生可燃ゴミ(再生可燃ゴミは電力会社へ送られ防腐処理を施された後レンタル介護ロボットや金持ち向けの性処理人形の脳部品としてリサイクルされるのだ)へ残り体は近くの川へ流すことが各自治体で定められているのでまだ若かった頃のおまえは実家に帰る度に川へ寄り若くしてこの世を去った兄弟を思い涙を流したものだった会社の寮へ帰宅したおまえは部屋の電気をつけ先月のボーナスで購入したモニター付きラジオの電源を入れたこのモニター付きラジオは12個のモニターから20キロ圏内にいる不特定の人物の主観視覚映像をリアルタイムで投影することが可能な今流行りの家電である古今東西他人のプライベートより面白いエンターテイメントなど存在しないのだおまえはスーツからスウェットへと着替えソファにくつろぎながらモニターを眺めていたが気分的にひたすら映し出される他人の情事をザッピングする気にもなれず休日に読みかけだった人気野球漫画『誰にも気付かれずにチンパンジーを動物園から自宅へ連れて帰るための15の心得』を読み進めた「スポ根モノのフィクションはやはりいいな登場人物全員が狂人に見えるから自分がまだ精神的に正常であることが確認できる」おまえの父親は「この歳でこの激務で年収50万は安すぎる」と経理の目をごまかし三年間で五千万円ほど会社の金を横領していたのがバレて噂では館山の採石場の奥深くに埋められたらしいとにかく突然家に帰らず連絡も取れなくなりやる気のない地元の警察は殺害予告メッセージや犯行直前の犯人と父親の会話の録音や父親の書斎の床下から身に覚えの無い大金が証拠として出てきたにも関わらず事件性のない失踪として速やかに処理したおまえはそれからというもの父親が嫌悪していたスポ根モノフィクションを読み漁るようになった一所懸命という名の狂気に取り憑かれた登場人物たちの非人間的言動は喪失感を忘れさせてくれるし父親がその光景を見て怒りながら戻ってくるのではないかという子供じみた願望がおまえの中にあった携帯電話のアラームが鳴りふと気がつくともう昼過ぎではないかおまえは急いで着替え会社へ行く準備を始めた。
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