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1-5 concrete epic

おまえは芸術家だからと常に芸術家らしい振る舞いを周りから求められることに疲れ果て新しい自分探しの旅にでることにした旅と言っても2ヶ月前に作品が売れたときのお金はほとんど1円パチンコでスッてしまったので関東からは出られないだろうし来月の光熱費と家賃と材料費を差っ引くと一泊二日が関の山だろうと貯金残高をコンビニのATMで確認し5年付き合っている荻窪の彼女のために誕生日のサプライズで指輪を買おうと貯めてあった3万円を引き落とし「さぁとりあえず渋谷にでも行くか!」と自転車で京王多摩センター駅へ向かったおまえは3年前に四畳半の自宅で開催した初個展『手刀によるアンコウの吊るし切り展(11/15〜5/25 要予約)』にて行った観客の目の前でアンコウを解体するという奇抜なパフォーマンスで個展終了までに合計52匹のアンコウを捌き(後半部屋の中はアンコウの臓物で溢れかえり腐臭で目を開けることも困難であった)辛口な美術批評家からも「四畳半の会場内にある小さな木製の椅子に縛り付けられ瞼はセロハンテープで固定され口には魚の血で濡れた生ぐさいウエスを押し込まれるという独特なスタイルで鑑賞するこの作品は一体自分が何者であったかを忘れてしまう程の生理的苦痛と圧倒的腐敗臭に満ちた怪作であった」と評価されおまえは一躍若手芸術家のホープとして名を広め続く2回目の個展でも自宅の浴槽をサンマの腹わたで満たし一日中その中に入りながらタブレットでxvideoを鑑賞し続けるというパフォーマンスによって日本の食文化と現代のポルノグラフィティに通じる『生(ナマ)』至上主義を批判的に考察し高評価を得たそれに加えその個展の開催中にマスメディアに報じられたことにより世間で話題となりセンセーションを起こしたのちに長崎ペンギン水族館と小平市ふれあい下水道館がこの展示の記録映像を購入しおまえの芸術家としての経済的状況も改善されたので消費者金融に頼る生活ともひとまずお別れした「明るい未来がいいよね!明るい未来がいいよね!」個展が立て続けに成功しおまえの彼女はそう言いながら自分のことのように喜んでくれたがパソコンモニターから目を離すことは無かった彼女はモニターから目をそらすと死んでしまう病なのだ目をつぶっても死んでしまうため彼女は小学生の頃手術で瞼を除去しむき出しの目玉の周りには自動で目に潤いを与える器具が装着されている顔を向き合って話したいときはビデオ通話しか手段がないおまえは付き合い始めの頃は一度でいいから目を見つめ合って恋人らしいことをしたいと思っていたが今は慣れてしまってなんとも思わない性行為ももちろん後ろ向きで行うモニター越しで見る彼女の顔はおまえを非常に興奮させる目をひんむきカメラを凝視しながらヨダレの混じった嬌声を上げる光景はこの世のものとは思えないおぞましさでどんなポルノよりもヌケる最高のリアルタイム動画だおまえはコトが終わった後いつも彼女の生殖器と肛門をレンジで蒸した濡れタオルで優しく洗ってあげる風呂に入ることの出来ない彼女はこうしてあげなければ垢まみれになってしまう仕上げにドンキで買ったブルガリの香水を陰核の周辺に3プッシュほど振りかければおまえ専用性処理道具のメンテナンス終了だ「そういえば股間以外を洗った覚えがないなまぁ使ってないしいいだろ後は親御さんの介護ってことで股ぐらに付いてる二つの穴以外は管轄外さ」彼女と向き合ってみたいという気持ちは甘えでありそもそも一般的に付き合ってる恋人たち(ディズニーランドや吉祥寺のお洒落なカフェや牛久大仏などでクソの役にも立たない思い出をせっせと生産している連中)ですら本当にお互い向き合ってあるのか疑問であるとおまえは考えている「純粋理性なんとかってやつだこれは昔頭のいい同級生が言ってたきっとそれさ事物の本質に人間はアクセス出来ないんだろ?だとしたら恋人にも家族にも畜生にも庭に植えてある梅の木にも人間は直接アクセスできてないってことだろ?自身の自我の本質もおそらくわからず終いさそんなことミリにも感じてない輩に限って彼女との関係についてとやかく言ってきやがる他者へのイマジネーションってのが欠けてるんだなぁそういう奴らは本当はみんなどっちが右で左か各々が定義すればいいだけの話じゃないか倫理だの道徳だの大切なのはよくわかるけどそれは全く理解できない他者との友好のために用意されたのもであってそれをメリケンサックみたく右手にはめ込んで殴ってくるのは用法が違うんだよきっとさ昨日雑誌のインタビューで彼女との関係を語ったときの記者のおぞましいものを見るような顔ああいうのは今思い出しても笑っちゃうなおれはまだそれを開けっぴろげにすることでこの世が重力を失った底無し沼であることを自身の意思に確約させて伴奏なしでも正気を保ちながら踊ることが出来るがもうあの記者のような人たちはオーガナイザーとDJとハコを失った瞬間に踊るのを辞め自らの墓穴に帰っていくのだろう」そして電車は終点の渋谷に着いた東京はもう夜の7時なんかそんな曲があったなーと周りを見渡すと爆心地(旧ハチ公前)は恋人たちでいっぱいでおまえを辟易とさせたきっとみんなこの後六畳一間のアパートに帰りカビっぽい布団でたるんだ体を重ね合わせるのだろうと考えると具合が悪くなりおまえは電車での乗り物酔いも災いし道端で嘔吐し昼に食べたホープ軒のラーメンだったものをぶちまけた隣を歩いていた大学生くらいの女の子が何か声をかけてくれた気がするがおまえは自分の嗚咽がひどくて聞き取れなかった「旅に行かなくちゃ旅に行かなくちゃ!」おまえは薄れゆく意識の中で病を克服した彼女と湯河原の温泉街を手を繋いで歩く夢を見た夢の中の彼女は瞼も付いているし髪もトリートメントが行き届いており素敵な女の子だった「はい!お待ちどう!」おまえは目を覚ますとうつ伏せでベッドに寝ておりなんだか背中がじんじんと痛むし上半身に何も来ていない「病院?」そこはタトゥーショップだったそして背中には大きな日章旗が彫られていた店員に聞くと初老の男性が気絶したおまえを担いで訪れ500万円を置いて背中いっぱいの巨大な日章旗を彫るように注文したらしいキャンバスを使ったことはあるがキャンバスにされたことは初めてだ「画材ってこういう気持ちなんだなぁ」おまえはタトゥーショップを出た後旅費だった3万円を駅前のパチンコで使い切り多摩市の自宅まで歩いて帰ることにしたまぁ帰路も一種の旅だ。

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